「テレフォン・ラブ/曽我部恵一」を一緒にライブで歌った先輩との名前のない関係②

前回の続きです。



その後も私とSさんの関係は相変わらず。特別親交が深まることはなかった。
でも私はなんだかSさんの存在が嬉しかった。

うまくいかない職場と大好きな音楽。その二つに接点がなくて、音楽は現実の逃げ場のような感じだったのだけど、Sさんがいることで音楽は逃げ場ではなく現実とつながった気がした。

仕事という現実の中に楽しい世界の色がじわっと滲んでいくような感覚だった。




「曽我部恵一のライブ行かない?」

だから、Sさんから2度目のライブの誘いを受けたときは嬉しかった。

なぜ曽我部恵一だったのかは未だに謎ではあるのだけど、今思ってもす絶妙なチョイスだと思う。

正直私は曽我部恵一に精通していなかったのだけど、Sさんが誘うライブに間違いはないだろうと確信していたし、私の好みかどうかではなく、自分の好きな音楽をまっすぐに誘ってくるところに信頼があった。


横浜で行われたライブには現地集合だった。
互いの住む千葉から横浜までなら最寄り駅で会っても良かったのだが、Sさんは現地集合を指定し、私はそれに安心した。
道中ふたりきりは間が持たないだろうし、気まずさに耐えるには横浜は遠かった。

会場で何を話したか今となっては覚えていない。
ただ自然と二人でぐんぐん前に進んで「テレフォンラブ」で「T・E・L・E・P・H・O・N・E~」の大合唱した事は覚えている。

会場全体に照明があたり、周りの観客の顔がはっきりと見えた。
皆良い顔をしていてすごく多幸感に溢れていた。ライブで演者よりも観客が印象に残ったのはこの時くらいかもしれない。

帰り道、あの曲が一番良かったと言うと、「あれはライブで定番の曲だ」と熱っぽく教えてくれた。

ライブ後は食事に行くでもなく直帰した。同じ電車に乗るにも関わらず帰りも横浜解散だった。


当時、私にもSさんにも恋人がいた。それはお互い知っていた。
私たちが二人でライブに行ったことは人によっては浮気と言われるのだろうか。

少なくとも当時の私たちは浮気どころか友達とも言えない関係だった。
でも、もしSさんが女性だったら、あるいは恋人のいない男性だったら、またちょっと違ったかもしれない。

同性だったら、ライブに行くとなるともうちょっと仲良くしなきゃ、みたいな気持ちが働いたかもしれない。でも私はSさんに対して異性で先輩で恋人がいる人ということで無理に距離を縮めようとしないでいたし、それが自然だった。

結果、恋心も友情もない単純に音楽を楽しむ共通の趣味の人という不思議な居心地の良い関係となった。



その後私は付き合っていた恋人と結婚し、それを機に異動転勤をした。

私が経理部を離れてからはSさんと全く接点はなくなってしまったが、Sさんが長年つきあった彼女(それは社内別部署の年上女性だった)と結婚したことや、出世して経理部の役職についたことは社内の情報網で聞いている。



なぜあの時、Sさんは私をライブに誘ってくれたんだろうか。
答えなんてわからないけれど、Sさんはきっと部内でやりづらそうにしている私に共鳴してくれたんだと思う。

あの時の私たちは表向き大きな問題もなく仕事をしていたけど、なんとなくお互い部署内で自分は色が違うような違和感を持っていたと思う。
そしてたまたま二人とも音楽が好きだった。

まぁ、部署を逃げ出したかった私とその後順調に出世したSさんは全然違うし、互いにポップな仕事の愚痴しか言ったことはなかったから気のせいかもしれないけど。

でもSさんは気軽に女性の後輩を連れ出すタイプには見えなかったし、なんとなくSさんにとっての私も「つらい仕事に音楽という好きなものを入り込ませて気持ちを楽にする」ためのツールだったんじゃないかと推測してしまうのだ。


その後、私はSさんと会わないまま退職をした。
きっともう会うこともないでしょう。


私はSさんが今どうしているか、あまり気になってもいない。
でも、気持ちを寄せ合わなくても、同じものを肩を並べて共有することがあんなにも支えになったあの関係性が、なんだか愛しくなる時がある。


・・・・・・


Sさんと行ったライブの後、たまたま見た「佐野元春のザ・ソングライターズ」で、曽我部恵一がテレフォンラブにまつわるエピソードとして、既婚者でありながら元カノと電話をしていた話をしていた。

別に元カノとどうのこうのなっていた(なりたかった)訳ではなく、単純に彼女の事が心配だっただけというが、それはなかなか理解されなかったそうだ。

同性と違い、異性との関係は白黒はっきりつけなくてはならない場面が多い。
でもきっと世の中には異性だからこその、どうにも言葉が見つからない関係も存在していると思う。


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