佐藤翔太(30)の場合

#いいねした人の小説を書く   
〜@Schrotter_編〜



〜佐藤翔太の独白〜

私、佐藤翔太はモテる人間に対する劣等感で生きていると言ってもいい。モテが羨ましく、恨めしくてしょうがないのだ。
このモテる人間というのは単にモテているというわけではなく、マルチな才能を発揮しているのがさらに厄介なところだ。歌が上手かったり、楽器を弾けたり、ダンスができたり、人付き合いが上手だったり、おしゃれだったり、スポーツが出来たり。
顔がいいだけで良いものを付加価値までつけてくるんだからこんなの嫉妬するなと言っているほうが土台無理な話だ。顔の良さをベースとして複数の趣味と実益を兼ねた自己表現の方法を持っている人間に対して、私は偏執とも呼べる嫉妬を覚えることが多くある。顔が悪くて多才な人には特に妬みや嫉みめいた感情は起こらない。頑張っているな、と思う。私は終わっているのかもしれない。

こういうことを他者に話すと、あなたにも誇れるものが沢山あるでしょう、と言われる。私が他者より少し優れているところと言えば、有名大学を出て有名会社に入り、人より少し多く賃金をもらっているくらいだ。ただそれは、記憶のない茫漠とした高校時代を過ごしただけの成果であって、勉強をする時間が無数にあっただけに過ぎない。そうじゃないのだ。私が嫉妬し、望む豊かさとは、クラブ音楽だかなんだかの伴天連音楽をボリュームのつまみを右に捻りまくった挙句、酒を浴びるように飲み、耳で音を聞くのではなく体全体で音を感じるような人生の中でしか培われない感性そのものなのだ。しかもこういうセンスで人生を渡り歩いてる奴は勉強までできることが多い。勉強まで、できるんじゃないよ。

劣等感、という感情は人間の行動のエネルギーになることもしばしばだ。劣等感をバネにしてトルクにしてバルクにして、人間ははるか彼方へと飛んでいく。形而上学を物理学に置き換えるとしたら、劣等感は人間には必要不可欠のエネルギーなのだろう。

しかし、劣等感という言葉は安易に使ってはならない。
既にこの世界での地位を得て、名を築き、ガチムチのモテと言ったら彼だねという人がいる。こんなインターネットというものがあるから、上に立つ人間の感情、心情は嫌でもおしなべて私の目に入る。

私の筋トレのモチベーションは他者との劣等感です。
顔も良く、体も引き締まっていながらもその上には丁度良く脂肪が乗っていて、ナイトイベントでは必ずと言っていいほどその体をステージの上で披露していて、局部を見せずにチラリズムを意識させるだけの体の見せ方をしているSNSでは大バズりを連発する。そんな人間がこういうことをいうのだ。
その場所に上り詰めるまで、くすぶって底を這っている人間も踏みつぶすほどいる中で、そんな人たちのロイター版として劣等感がある。しかし、酷なことにその劣等感にも多寡での優劣があり、踏切りでの熱量に勝った人間が上へ上へと登っていける。要は何が言いたいかというと、もうそこまで登ったら十分でしょう、男も週3で抱いています、そのうち一回は複数です、一丁上がりです、といった人間すらも今でも劣等感を感じているぞ、この地獄に終わりはないぞ、と宣言しているのだ。顔面が良くて、男も抱いているのだから勝ち誇っていてほしい。もうこっちの世界の男は全員抱いてやることないので、世界平和とか願うとこまで来てます。とか言ってほしい。隔世を感じさせて欲しい。彼すらも劣等感という同じ土俵で戦っているという事実が分かってしまうと、私の劣等感が、存在が私より濃い色で塗りつぶされてしまう感覚を覚える。

今やSNSの発達によりマウントの取り合いが横行していて、縦でも横でもどんな軸でもマウントの取り合いだ。私の方が不幸です、俺の方が酷いぜ、なんて言いあう傷の舐めあいはもう流行らないが、そうでもしないと私は私以上の誰かに存在を塗りつぶされてしまう。
不毛だ。マウントも傷の舐めあいも不毛なのだ。私は強くなりたい、劣等感なんて土俵で戦わない孤高の強さが欲しい。でもどうすればいいのだろうか、私は少し考え、特にいい案を思いつかなかったので、BYGGYM DATA MARKETで1万円をチャージした。お金を遣って、エロビデオを買えば一旦スッキリするからだ。


今からシコるので出て行ってください。

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