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魔女の家

僕の家から15分ほど歩いた町のはずれに、木々が生い茂った家が建っていた。

入り口には大きな黒い門がそびえ、庭にはこの辺りでは見たこともない草花が生え、樹木で隠された家屋には日が入ることさえない様子だった。

そして、その家には黒い犬が2匹放たれていた。
赤い首輪を付け、僕らが近づくと決まって吠えかかってきた。


夕暮れ時になると、その家に一人で住んでいるおばさんが、犬を散歩に連れ出した。
彼女は犬と同じ色の衣装だったのを覚えている。

黒いジャケットに黒いスカートを身に着け、黒いブーツを履き、頭には黒い帽子さえかぶっていた。

僕たちはその家を魔女の家と呼んで、近づかないようにしていた。



僕が5年生の時、同じクラスの赤澤君が、ブーメランを学校に持ってきた。
お父さんがオーストラリアに行ったお土産に買ってきてくれたそうだ。

それは堅い木でできていて、表面には黒いカンガルーと点描画で描いた鮮やかな模様がついていた。オーストラリアの先住民が描いた絵だった。

僕らはそれを運動場で飛ばそうとしたのだが、人に当たったら危ないからと先生に止められてしまった。


放課後、僕らはブーメランを飛ばせる場所を探し回った。
町の中では無理だし、近所の空き地でもちょっと狭い。
思いっきり投げても大丈夫な所は、なかなか見つからなかった。

遂には、町のはずれまで来てしまった。
そして絶好の場所を見つけた。
そこは、稲刈りが終わってからそのままにされていた広大な田んぼだ。

近所の広場の3倍以上はある。
ここなら大丈夫だ。


僕らは安心して、ブーメラン投げに興じた。
まずは、持ち主の赤澤君が投げる。

「こうやって投げるんだよ」
と赤澤君はお父さんから教わった通りに投げてみる。
しかしうまく戻ってこない。途中で失速して、田んぼに突き刺さった。

でも、何度か投げるうちにコツをつかんだようだ。
緩い弧を描いて、投げた場所近くまで戻ってくるようになった。


それを見て、僕らも順番に真似をして投げてみる。
くるくると旋回して戻ってくるのが、楽しくてしょうがない。

戻ってきたブーメランを手で取ろうとするが、痛そうで皆が躊躇する。


そうこうしているうちに、今度は誰が一番遠くまで飛ばせるかの競争になる。それはもはやブーメラン投げではなく、ただの遠投競技である。

一人ずつ投げて、自分が飛ばした着地点で待機する。

僕の番になった。
「いくぞー」
誰よりも遠くに飛ばしてやろうと、僕は助走をして大きく振りかぶって投げた。あっという間にみんなの上空を越えていく。

「やった。一番だ」


しかし喜んだのもつかの間、ブーメランは田んぼを飛び越えて、民家に入っていってしまった。

「やばい、魔女の家だ!」
僕は自分の犯した過ちを後悔した。
そこは、よりにもよって一番入れてはいけない家だったのだ。


「テツ、お前が取りに行って来いよな」
赤澤君が、べそをかきながら僕をにらむ。


結局、僕と持ち主の赤澤君のふたりで回収しに行くことになった。


黒い門の前まで来ると、赤澤君が震えているのが分かった。
それが、逆に僕に勇気をくれた。
躊躇せずにチャイムを鳴らす。

3回鳴らしたが、返事がない。
「留守かもしれないな」僕がつぶやくと、
「どうしてくれるんだよ」と赤澤君が僕を非難する。

「入ってみるか」
僕は門のレバーをまわしてみる。
鍵はかかっておらず、門は簡単に開いた。


いつも吠えかかってくる犬の姿も見えない。
(きっと散歩に行っているんだろう)
僕はそう思い、赤澤君にかまわず中に入る。

「おい、勝手に入って大丈夫かよ」
赤澤君が声をかけながら、追いかけてくる。

「たぶん屋根は越えてないはずだから、この庭のどこかにあるはずだよ」
そう言って、僕らはブーメランを探し始めた。


その時である。
家の裏から、人のものではない素早い足音が聞こえてくる。

アッと思った時には、2匹の犬が目の端に入っていた。
餌でも食べていたのか、口元がひどく汚れている。

赤澤君が一目散に逃げだすが、逆にそれが彼らを刺激してしまったようだ。
2匹とも彼めがけて走っていく。


「ステイ」
鋭い声が響いた。

その途端、走っていた犬がピタッと静止した。
そして、犬たちは声のした方を見ると、黙って家の裏に戻っていってしまった。


「ブーメランを投げ込んだのはあなた達?」
犬に言った時とは違う、優しい声で魔女は言った。
その手には、赤澤君のブーメランを持っている。

いつもの黒い服装とは違って、今日はベージュのワンピースを着ている。
そのせいもあってか、魔女というよりは普通のおばさんのように見えた。

「すみません。わざとじゃないんです。遠くに投げすぎてしまったんです」
僕らは素直に謝る。

「そんなことを言っているんじゃないの。とてもよくできたブーメランね」
「お父さんがオーストラリアで買ってきてくれたんです」
魔女の言葉に赤澤君が小さな声で答える。

「そうなの。道理で…」
魔女はそう言ってから、少し考えている様子だった。

「ねえ、このブーメラン10分ほど貸してくれない。
 図面を取っておきたいの。その間、家の中でお茶でもいかが?」

魔女の申し出に対して、僕らは本心では断りたかった。でも、ブーメランを放り込んだ手前そうするわけにもいかない。
嫌々ながらも、従わざるを得なかった。


魔女の家の中は、外見とは打って変わって明るい空間だった。
天窓からは光が降り注ぎ、僕らが通されたキッチンはきれいに整えられていた。
魔女は僕らにココアとクッキーを出してくれた。
そして「ここでゆっくりしててね」と言って、隣の部屋に入っていった。

「なあ、僕らを食べようとか思ってないよな」
赤澤君が心配そうに僕に尋ねる。


10分ほど経つと、魔女はブーメランを手に戻ってきた。
そして、こう言ったのだ。
「ねえ、1週間後にまた来てくれない。君たちに試して欲しいものがあるから」

こうして僕らは、また7日後に来ることを約束させられたのだ。



そして約束の1週間後、僕だけが彼女の家を訪れた。
赤澤君は風邪気味だし、僕の責任だからと押し切ったのだ。

門の横のチャイムを鳴らすと、今度は彼女が出てきてくれた。先日通されたキッチンではなく、隣の部屋に案内してくれた。

部屋には木の香りが充満していた。

そこは作業場だった。電ノコやら彫刻刀やらが並び、その他にも使い方の分からない道具が所狭しと並んでいた。


「はい、これ」
そう言って、彼女は僕に何かを渡した。
ブーメランだった。

赤澤君が持っていたものと材質も重さもそっくりだ。
ただ、表面の模様だけが違っている。

そこには、小さな男の子が2匹の犬と一緒にブーメランで遊ぶ様子が描かれている。
絵柄や模様は赤澤君のものとよく似ている。
恐らく、先住民の絵柄を基にして描いたものだろう。


「あなたが作ったんですか?」僕はびっくりして尋ねた。
「そうよ、自分でもよくできた方だと思うんだけど、ちゃんと飛ぶかどうかは自信がないの。だから、ブーメランを上手く投げられる人に投げてもらいたいと思って」

そんなことならお安い御用だ。
さっそく僕は、彼女の家のそばにある田んぼに行って投げることにした。


先日皆と一緒に覚えた投げ方で、ブーメランを中に放ってみる。
空中に飛び立ったそれは、きれいな弧を描いて戻ってきた。


2回目の投擲で、戻ってきたブーメランを初めて僕はキャッチできた。

その様子を見ていた彼女は声を上げて喜んだ。
その姿は、もはや魔女のものではなかった。


僕は嬉しくなって、何度も何度もブーメランを投げ、そしてキャッチした。
その度に彼女は少女のように嬉しそうな歓声を上げた。

僕は何故だか分からないが、彼女が僕より幼い少女のような気がしたのを覚えている。
僕よりも何十歳も年上なのに、そんなに無邪気に喜んでいる大人を見たのは初めてだったからかもしれない。


後々聞いたことだが、彼女は高名な木工作家だったそうだ。
日本はおろか海外でも有名な作家で、その作品は高額で取引されるということだった。



僕は今でもまだ彼女が作ってくれたあのブーメランを持っている。
ずいぶん色あせてしまったが、男の子と二匹の犬の姿は健在だ。

赤澤君は僕にブーメランを譲ってくれないかと何度も言ってきたが、僕はその度に断った。
もちろん、他の誰かに売るつもりもない。

何しろこれは、僕が初めてキャッチしたブーメランであり、僕と魔女との思い出の品だからだ。



ブーメラン
狩猟やスポーツに使われる棍棒の一種。かつては飛去来器とも訳された民具である。
大型のものを除けば、手で投げて飛ばすことができる。投げた後にある程度の距離を飛行した後に手元に帰ってくる種類が特に有名であり、一般にブーメランといえばこの種のものが連想される。
-Wikipedia

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