「好きになってごめんなさい/吉本坂46」を聴いて思い出した中学時代の出来事

学生であった頃の記憶がだんだんと霞んできた年齢だが、いまだに覚えている印象的な先生が何人かいて、そのうちの一人は中学3年の時にクラスの担任教諭だったI先生である。

社会の男性教諭で、佐藤二郎風の風貌と飄々とした態度と生徒に媚びない落ち着いた感じが好きだった。
通っていた中学では毎日数行の日記をつけて担任に提出するという謎の風習があったのだけど、そこに当時発生した少年のバスジャック事件について「許せん!」という感想を書き殴ったところ、先生から「僕は少年法反対です」といった趣旨の長文のコメントが記載されて戻ってきた。
先生というものは社会ニュースに対しての意見を言わないと思っていたので、自分の考えを生徒に伝えようとしてくれる姿勢にすごく好感を持った。

そんな感じで基本は穏やかでたまに熱心に語る先生だったのだけど、一番印象に残っているのはある日の放課後、クラスの人気者・体育会系女子であるAちゃんが泣き出した時のことだ。
それは、学生生活を華やかに謳歌しているタイプのいわゆる1軍の男子たちが、クラスの地味な男子代表のようなM君を囲って「好きな人は誰なんだ」と詰め寄ったことが始まりだった。
大柄な体格と対照的に声の小さいシャイなM君は周りの雰囲気に追い詰められたのか、溢れる思いを抑えられなかったのか、Aちゃんの名前を口にした。
おとなしい彼にも気さくに話しかける社交的な彼女に思いを寄せるのは不思議なことではなかった。
そこから事態は一変。常に祭りにするネタを探しているような男子たちは冴えないM君がマドンナAちゃんを好きだという事実に飛びつき囃し立て、「告白しろよ」とM君を校門に立たせたのだった。
外でそんな状況になっていると耳にしたAちゃんは、どうしていいかわからなくなって教室でおろおろと泣き出した。
私をはじめそこに居合わせた女子たちはAちゃんを囲って「大丈夫?」「一緒にいこうか?」「しばらく待つ?」などと当たり障りない言葉をかけるしかできなかった。
私は心のどこかで「こんなことになるとは、Mみたいな奴に好かれるのも大変だな…」なんて思っていた。
I先生はいつも放課後しばらく教室にいるのだけど、基本的に教卓で淡々と作業をしていて、きゃっきゃ騒ぐ私たちには積極的には関わらなかった。
ただその日はそんな私たちの様子をしばらく見ていた後、つかつかとAちゃんの元に寄っていき、こう言った。

「あのな。Mは悪くないからな」

先生はAちゃんを慰めるより先に、ただ恋心を抱いてしまっただけのその場にいないM君を庇った。
もしかしたらこんな状況になってAちゃんはM君を避ける事になるかもしれないし、なんなら嫌いになるかもしれない。でも悪いのは囃し立てた周りの人であって、これを理由にM君が嫌われるのは酷だ。
別にAちゃんがM君の愛の告白を受けようが断ろうが自由なのだけど、囃し立てられるのが嫌な事と混同してM君を嫌いと考えるのは悲しい。
今この場で一番助けなければならないのはその窮地に知らないところで立たされているM君だということを先生はわかっていた。

「男子って最低よね~」なんて言いながら、同時にM君の評価も下げていた事に気づかされて、なんだか私は急に恥ずかしくなった。

あれから20年以上経って先生側の年齢になったけれど、私が今先生の立場に立ったとして同じような事を咄嗟に言えるだろうか。私は先生のような人になりたい。

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タイトルにした曲からだいぶ内容が離れてしまったような気もする…。
これは、曲を聴いてイメージした「好きになってごめんなさい」という主人公に、愛することは謝ることではないんだというアンサーエピソードというか、ごめんなさいと思わせないような世界になってほしいなという気持ちから思い出した出来事。

この曲に出てくる告白された男性は告白を真摯に聞いてくれる優しい人。なのになんで「ごめんなさい」って思うんだろう。
そこにはきっと「周りから見て不釣り合いだろうな」とか「私みたいな人に告白された事実がマイナスにならないかな」とかいう気持ちがあるからかも。
でもそれはそんな評価をする人が悪いのであって、好きになることが悪いんじゃない。
許されない恋や、迷惑をかける愛し方ってものは存在するけど、「好き」という気持ちそのものは責められるものじゃない。

とか言いつつ私自身なにかと「私なんかが…」みたいなこと言っちゃうタイプではあるんだけど。
ただ、少なくとも誰が誰を好きになってもそのこと自体はまっすぐ肯定できる人でありたいなと思う。


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