組踊が現在まで上演されているのは奇跡に近い

琉球芸能の本を色々と読むと、組踊が現在に上演されているのは、かなり奇跡に近いと考えられる。以下、誤解をおそれずに綴ることにいたします。

琉球という国がなくなり、最初は珍しいこともあり上演も盛んだったが、次第に飽きられていった。
そのため、大正から昭和の始めにかけては、年に数回あればいい方だったという。
何故数回上演されたかというと、大和から来た研究者などのために上演したという話がある。
つまり、沖縄の方々の要望があった訳ではない。
上演されることも少なくなったので、お稽古もされることもなく、技量も低いものもあったらしい。

今や伝説となっていると言っても過言ではないであろう昭和11年の日本青年館での琉球古典芸能大会も、大和では大きな反響があったが、その後の沖縄で組踊の上演が多くなったとは言い難い。

戦後、石川で行われたクリスマス演芸大会で上演された「花売の縁」から、組踊や琉球舞踊などをうちなーんちゅの心の拠り所として、徐々に演じられるようになったようだ。
大和の人向けの上演 や 戦争 が演じられるようになったきっかけのひとつというのは、なんとも皮肉なことだろうか。

今は、国立劇場おきなわ や 沖縄県立芸術大学 などが育成に力をいれ、沖縄のみならず世界中に琉舞道場も多くお稽古をしている人も多いから、未来は明るいと思う。

渡嘉敷守良先生の残した文章などから、類推した私の考えなので、本当の琉球芸能の歴史は違っているかもしれません。
先人の先生方の努力や熱意はもちろんのことです。

沖縄に自由に行けなくなり、組踊を聴く機会が極端に減ったのだけれど、今の状況が好転したら、またおもいっきり組踊を楽しみたい。