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考える時間と再構築

猛スピードな6月

今月の私はスターウォーズの帝国の逆襲みたいに、何か成果を出せたというよりは、全ての準備や形作ることに奔走していて1ヶ月が終わりました。
それでも毎年の電磁波講座も開講できたり、Difyのミートアップに行くことができました。
その中で自分の思想や方向性がどんどん静かに集中されていくのがすごく好ましいなと思っています。
どれだけ忙しくても、自分のやっていることを楽しむようにしています。

今月はそういえば一週間ほど伊豆で一人で過ごせたのがよかったです。気分転換にワインディングを走ったり、海を見に行けるのは贅沢な喜びです。
ちょうど、「自分の英語力でどれぐらい話したいことが伝わるかなー」と思いながら行きつけのカフェに行ったら、台湾からの旅行者の方がいて、英語でひとしきり伊豆地方の歴史やあれやこれやとたくさんおしゃべりができてとっても楽しいひと時でした。少しブロックが外れた気分です。

弓ヶ浜はリラックスに最適

新しいことを柔軟に受け入れながら

始まりは5月の大阪滞在。2回目の講座に行っただけのはずが、そこで繋がったご縁がすごい勢いで動き始めたおかげで生活や仕事で考えることがドッと変わってしまいました。

私自身はルーティンが好きで決めたことを淡々とこなしたいという本質を持っているにもかかわらず、周りの期待や思いに対しては自分できることを精一杯したいという気持ちを持っています。それがどんどん自分のルーティンややるべきことを圧迫しているのですが、今月はそれが極まった感じでした。
子供の頃から必要とされることに自分の存在意義を感じていた自分をずっと引きずっているんだなぁという気がします。一緒にいるなら役に立たないとっていう強迫観念みたいなものといつも一緒に暮らしているんですよね。今回は何を書くか決めずにいたのに今こんな話を書いています。

10年ほど裏方ばかりやっていた自分が表側に出つつある工程の中でわかってきたことがあります。自分一人で考えてやってきたので、自分は全体像を理解しているけれど、人にアドバイスされたことを一生懸命やろうとした時に、タスクとして理解していただけではやり続けることができなくて、自分の中で概念として組み立てた上で作業をしないと作業が続かないということがよくわかりました。うまくいえないのですが、アドバイスしてもらったものを自分のものにしていくという過程と言えばいいのでしょうか。

自分のものにしていく過程

結局自分のものにするには自分で再構築しないといけなくて。
そう言えばこんなことを思い出しました。留学から帰国した直後にレポートのようなものを書くようにと言われて、書き上がったものを国語の先生に見てもらったんですね。いろいろ丁寧に赤を入れてくださったのに、私ってばその修正をするだけではなくて、ごろっと全部書き直してしまったんです。
先生は「全部書き直したんかいな・・・」とがっかりしたご様子でしたが、かけないでいた「本来書きたいこと」のヒントが先生の修正にあったので、がっつり書き直したというわけです。

10代から自分で再構築しないと自分のものにできないタイプだったのだなと今になって思い出しているのも面白いのですが。笑
でもそうやって自分の理解を踏まえた物ってやっぱり力になるなっていう気がしています。

それはタスク管理を習ったりしていても全部そうなのかもしれないなっていう気がしています。
自分で学ぶっていうこと、自分で理解するっていうことは自分で再構築するということだと思うのですが、どれぐらい正確に理解して自分の考え方と擦り合わせていけるかというところで妥協していけないなとも思っています。


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