君の成功は努力か、運か?
最近、散歩が習慣化して趣味の一つになってしまい、読書がなかなかはかどらなくなっていたが、マイケル・サンデルの新たな主著「実力も運のうち 能力主義は正義か?」をやっと読み終えた。
サンデルはハーバード白熱教室で知って何冊か読んだが、最近はやや食傷気味だったところ、メリトクラシーについてどういう議論を展開するのかはやはり気になって読んでみたが主著というだけあってさすがに読みごたえがあった。
本の帯に「親ガチャ」「自助」「学歴差別」・・・
未曽有の格差と分断、その根源を問う
という紹介がされているが、現在の社会の病巣の根源と思える部分の考察でもある。
とりあえず目次の章立てを紹介しておく。
プロローグ
序論 入学すること
第1章 勝者と敗者
第2章 「偉大なのは善だからー能力の道徳の簡単な歴史ー」
第3章 出世のレトリック
第4章 学歴偏重主義ー容認されている最後の偏見
第5章 成功の倫理学
第6章 選別装置
第7章 労働を承認する
結論 能力と共通善
サンデルは当然ながらアメリカ社会の分析をもとに議論を進めているので、日本においては若干違和感を感じるところはあるが、重視されているのは現代社会は能力主義が行き過ぎていて、敗者の人間としての尊厳が顧みられないため、社会的分断が進み民主主義社会の基底を壊してしまうところへ行こうとしていることへの警告ではないかと思う。
この3年余りのコロナ禍社会においてエッセンシャルワーカーが社会にとっていかに必要不可欠であるかを我々は思い知ったはずなのであるが、現代のグローバル化した市場社会はそれを正当に評価する方法をまだ持っていない。
結論部分の最後に記された一段落をそのまま紹介しておく。
人はその才能に市場が与えるどんな富にも値するという能力主義的な信念は、連帯をほとんど不可能なプロジェクトにしてしまう。いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか?その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。自分の運命が偶然の産物であることを身に染みて感じれば、ある種の謙虚さが生まれ、こんなふうに思うのではないだろうか。「神の恩寵か、出自の偶然か、運命の神秘がなかったら、私もああなっていた」。そのような謙虚さが、われわれを分断する冷酷な成功の倫理から引き返すきっかけとなる。能力の専制を超えて、怨嗟の少ない、より寛容な公共生活へ向かわせてくれるのだ。
正直言って個人的には連帯感や絆を押し付けてくる風潮は嫌いである。だが、妬みや怨嗟の少ない、より寛容な公共善の実現へ向けて社会的努力を続けていくことはこれからますます重要になっていくのではないだろうか?
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