No home movie ノー・ホーム・ムーヴィー製作ノート by シャンタル・アケルマン

この映画は何よりも私の母、もうこの世にいない母についての映画であるのだから。1938 年にポーランドでのユダヤ人迫害(ポグロム)や虐待から逃げて、ベルギーにやって来たこの女性について。アパルトマンでのみ目にする女性について。ブリュッセルのあるアパルトマン。動いている世界、私の母が見ることのない世界についての一本の映画。

ショットがあると感じたら、どんな場所でも撮影し始めて、かれこれ数年になる。なんの目的もなく始めながらも、ある日、それらの映像が一本の映画、あるいはひとつのインスタレーションになるかもしれないと感じていた。
私はただ欲望と本能に身を任せた。
脚本もなく、意図的な計画もなく。
これらの映像から3つのインスタレーションが生まれ、さまざまな場所で展示された。

この春、いまだ自分がどこに行こうとしているのか分からないまま、私はクレール・アテルトとクレモンス・カレとともに、20 時間ほどの映像と音を集めた。
そして私たちは素材(マテリエル)の中で"彫り"始めた。
それら 20 時間が 8 時間になり、ついには 6 時間になり、ある時を境に 2 時間ほどになった。
そして、私たちは見た、一本の映画をそこに、そして「そう、もちろんこの映画が作りたかったのだ」と呟いていた。
自分でも知らぬ間に。
そして、よく言われるように、この映画のメインテーマといえば、それはひとりの登場人物、ポグロムを逃れて 1938 年にベルギーに到着したポーランド生まれの女性である。
その女性、彼女こそが私の母である。
ブリュッセルのアパルトマン、その場所だけにいむ。

ひとりの母親、彼女の娘たち、つまり妹と私のどちらかが、たえず、彼女の元から去っていき、そして長い旅の後に再び戻ってくる。
したがってこれは私の母についての映画であるのだが、それだけではない。

ショットとショットの間に、彼女と過ごした時間が、遠くに、まるで長い道のりのような瞬間がある……。

そして毎回、私たちは彼女を再び見出す。

会うたびに、彼女は弱まっていく。ついには私たちに話すこともできなくなり、言葉と言葉の間で眠ってしまう。
彼女を寝かせてはならない。眠らせないように、医者は私たちにそう言った。
だから妹と私は母が起きているように必死になったのだが、それは本当に胸が張り裂けそうな場面だった。
私たちはママ、ママと呼び、母は耳が聞こえなくなっている。
それでも母には私たちの声が聞こえているのだ。

そうこうしているうちに、私たちは再び彼女のもとを去る。そして砂漠を目にし、風の音を聞く。

私はアパルトマンに再び戻る。
小さな部屋で、私は靴の紐を結び、髪を後ろにかき上げる。カーテンを閉める。

そして、最後、ひとつの固定ショット……台所の方へ、彼女の部屋の方へ、でもそこには誰もいない。

これは動き続ける世界について、アパルトマンからほとんど動くことのない母が見ることのない世界についての映画。
しかしながら外の世界はそこにある。アパルトマンのショットの間から入り込んでくる。まるで絵画の黄色いタッチがその絵の残りの部分を浮かび上がらせるように。

それはまた愛についての映画、喪失についての映画でもある、時におかしく、時に悲痛な、しかしそのまなざしは的確な距離を保っている、と私は思っている。
この映画では、ブリュッセルのキッチンで、控えめに、ほとんどさりげなく、ペーソスもなく伝達が行われる。

もちろん、今のところ、これはアール・ブリュットという意味で"生々しい"映画だ。何より滑らかさを求めてはならない。力強さを失うことになるから。
この映画は時にたどたどしく、無骨だが、ここではその無骨さがプラスになっている。
映画はどこに向かっているのかよくわからないまま彷徨っている。
しかしながら、この映画が私たちを導いていく先にあるのはただひとつ、「死」である。
母親の死。私たちはそれを決して見ることはない。空っぽになったアパートだけがそれを語っている。

映画は激しい風に揺さぶられている一本の木で始まる。
それは長い間続く。
それは固定しているが、騒々しい、非常に騒々しい風の動きに満ちている。
まるで絶対に動きを止めたくないかのようだ、しかしそれは止まる。
ブリュッセルの公園の陽光に満ちたショットがそれに続く。おそらくそれは芝生の縁がまぶしいほど輝いていた春に撮られた。
手前には年老いた男が背中を向けてベンチに座っている。砂埃の後にはこの縁が、風の後にはこの静けさが必要だった。
このようにして映画は編集された。ショットは情報を与えるために存在するのではなく、それらは「情動」、観客の身体の中で起こっていることの中で働いている。語りは小刻みに進んでいく。まるで不安定なバランスを保たなければならない、ひとりの女性がか弱い優雅さで歩行しているブリュッセルのアパルトマンに入っていくように。


本作が上映された東京日仏学院で配布された製作ノート(表)
本作が上映された東京日仏学院で配布された製作ノート(裏)

シャンタル・アケルマン「ノー・ホーム・ムービー」

母親についてのドキュメンタリーの体裁を取っている。なので、アケルマン本人、アケルマンの母親、妹という家族が作品内に現れるが、それ以外の登場人物である、母親と親しく話す黒い服を来た女性、メイドらしき南米出身らしき(アケルマンとスペイン語で話すことから)女性はどういう人物なのかは分からない。
アケルマン自身がインタビューアーとして、母親と対面またはSkypeで母親の過去や現在の生活などを話す。本作と似た作品として、ユスターシュ「ナンバーゼロ」が思い浮かぶ。
しかし決定的に違うのは、ユスターシュの作品は彼の祖母との会話のみで成り立っているのに対し、本作は冒頭の強風で煽られる木と背後の荒野から始まり、母親の無人のリビング、台所、玄関ホールがインサートされる。特に冒頭で木の背景に出てくる荒野は、高速移動している車の車窓のショットでたびたび繰り返される。
また、ユスターシュ作品では会話は継続した時間で続くのに対して、本作の会話は異なる時間のそれらを繋ぎ合わせている。
その時間の経過が母親がどんどん弱っていく様子を表して、最後の2つのショットで彼女の死を表している。そのショットとは、アルケマンが母親の部屋で過ごしているショットと、誰もいない玄関ホールのショットだ。
母の不在を現すには、母がいない母の部屋と誰もいない玄関ホールを挿入することはクリシェながら常套手段だと思う。そのようなクリシェと取られかねないショットをここで使うことは、アケルマンが言うところの(母親への?)愛と喪失を確実に観客に伝えたかったからなのだろうか?

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