2021/10/26

今日のお昼は焼き鳥丼でした。
最近、職場の後輩の距離の詰め方が逃走中のハンターかってくらい早くて普通に「どんな体位が好きですか?」って聞いてくる。普通知り合ってすぐの先輩に好きな体位聞ける?俺は聞けない。俺は人との距離感を必要以上に丁寧に図ってしまうから。好きな体位は騎乗位です。宜しくお願い致します。

この人友達つくるの上手だなーって人がいる。リアルで言えばいつの間にかみんなと仲良くなっていていつの間にか一緒に遊んだりしている人だったり、Twitterでは仲間内で空リプしあったりめちゃくちゃ頻繁に話しかけられたり話しかけたりしている人のことだ。これらの共通点はなにかって考えると「話しかけられやすい人間であるか」ってことだと思う。
では「話しかけられやすい」と「話しかけにくい」の差はなにかと考えると...う~んなんだろうか。要素が色々あるように思えて、これだ!と言う答えを絞るのが難しい。ちなみに俺は話しかけにくい存在らしい、何をしているか分からないし、何考えているか分からないから凄い話しかけにくい存在らしい。

他人からそう思われている俺であるがみんなと仲良くなりたいと常々思っている。けど、先週の土日も俺は寝てゲームしてるだけで誰かと遊びにいくこともしなかった。恨めしい。自分の社交性の無さと行動力の無さが恨めしい。お母さん、俺は東京でこんな生活をしているけど何とか生きています。生んでくれてありがとう。うっ...うっ...

東京で一人チン毛を散らすだけの生活をしない為にも「話しかけられやすい」人間になる必要がある。何故「話しかけられやすい」のか、一つ目にこれは当然だが自分がどんな人間かはオープンにしておく必要がある。朝、電車で隣り合ったよく知らないおじさんに話しかけないのと一緒で、知らない人間にはそもそも興味が湧かない。しかし、自分の情報、属性をオープンにしておくのはこのSNS社会において当然のことであり今時なんらかのSNSで各々が自己プロモーションをしているので自己アピールをするなんて事は大概の人がクリアしている。

ではそこから一歩踏みこんで、より「話しかけられやすい」人の特徴はなにか。それは「他人の悪口を言わない人」であると思う。これも当然の事じゃないか、と思われるかもしれないがこの定義をより詳しく言うと「他人の悪口は言いませんと宣言している人」と言うのが正しい。

世の中は性悪説が信じ込まれているのかただ自意識が高いだけなのか分からないが、現代人はどんなに上手に生きていても「他人は俺の事悪く思っているかもしれない」と心の中で常に思ってしまう性質があるように思う。この不安を解きほぐしてこそ人と人は真に仲良くなれる。つまり「俺は他者の悪口は言いません。なぜなら悪口嫌いなので。」と宣言することで、他者からこの人と仲良くなりたいと思われ話しかけられやすくなるのだ。

「他人の悪口を言わない」ってのは人付き合いの基本ではあるのだがこれが意外と難しくて、俺もたまに言ってしまう。冗談で「お前乞食かよ!」とか言ってしまうので普通に反省をしなければいけない。俺が反省することは太っているとか髪型がダサい以外にこういう根本的なところにある。

ついでに自意識の話をしてもいいですか。俺はかなり自意識が高くて今回の「他人が自分のことを悪く思っているかもしれない」なんて仮定も俺の自意識の高さ故に出た仮定なのだが、俺がどれだけ自意識高いかと言うと、凄惨な殺人鬼のニュースなんかを見ると「俺がこの犯人の傍にいてあげれて犯人の人にとっての支えのような人間になれたらこんな事件も起こらなかったかもしれない」と思ってしまうくらい自意識が高い。普通に考えてそんな人間になれるわけないだろと思うのだが、俺は時々思ってしまうのだ。しかし、現実で人が人の支えになるなんてことはほんとに少なくてみんな自分の足でそれなりに歩いている。その生活の中での余力を使って人は愛し合ったり友情を深め合ったりしてるだけなのだ。各々がそれぞれ自分の為に生きていて、他者を意識の中に入れるのはほんとに稀。ならば他人からどう思われようが気にしません、ってスタンスで生きていくのが賢い生き方だ。

けどそれでも他者が気になってしまう。褒められたいくせに褒められたらどうしたらいいか分からない。これが俺だ。

こんなめんどくさい人間は家でチン毛を散らしているのが正解である。とにかく人の悪口はいわないように気を付けていきたい。

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