「weekend warrior /80kidz」で踊った先輩との名前のない関係①


Sさんとは社会人3年目の時に出会った。
職場のひとつ年上の先輩だったのだが、私は未だにあの時の私とSさんとの関係性や感情の名前がわからない。

当時私が配属されたのは、それまでのキャリアからは結び付かない経理部だった。

経理は専門職みたいなもので周りは長年やっている人ばかり。
「科目??」「仕訳??」状態の私には完全についていけない世界だった。

そして、そこは閉鎖的なコミュニティの部署だった。
あまり他部署との接触もなく、取引先とのふれあいや現場の慌ただしさを感じることもなく内輪的な傾向になっていくのは仕方のないことかもしれない。

そんな中だと人間はどうしても身内の行動が目についてしまって、「今日のあの人の服装ウケる!」なんていう軽い陰口や「部長が最悪」という定番まで、OLもののドラマで見たような景色が日々繰り広げられていた。

私はその中でかっこよく一匹狼になることもできず、輪に入ることもできず、目立つお姉様たちの隅っこという立ち位置を確保し、ヘラヘラと茶を濁すという日々を過ごしていた。
仕事もできず周りにも馴染めず、このままどうなっていくのか不安ばかりが募っていた。



Sさんは、部長クラス以外は全員女性という環境の経理部唯一の若手男性社員だったが、害がなさそうな人柄とメガネの印象ばかり残る地味な容姿で、女だらけの職場でも浮かない存在だった。
かといって周りと特段仲良くやっている印象もなかったが、女だらけの職場ではそれはそれで良い距離感であり、上手く泳げているように見えた。


「ねえ、カウントダウンジャパン行かない?」

私がSさんとロックフェスで年越しをすることになったのは突然のお誘いからだった。

私の隣の席は共用ソフトの入ったパソコンが置いてあり、必要な人が都度座る形式だったのだが、Sさんはそこにふらっと現れキーボードを叩きながら唐突に私にそう言った。

「いいですね。行きましょう」

私は反射的に誘いに乗っていた。

Sさんとは仕事終わりに複数人で食事に行ったことがあった。
それはSさんと同期の女性が誘ってくれた飲み会で、同じ部署ながらほとんど話してこなかったSさんと話をする機会となったのだが、私はそこでSさんを意外と愉快なキャラクターの人なんだと知った。
一方でこの人のそのキャラクターは仕事中封印されているんだと気づいた。

そんな些細な交流はあったが、いかんせん一緒に年越しをするには唐突すぎる間柄。
でもSさんとはお互い邦ロック好きなことを飲み会の薄い情報で知っていたからかなんなのか、その時はあまり違和感がなかったのだ。


大晦日が近づき、職場で同僚と「年越しをどう過ごすか」なんて話題になることもあったが、なんとなく私はSさんとライブに行くことを言わないでいた。


どうせ話したら彼女たちは「二人で年越し?どういう関係??」と言ってくるだろうから。
どういう関係も何もあなたたちの見たままの関係だが、理解してくれる気がしなかったし、なんとなく誰の目にもつかないでひっそりとさせたい関係と思っていた。


12月31日、バラバラで会場入りした私たちは距離が縮まることも縮めようとすることもなく、見たいアーティストが被った時だけ一緒に音楽を楽しんだ。
結果、年越しの瞬間は別々のステージを見ていたけどそれでよかった。

あるアーティストのステージを見ていた時、Sさんがふと「…あんまりこの曲好きじゃないな」とつぶやいた。
私は嫌いなものを語る人が好きではないのだけど、その後に語られた理由に納得してしまった。

「だってこの曲は踊れないから」
「自分が踊れる曲が好きなんだよ」
とSさんは言った。
私は曲の好き嫌いの基準でこれ以上感覚的なのに反論の余地がないものを知らなかったので、なんだかかっこよく思った。

その後「かっこいい曲を紹介する」と連れられた80KIDZの深夜2時のステージでSさんは運動音痴の権化のような妙なステップで踊り始めた。

その姿があまりにも自由で素敵だったので私もその世界に入ってみたくなって一緒になって踊った。
いつも地味なくせに、正月の真夜中に踊っている自分がなんだか笑えた。
それがちょっと気持ちよかった。
私がライブで恥ずかしげもなく踊れたのはあれが最初で最後なような気がする。

ライブも終わり、元旦の始発の電車がやってくると、「じゃ、実家帰るわ」とSさんはそそくさと東京駅に向かった。ライブの熱気を纏いながらも帰り際はあと腐れなかった。


※つづきます


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