ルブ・ピック「破片」

冒頭の線路を俯瞰で捉えたショットから、なぜか期待感が掻き立てられた。鉄道と映画は映画の創世記から非常に強い繋がりがあるからか?とにかく、何かただならぬ印象を与える。
その印書は、本作の悲劇的なストーリーにではなく、母が線路監査の男の娘の不貞を知った三人のそれぞれの表情が捉えられたショットに再度現れる。

踏切番の一家のもとに電信が届く。この電信記号が線路監査のために監査官が一家の家に来ることを知らせるのだが、記号が文字に変わることで無駄なインサートタイトルを避けている。本作が極力映像だけでストーリーを語ることを意図していることがこの処理から伺える。
この監査員の男が一家の娘と不貞な関係となるのだが、その二人がお互いを意識するのは、男が一家の家にあてがわれた部屋から出てきて階段を降りる際に、階段を拭き掃除していた娘と会うシーンだ。
このシーンでは、男が階段の下の女の顔を見つめ、女も男を見返すという切り返しでお互いの心情を描いている。
その次のシーンで、母親が娘が男の部屋のベッドで上半身が下着姿になっているをの見つける。
この急展開にも驚くが、母親、監査員の男、娘がそれぞれの心情を表している表情を1ショットで見せるという演出は、かなり斬新だと思う。
凡庸な演出なら、ここでそれぞれの心情を各人の顔のアップで描くところだろう。
しかし、三人のそれぞれの心情が1つのショットで表情として映し出されると、この三人の間の関係、気まずい状況、各人の間の緊張感が全て観客に投げ出される。そのことで、この後のストーリーへの興味や観客の映画への没入度が高まっていくのではないだろうか。
その後、ストーリーは母親の死と父親の監査員の男の殺害へと続いていく。

ただならないという本作の印象は、上記以外のストーリーとは関係のないショットにも感じる。
「破片」というタイトルのもととなったであろう冒頭の一家団欒で突如強風で割れる窓ガラスの破片が捨てられたゴミ箱のショットが、ラストショットに繰り返される。何か本作の悲劇を暗示しているような安易な印象をも与えるが、映画の初めと終わりに同じ映像が現れるというのは、本作の悲劇が繰り返されるようなただならなさを感じる。
そして、監査員の男と娘が不貞な行為をしている部屋の窓の下の案山子の腕が風で二人のいる部屋の窓を指し示すように動くショットとは、二人の関係を暴くかのようだ。

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