豪坂玉雄(24)の場合

#いいねした人の小説を書く
〜@go_zzzz0904編〜


豪坂玉雄は飽きていた。
彼は稀代のテクニシャン、尾張の麒麟児と呼ばれ、14の頃から男の金玉と陰茎を吸引し始め、その超絶テクニックはすぐさま男色家の中でも有名となった。彼は幼き頃は自分の欲望のままに男を貪ったが、やがて自分の才能に気づき、これは自らが恣意的に振るって良い力ではない、このままでは私が陰茎を吸い上げた人間は私なしでは生きられぬ廃人となってしまうと自覚。18にして有名売り専に所属し、自分の力を管理された社会の中で発揮し、SEXした相手の社会生活を壊さぬようにと努めた。それでも豪坂の実力は抑えられるものではなく、20歳にして売り専の暖簾分けを許され彼はそこからというもの真摯にSEXへと向き合った。ピロートークの充実を図るために積極的に他業種の知識を吸収、21の頃にはヨーロッパへとSEX留学を敢行。ヨーロッパの繊細な技術を身に着け、次はそのままアジア大陸へ。東アジアでは新時代のSEXテクを学び、着の身着のまま中南米へと飛び、身体の謝礼だけでヒッチハイクを乗り継ぎパタゴニア大陸を横断した。そうして24の頃、日本に帰ってくる彼は人生の酸いも甘いも噛分けた一流売り専スタッフとなっていたのである。

銀座の一等地に売り専店舗を構えた彼の下にはいつしか政界の有力者たちや超一流芸能人が足しげく通うようになった。乱れ飛ぶ資本、ますます彼の地位は盤石なものになり、若手天才売り専スタッフとしてメディアにも陰茎等を露出。店は大繁盛し、彼の売り専店舗は半年も経つうちには全国に4千店の支店を持つ一大企業と相成った。

その実績に裏打ちされた自信は留まるところを知らず、彼は言わば調子に乗っていた。もはや売り専業界において彼の右に並ぶものはおらず、突き詰めるべき伸びしろも存在していないのであるから当然ではあるのだが、彼の研鑽と緊張の糸はぷつんと切れ、腕を持て余した。正直適当に接待しても全員泣きながら気持ちいい気持ちいいと言うし、偶に陰茎をしごきながらお尻の穴でも弄ってやれば

「俺、今までお尻は感じなかったんですけど、豪坂さんに弄られてから感じるようになりました!俺のお尻も喜んでます!見てくださいよ!見てくださいってば!!」

などとお決まりの御託を並べられるのが当たり前になっており、豪坂にとっての手マンは「実はウケのくせにリバだとごたごた言う奴らのポジション変更を口外させるためだけのツール」になってしまっていた。
豪坂の地位を揺るがすものはなにもなく、自分がSEXをすればそれを受けた相手が感動するまでのルーチンワークになっており、じゃあどこまで行けば、どこまで外せば相手の意表を衝けるのかという自分の中での不毛なチキンレースを開催することでしか刺激が得られない人生になってしまっていた。

「もう今日はなにもしません。半日デートした後、ホテルに来たわけですが逆に何もしないというのが俺の最高の売りです。」

「なるほど。半日のデートで豪坂君のかわいらしさを存分に堪能した後で逆に何もしない。ありがちなSEXなんかじゃない、言わば放置プレイという新たなプレイだね。これはとても興奮します。勃起が止まりません。」

豪坂の中ではお前一日デートコースで3万5千円も払っておきながらなにもせんとはどういう了見じゃい!と腹パンされるところまで期待していたのだが、結局はあの豪坂君の演出には驚かされるばかりだねぇ!と、なにもかもが好意的に取られてしまう結果となった。最早根底からSEXを覆す類の行動をしなければ客は不満を言わないと半ば絶望し、彼はいきなり休暇を取りアメリカのネバタ州はラスベガスへ観光に行き、カジノでしこたま遊んだ後黒人ゲイの陰茎を触る旅に出た。
その旅の途中、ラスベガスから北へ134キロ、アメリカ空軍の試験場であるエリア51で宇宙人を発見。彼のSEXテクニックは宇宙への挑戦権を得たのである。

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