私がまあいっかで済ませてきた事とその予後

私は自他共に認める雑な性格の人間である。

あれは小学生になって恐らく数ヶ月ほど経った頃だったと思う。
本を読んでいた私は同級生3〜4人から「あなたと縁を切りたい」と唐突に言われた。私はそれは彼女らの勝手だと思ったので「好きにしたらいい」と答えた。すると彼女らは私と自分の間の空間に手刀してゆき、全員が済んだら「そういう事だから」みたいな事を言い残して走り去っていった。

私はよく分からんし馬鹿らしいな〜と思い本に意識を戻しつつ、そもそも縁を結んだ記憶もなかったので、わざわざ無い物を切りに来た彼女らの心理が心底不思議だった。
今ではそれをしにきたメンツが誰と誰だったか、名前どころか顔も何も思い出せない。人数も3〜4人ではなく2〜3人とかだったかもしれない。

今思えば私は学校の教室という閉鎖的なあの空間において浮いていたのだと思う、意識していながったが爪弾きものだったのかもしれない。

ちなみに小学生の時の私は図書室に入り浸っており、休み時間はほぼ本を読むために使う協調性などかけらもない生徒だった。
あと常識や自分の見た目を気にする客観性もあまり無かった。

この縁切られエピソードは、もしかしたら自分は本当は悲しかったのかもしれないと思ったから挙げてみた。でも今考えても心底どうでもいい事だった、まあそれが確認できてよかった。

もう一つ別の、今も記憶に残っている小学生時代の思い出がある。

あれは多分三年生か五年生かどちらかの事だったと思う(強く覚えている記憶ですらこのレベルなので他の記憶がどれだけ曖昧なのか自分でも怖い)

算数の授業中、とある問題が解けなかった生徒達数人を担任の先生が教室の中央に集めて、もっとやる気を出すようにと注意していた時のことだった。

私は生来算数が苦手で、そもそも数字に興味も皆無だったため授業の解説も先生のお話も右から左でなんとなくしか聞いていなかった。

何やら話終わった先生は最後に集めた落第生徒達に「頭良くなりたいよね!?」と一人一人の意思を確認し始めた。

みんな「はい!」と元気よく答えていたのを覚えている。

そして最後、端っこに突っ立ってぼーっとしていた私に「◯◯さん(私の名字)も、頭良くなりたいよね!?」と言ってきた。

その時の私は普通に「どっちでもいいです」と答えた。

先生はなぜか鳩が豆鉄砲食らったかのような表情をしてから「……じゃあ席に戻ってなさい」と言った。

書いてて思ったけど、質問する前に先生は努力の大切さとかを話していたのかも。頑張ってそういう話をした直後に生徒がどっちでもいいと言えばびっくりするのも道理かもしれない、そこに今更気付いた。ごめんね先生……できれば頭良くなりたいけど算数は今もしたくないです。

席に戻りつつ、今のは何の時間やったんや……と若干不満に思いながらも先生から公認を得た私は、私以外の生徒達にされる授業の解説を聞き流しながら窓の外を眺めて空想の世界に入りひたすらぼーっとした。

この時にもっと教室の雰囲気とか同級生の表情とか見ておけばよかった、その時は興味がなかったから視界に入ってなかった。

その後は普段通りに過ごしていたのだが、掃除の時間に先生に呼び出された。

正直よく覚えていないし多分ちゃんと集中できていなかったが、私は箒を片手に先生から努力の大切さや向上心の大事さなどを懇々と説明された。

なかなか切実な感じで話してくれていた気はする、だが当時の私には全く響いていなかった。

急に何の話だろう……と不思議に思っていたから。

授業中の質問と掃除の時間にされた話の記憶が繋がったのは成人してからだった気がする。
それぐらいあの時間に起きた事は私にとって興味が無いことだった。

ただ、わざわざ掃除の時間に私へ悲しげに話をする先生という環境に対して、虚しさのような恥ずかしさのような形容し難い感情になっていたのは確かだった。

その気持ちの正体は今も完全には分からない、でも私はその感情や先生の(当時の私にとっては)謎のお説教など全てを『よくわかんないけど、まあいっか』で済ませた。

そのせいなのか持って生まれた性質だから仕方がないのかは不明だが、今も向上心らしい向上心は持ち合わせていない。

大人の私ならもうちょっとちゃんと先生の話を聞くし、あの質問にもはい!ってとりあえず元気よく嘘をつくと思う。でも小学生だった時の私にはその能力が無かった、当時の同級生達と比べて随分と幼稚でした。

今現在、多少なりとも成長できてそうでよかった。

その後も私は無視されたり、聞こえる位置でコソコソと悪口を言われたり、バイ菌扱いされたりしてきたけれどそのほとんどを『まあいっか』でやり過ごした。

その結果がセルフネグレクトと不登校で、現在はうつ病無職なのだから救いようがない、もっとちゃんと自分の感情を認識して助けを求められてたらなあと思った。後悔先に立たずですね。

学校だけでなく家庭でも色々あったと思われるのですが、特にこれといったエピソードを覚えていない。

物心つく前に何か私が色んなことを『まあいっか』で済ませるようになるきっかけがあったのか、誰の影響でもなく生まれつきなのか、今となっては分からない。

ただ、姉以外に自分の話を聞いてくれる人がいなかったことは関係しているかも……とふと思った。

とにかく私は自分の周囲のことも自分自身のことも『まあいっか』で済ませて、ある意味投げやりに人生を過ごしてきてしまった。

そのことを俯瞰して見れるようになったのはここ数年のことだと思う、でもそれも『まあいっか』という話。

大切なのはこれから!とかいい感じのことを書いておきます。


おわり。

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