犬塚シュウ(28)の場合

#いいねした人の小説を書く  
〜@Sirius_groove編〜


エリはある男の事を考えていた。エリがそんな事を考える理由は大きく分けて二つある。
一つはエリは男が好きだからだ。世間一般で言われる男好きと呼ばれる人物像に近しいと言っていい。エリの人生において彼氏がいなかった期間など小学4年生の10歳の初恋の頃から一度もない。そこから期間の長短はあれど、エリの隣には常に男性がいた。それはエリが望んでいた事でもあるし、エリの顔の良さがそうさせた事でもある。身長は低く色白の痩躯、目は誰によって?と見紛うばかりのキリリとした二重、瞳は大きくて吸い込まれそうなほどであり、実際に何人かはこれで人を吸い込んでいる。まつ毛もこれでもかとばかりに長く、顔は夜空の星より小さい。女性的、雌としての魅力を多く備えた身体を両親から与えられた故の男好きでもあった。
二つ目はエリが今考えているある男、彼が余りにも今まで見たタイプの男と違うからだ。大抵の男はエリを見るなり多少なりとも好意の目を向けてきたものだが、彼は違った。彼の目はまるで伽藍堂であり、どこを見据えているのか分からなかった。もっと正確に言えば、確実に"どこか"を見ているのだがそれをエリが察することは到底出来ないように感じたのだった。仕事、恋愛、お金、そのどれでもないものを彼は常に見ていた。だからこそエリは彼に興味があった。それは恋愛の始まりのようでもあったし、子どものような好奇心のようなものでもあった。彼、犬塚シュウはそんな不思議な魅力を備える人物だったのである。

エリとシュウは同じ職場であるからして、仕事の話題で話す機会も多かったし、飲み会の時に儀礼的にLINEを交換したので連絡先も知っている仲である。しかし、エリはシュウの事をなにも知らなかった。職場で見る限り、シュウは寡黙で、真面目であり、容姿にもそれほど頓着していないように見えた。世の男性が一般的に興味を示すであろう車や腕時計といった分かりやすい男らしさのイコンにも興味を示さない。しかし、筋肉だけは側から見ても凄まじく発達しており、小柄な身体ながら筋肉がはち切れんばかりに詰まっているような体格をしていた。プロテインとカフェイン以外にはお金を一切使わず、自分の貯金が一体いくらあるのかも分からないといった、浮世離れしたイメージをシュウは纏っていた。

エリはシュウの言ってしまえばその得体の知れなさに惹かれた。今まで付き合ってきた男性とは明らかに違う。容姿も考えも自分を見る目も何もかも違う彼を捕まえてみたいとそう思ったのだ。エリは今まで捕まえられるばかりだった恋愛を自分から捕まえに行くというパラダイムシフトを起こそうとしたのだ。

「シュウさん、今度休み一緒ですよね。良かったらご飯とか行きませんか?」

「すいません。その日は映画を観に行く予定で。」

「お友達とですか?」

「いえ、一人です。」

「あ、じゃあ一緒に行っても?」

「ごめんなさい。映画は一人で観るのが好きでして。すいません。お先に失礼します。」

撃沈だった。エリの人生に誘いを無碍にされた経験など一度としてなく、まずは怒りが湧いてきた。

なんなんだ、あの男は。こちらの丁寧な誘いをあそこまで綺麗に躱せるものなのか。断る判断があまりにも素早すぎる。あの体格で素早いのはかなり怖いではないか。そもそもなんなのだ、あの筋肉は。筋肉によって意識が肥大する人間がいると聞くが、彼はそれなのではないか。もはや意識が筋肉に操られているから、あそこまで浮世離れしてるのか。力を得れば万能感が得られるならば、身体の大きい奴の勝ち、つまりアメリカの勝ちでないか。暴力によってこの世を統べたとしてなんになるか。筋肉が偉いのであってお前が偉いのではない。なめるなよ、良い加減にしろよ。と、今すぐ彼を追いかけて階段の上から彼にクロスチョップをかましてやろうと考えたが、怒りをグッと抑えた。

そして怒りの次に湧いてきたのは、焦りだった。
どうしよう、分かんない。
今まで誘いを無碍にされた事などないエリであるから、自分に興味を示さない彼に次はどのような手を打ったらいいかまるで分からなかったのだ。無碍にされたのだから、もう気にかけなくても良いものではあるのだが、エリにはそれが出来なかった。思考の中にあるのは、次はどうしようか、というシュウに対する事だけだったのだ。

それからのエリは挙動不審となった。シュウを目の前にすると落ち着きがなくなり、オフィスを意味もなくウロウロしたり、ドアを開け閉めしてしまう。仕事で仕方なくシュウと話す時には顔が沸騰しそうなほど熱くなった。エリは色白の肌であるから、その変化はまるで茹でたカニのようにであった。

彼のことをもっと知りたいと思った。この人は何を食べるのだろうか。職場ではコーヒーを飲んでいるのしか見た事がないのが、普段は何を食べているのだろうか。やはり鶏肉とかだろうか。米は食べるのだろうか。パンは食べるのだろうか。麺はすするのだろうか。彼の不思議な魅力は人間が必要な栄養素以外で構成されている故ではないだろうか。岩とか?あの男らしさは岩とかを食べてるんじゃないだろうか。岩を薄く切ってマグマとかにつけて食べてるんじゃないだろうか。マグマと酢醤油で。
マカロンとかも決して食べないんだろうな。人生で食べるマカロンの総量はせいぜい2.3個だろう。私は彼の人生何回分のマカロンを既に食べてしまったのだろうか。

エリは知らぬうちにシュウの魅力に囚われていた。今までの恋愛経験など吹けば飛ぶ軽いものとしてエリの中で崩れ去り、自らが追いかける恋愛の難しさを痛感していた。しかし、その今までの恋愛経験がエリを奮い立たせた。
私は驕っていた。恋愛を享受し続けていた。人は皆立ち上がるところから人生が始まるのに、恋愛において私は既に立ち上がった後、喝采の中から私の恋愛は始まっていたのだ。ならば、基本から始めなければいけない。千里の道も一歩から、しかしローマは一日にして成らず、着実に少しずつ距離を縮めていかなければいけない。まずは、ご飯に誘おう。そして彼の事を知るのだ。そしてデートに誘い、告白する。デートは何が良いだろうか。彼は映画が好きと言っていたな。ならば映画に行こう。映画好きは映画の行間を読む。私の浅い映画知識であのシーンが良かった、このキャラが良かったと言ったところで一言二言で終わってしまうだろう。だから彼を映画に誘い、そして余韻をたっぷり持たせ、何も語らないでおこう。彼は映画の余韻楽しみ、私は彼の隣にいる事に楽しむ。これでいいではないか。あとはジムだ。ジムにも行こう。ジムに行っても私に出来ることは何もない。八方塞がりだ。右に行っても左に行っても彼とは上手く行く気がしない。けど、それでいい。しかして、その行動自体に意味がある気がしてならないのだ。

エリはそう決心してまずはご飯に誘おうと決めた。今日は二人とも夜勤で朝方に仕事が終わる。朝ご飯でも軽く誘えばいい。休日にご飯を誘うよりかは幾分軽い気持ちでいけるだろう。よし、いくぞ。頑張れ、私。ここから始まる。お待たせしました。

「シュウさん!この後、朝ご飯でもどうですか?!」

「あ、ごめんなさい。この後、海に行くことになってまして。」

「う、海ですか?」

「はい。海です。呼び出されまして。では、失礼します。」

どういうことだ。なんなんだ、あの男は。この時間から海?ふざけるんじゃあないよ。呼び出されたかなんだか知らないが、そんなのあり得るのか?体良く断られただけなのでは?私は彼を問いただして、バックブリーカーにかけたい気分に襲われたが、彼が本当に海に行くというのならついていってみようと思った。
仕事終わりに海。いいじゃないか。朝日の出る砂浜でバックブリーカー。やってやる。

私は仕事終わりの彼の後を尾行した。彼は職場前からタクシーに乗り、都心を離れ、確実に海へと向かっていた。運転手さん、前の車を追ってください、なんて言う日が来るとは思ってなかったが、今日がその日だった。

海岸近くでタクシーを降りた彼は堤防を少し歩き、やがて近くの砂浜でちょこりと座った。携帯をしきりに見ているので、誰かと待ち合わせしているのは確実だろう。
私は彼に気づかれないように離れて歩き、後ろの方から彼が砂浜に座るのを見ていた。物憂げな彼の表情がなんとなくわかる距離だ。

しばらく待った。そうすると私の方が急に後ろから声をかけられた。

「あの、ちょっといいですか?」

驚いた。なんなんだ、この男は。背格好はシュウさんとほとんど同じで少し身長が高いくらいか。同じく筋肉をその身に纏っているのが服の上からでも分かる。流行っているのか、筋肉が、禁止薬物でも出回っているのか、良い加減にしろよ、と思いながらも応える。

「はい。なんでしょうか?」

「僕、最近分かったんですけど、人を好きになるって案外苦しいんですよね。今まで好きになられるばっかだったから分かんなかったんですけど。相手にどうやって喋りかけようとかなんてLINEの返事をしようとかすごく考えちゃって。けど、そんな自分が自分らしくなくて少し苦しいんですよね。」

私もです。とつい口に出しそうになった。この男が思ってることと全く同じ事を私も思っていた。なんなんだ、一体。仕事帰りに海。砂浜。私と同じ境遇で彼と同じような筋肉。恋。悩み。不思議な世界に私はいるのだろうか。

「分かりますよ。私も同じです。難しいし苦しいですよね。自分からする恋愛って。けど、好きになったらもうそれはしょうがないじゃないですか。私は私です。なら、私が出来る事を少しずつやっていくしかないと思うんですよ。距離を縮めて、手を握って、好きですって告白するんです。そうすれば、今までの苦しみもきっと良いものだったって思えるはずです。千里の道も一歩から、ローマは一日にして成らず、ですよ。あなたが誰かに告白しようと考えてるなら、あなたがしたい事をすれば良いと思います。自分らしさなんて、関係ないです。あなたならいけますよ。グッドラック。ボンボヤージュです。」

滑るように言葉が出てきた。私が今まで考えてきた事なのだから、淀みなくすらすらと話せて当然なのだが、何故だかこの相手に親近感が湧いてしまい、どんどん言葉が湧いてきたのだ。

「そう、ですよね。ありがとうございます。」

彼は前を向くと、走り出した。丁度シュウさんがいる方に。そして不思議な事にシュウさんの前に立つと大きな声で言った。

「好きです!付き合ってください!」

お前が告白するのかよ。


エリは二人によろよろと近づき、そしてシュウの瞳を見た。今までなにも捉えてなかったかのような瞳に、先程エリに話しかけてきた男が映っていた。その瞬間、エリは理解した。
彼が何を見ているか分からなかったのは、私と同じところにいたからだ。私と同じとこにいて、私と同じところを見ていた。全く同じ場所に立ってれば彼の瞳の中など見えるはずもない。そうだ、彼は私と同じ、"男好き"なのだ。

私は駆け出した。同じような筋肉ダルマの二人の下に行き、二人まとめて両手で抱き寄せて、背中をワシャワシャした。何故だかそうしたい気分だった。

「私も、男が好き!」

これがエリの最初で最後の失恋であった。朝日が遠慮がちに海から上がってきていた。

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