「愛のことば/スピッツ」を聴くと考える”愛”のこと


スピッツの曲は受け手によって解釈が異なるところが素敵なのだけど、中でも「愛のことば」はその印象が人によって大きく異なる曲だと思う。

タイトルの「愛のことば」を「好きだよ」とか「愛してるよ」と言ったものと重ねて“恋人同士のラブソング”ととらえる人もいれば、「焦げくさい街の光がペットボトルで砕け散る」で爆弾により街が燃える光景を想像し“反戦歌”と受け取る人もいる。
作詞した草野さんは詞の意味を明言しないスタンスの人なので、何が正解かなんて語るのは無粋であり、各々の解釈の違いを楽しむのが良いと思う。
(仮に作り手が詞の意味を明らかにしていたって、どう受け手が解釈するかは止められないものとも思う。私自身は正解を知りたいと思う反面、知ることでそれ以外の解釈が切り捨てられるのは悲しい)

私はこの曲を壮大な愛の歌だと思っていて、その“愛”というものは“神様”とか“慈悲”とか“優しさ”なんていうワードに近いと思うのだけど、それは宗教的なものに近そうで、でも教えのような意味がないから宗教とも違っている。

「昔あった国」「違う命が揺れている」というように、人に限らず国といった概念だって生まれて死んでを繰り返していて、そんなどうしようもない掟の上で私たちは生きている。
「煙の中で溶け合う」のは戦火の中とも取れるけれど、もっと広い意味での厳しい状況を私はイメージしていて、そんな状況で人はどうなるかといえば、立ち向かうでもなく、自棄になるでもなく、愛のことばを探し続ける。「これ以上進めない」くらいの絶望的な状況であっても。
そんな中で見えた神様というべきもの。それこそが「愛のことば」だと思うのだけど、それに対してどうしたかというと「心の糸が切れるほど強く抱きしめる」だなんて。

愛を求めて彷徨い、雲間からこぼれるように差し伸べられたそれを抱きしめるとき、もう心の糸が切れてもいいとさえ思うのだ。
心の糸をつなぐ為に愛を探していたと思うのだけど、極限の状態では心の糸が切れてでも愛を求めてしまうのが人間という生き物だ。

これを聴いて私は“愛は素晴らしい”みたいな結論にはなれなくて、本当に崖っぷちの暗闇の中に立たされても愛を求め続け、簡単に諦められない人間の仕組みがなんだかもどかしくなる。

愛を歌う曲は世の中に数あれど、こんな気持ちになる歌を私は他に知らない。
ある意味で「ラブソング」なのだけど、こんなにも大きな意味での愛を描き、結論を聴き手に委ねるという唯一無二の歌だと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?