2021/07/13

先週の土曜日に新宿のゲイバーに行ってきた。緊急事態宣言がされる直前とは言え、酒を飲みに行くなんて不要不急のなにものでもないだろ、という指摘はごもっともだ。ただ、人から誘われて嬉しかったのでつい行ってしまいました。俺は家で一人でいるときはゲームとオナニーくらいしかしていないカスで、Twitterなんかを時々見ては寂しい寂しいと呻きながら琥珀の中に閉じこもっている人間なので声がかかると過剰反応で飛びついてしまうとこがある。だからと言って酒飲んでいいのかよというのは「ほんとにそう」なので、打首にされ市中に首を晒されても文句は言いません。抵抗はします。拳で。

当日はデブも専ナイトというイベントも開かれていたこともあって新宿2丁目自体に人が多かったように思う。ゲイバーに入ってもTwitterで見たことあるような顔や身体が良すぎる人間がたくさんいて、わぁ新宿って東京って凄いなと思った。顔や身体が良い人間もわざわざ危険を冒してまで人と喋りにくるんだなとも本気で思った。顔や身体の良すぎる人間は身内で楽しくやってるイメージがあったので。

ゲイバーは店子と呼ばれる店員さんがお酒注いでくれるのだが、この店子って人がほんとに凄くて今日はそれを書くためにわざわざインターネットに不要不急を晒すハメになっている。この時世にインターネットで不要不急を晒すなんてちんぽこ晒すよりも危険性が高いのだが。
何が凄かったと言えば彼らの所作とか話し方とかそういう細かいとこなのだが、しかしそういう細かいとこは置いといてまず感じるのは彼らは我々客一同とは格が違うというところだ。白石麻衣とかガッキーとかを見て感じる「なんかもう全然違うな」感と一緒だ。漠然としているのだがそんな感じ。今日はずっとこんな漠然とした感じで書きます。


かなり明るい性格ではあると思うのだが、何を考えているのか分からない感じ。明るいけど闇を感じるとかそんなちゃちなものではなく、根っからの明るい性格に見えてそれ以外何もないような気さえするのに、そうではないと確かに分かる感じ。芸能人で言うとローラみたいな感じ。能天気で底抜けに明るいように見えて、実は誰にも興味ない感じ。言葉で表すの難しいのでここらへんでやめておくが、とにかく先日行ったゲイバーの店子さんにはそんな感じを受けた。


東京で人の凄さを感じると、俺はいなかっぺなので東京って凄いな~と簡単に纏めてしまうのだがそうではないのは分かっている。彼らの凄さをまぁ東京なのでと丸めて摂取してしまうのは失礼な話なのだが、そうでもしないと消化できないほどの違い。しかも彼らのほとんどはアルバイトなのだ。片手間にやってあのクオリティ。格が違うとしか言えないのだ。


今までの人生でも何度か凄いなと思える人には会ってきたが、店子さんにそれを感じることが多い気がする。その凄さを一度書き留めておこうと思ったのだが、案の定ほとんど言語化できなかった。正に言語の敗北、夜の街ってえも言われぬ魅力があるのだ。

P.S
ゲイバーには店長のことを「ママ」と呼ぶ文化があるのだが、これが未だに馴染めない。そもそも自分の親のことを「ママ」などと呼ぶ家庭ではなかったものだから、ゲイバーの「ママ」という表現には強い抵抗感があるのだ。「ママ」と呼びかけるのが通常だとしても、俺の中のママ童貞がそれに強い拒否感を示し、結局「あの...」とかで話しかけるのが常である。こういうその場のノリにすぐ溶け込めないコミュ障野郎、他にいますかっていねーか、はは。

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