女方であること

ここ半年ほど読んだ数冊の本から、組踊の重要無形文化財の指定要件のひとつである「女方であること」となったことの損失は、女性の立方がいなくなっただけではないんだなあと思った。

戦後の琉球芸能を支えたのは男性ばかりではなく大きく女性も支えていたことは、私がいうまでもない。
しかし「女方であること」の指定要件がもうけられたことにより、女性が立方を目指すことも、やる気もそがれたことであろう。
つまりそれまでは、御冠船の流れを組む指導者が女性にも組踊の伝承をしていたということだ。
優れた指導を受けた女性の立方が、その後の人の指導をしていた、若しくはしているのだろうか?
その辺りを確認をしていないのだが、「女方によること」となってからは、後輩に指導することが極端に少なくなったのではないだろうか?
もしかしたら、その人にしか伝えていない細かいことがあったかもしれない。
もしかしたら、今と違う解釈があったかもしれないと思うと、残念な気がする。

「沖縄芸能大鑑」の琉球古典舞踊系統図を見ると例えば玉城盛義のすぐ下の系統は、理事会を除くと18名いるが、その内の13名が女性。
真境名由康の系統は、10名の内、女性は8名が女性。
きっと、色々と指導されたに違いない。

時代のうねりによって、ちゃんと伝承していくって大変なことなんだなあと感じました。