リプでもらったテーマで小説を書く

リプでもらったテーマ:「乙一」

こんにちは。みなさん、こんにちは。突然ですが私は他人からよく「人間性がない」と言われます。なので私はこの本来あるであろう人間性を「犬性」で埋めていこうと思います。犬で埋めるのなら猫でもいいのではないかとこれを読んでいる皆さんは思われるでしょうが、説明します。慌てないでください。その理由は猫より犬の方が大きいからです。どうせ埋めるなら小さい猫より大きい犬ですよね。ここで言う犬は小型犬ではなく大型犬です。ゴールデンレトリバーとかサモエドとかを想像してください。特にサモエド。サモエドは可愛いですね。私の夢はPARCOくらいデカいサモエドを飼うことです。そのサモエドで私のぽっかり空いた人間性の穴を埋めます。ここで言う"そのサモエド"はPARCOくらいデカいサモエドではなく普通の大きさのサモエドです。そんなに大きいサモエドはいません。夢を見ないでください。サモエドで人間性を埋めれば私はもうほとんどサモエドなのでそんな存在に向かって「人間性がない」なんて言う人はいませんよね。仮に言われても私はほとんどサモエドなので「クゥン?」とでも返しておけばいいのです。これで論破。なにか文句がありますか?あ、あとサモエドのいいとこは…

ここまで読んだところで俺は一旦本を閉じた。作家である乙一の新作を読んでいたはずだが、なにか大きな装丁ミスで別人の作品が刷られているようにしか思えない。試しに後半のページを開いてみるがその内容は序盤と全く同じ支離滅裂な展開をしている。流し見しながら確認しているとあるページでは突然、極めて写実的なタッチで描かれた老婆の笑顔の絵が出てきた。そのページが出てきた瞬間思わず声が漏れた。怖すぎる。そして最後の一文は「この作品を私の可愛い天使に捧ぐ」と書かれて締められていた。洋画の最後と同じやつ、と思いながら改めて本を閉じる。完全に別の人の作品だ。俺は「違う作品が印刷されてます」と付記して出版社に本を送り返したが、後日「あってます」と手書きで書かれた紙と同封された本が送り返されてきたので、もうあと俺に出来ることは「乙一先生、作風変わったなぁ」という認識を持ってこれを受け入れるしかなかった。

リプでもらったテーマ:「量子胃もたれ」

私は極めて食べれる量が少なく学生時代であればお米なら茶碗半分、うどん半玉、半チャー一丁、といった感じで全ての一人前の半分しか食べられないという特性を持っていた。しかしこれは食べ盛りの学生時代の話であって大人になった私はもう半分どころではなくご飯一口ほどで胃もたれが起きるほどの少食になっていた。流石に問題があると思い病院を受診すると私の病名は「量子胃もたれ」。「量子胃もたれってなんですか?」と医者に確認すると「結構いますよ」と意味不明な回答が返ってきた。「普段の食事は水切りヨーグルトを作るのを眺めるだけにしてください」と医者に促され、それからというもの私は水切りヨーグルトを作るだけの食生活を送っている。作るだけなので食べているわけではない。というか「量子胃もたれ」を診断された日からなにも食べていないが、医者の言う様に水切りヨーグルトを作るだけで私の胃は満足しているようだ。
水切りヨーグルトを作る手順はまずはじめにキッチンペーパーで包んだヨーグルトをザルに乗せ、水の滴りが完全に終えるのを2時間かけて見届ける。そしてそれぞれが固体と液体にきれいに分かれたことを確認したら、それらを一つのボウルに開けて混ぜ合わせ、通常のヨーグルトに戻す。そしてまた上記の手順を踏んで再び分離させるのだ。これを大体6時間ほど繰り返します。
これをするだけで私の「量子胃もたれ」は一時の安静を見ることが出来る。どこかの刑務所では受刑者にスコップで午前中ひたすら穴を掘らせ、午後にその穴を埋めさせるそうだ。私がやっている水切りヨーグルトを作る手順を眺める行為はこれと全く同じでありこの場合、私は受刑者であり、刑務官。ヨーグルトから滴る水を見張る私を、私が見張る。水切りヨーグルトを作る時には私という存在が二人の実存に別れるのだ。そんなことあるはずもないと思うだろうが、事実私は水切りヨーグルトを眺めるだけで「量子胃もたれ」を回避できているし、作る工程の中で実存を二つに分けている。この世にありえないことなどなにもなく、物事は水切りヨーグルトのように柔軟に考えることが必要なのだ。硬直的な思考はいつか誰かを傷つける。思い込みで人を殺すなんてことはありふれている。当事者意識を持ってください。私からは以上です。え?終わりですよ。終わり終わり。時間は常に有限なので。いつまでもこんなものを読んでいないでください。あなたのような人間がインターネットの品位を下げているんですよ。いま一度、自分が日々消費し続けている様々について真剣に考えてみてください。具体的なアクションの第一歩は考えることです。お願いです。考えてください。

リプでもらったテーマ:「アヒルVSヘリコプター」

郵便受けを開けると「急告」と赤字で書かれた封筒が入っていた。また水道の差し止めか?と訝しんだものの今更ライフラインの差し止めくらいで驚いたりしない生活を送っているので、「急告」の文字に慌てることなく凪いだ心で封筒をキッチンバサミで開け中身の書類を取り出すと「アヒルVSヘリコプター開催のお知らせ」なる文言が目に飛び込んできた。
どこにでもあるA4普通紙にケミカルな虹色の創英角ポップ体が踊っている。用紙の半分ほどを使ってデカデカと書かれたその文言の下には「来る8月8日にアヒルVSヘリコプターを実施します」「はい・いいえのどちらかに丸をつけてください」とあり、続けて「はい・いいえ」という項目があった。初めて見るタイプの通告書だ。封筒には名古屋市役所と書かれており、俺はとりあえず名古屋市役所に電話してみるも問い合わせが殺到しているのか担当者が不在なのか一向に繋がる気配がなく、仕方ないので電話はそのまま切り、ネットで検索してみた。「アヒルVSヘリコプター」、何かヒットした。空中で文字通りアヒルとヘリコプターが戦っている動画だ。どこかのユーチューバーが作った動画らしいが、一体これがなんなんだよという感情しか湧いてこない。俺は一旦スマホを置いて、改めて文面を見る。「アヒルVSヘリコプター」は置いておくとして、「実施します」とはなんなのか。続けての「はい・いいえ」も分からない。なにが「はい・いいえ」なのか質問の意図が分からない。返送先も書いてないのでどちらかに丸をつけたところでこれが集計されるということでもない。
俺は一旦「いいえ」に丸をつけ、そのまま書いた紙を放置して立ち上がりつつスマホを拾い、いつものように全く見る必要のないタイムラインを見て有限な時間を無に帰そうとしたところ、手の中のスマホが震えた。電話だ。画面にははっきりと「アヒルVSヘリコプター」と表示されている。当然、こんな名前を登録した覚えはない。急に背後に視線を感じて振り返った。誰もいない。気のせいだったようだ。いつの間にか電話も鳴り止んでいる。ふと、どこまでが気のせいか分からなくなってきた。「アヒルVSヘリコプター」と表示された画面も見ると履歴すら残っていない。「いいえ」に丸をつけた紙もどこか見失ってしまったようだ。ほんとうに「アヒルVSヘリコプター」の紙はあったのか?電話はきていたのか?そもそもの話になるが、俺がここで生活を始めた頃は電気水道が止まることなど想像もしていなかった。しかし、通告書を無視し続けたらいつの間にか止まっていた。俺は俺の生活のなにもコントロール出来ていない。大きく見れば人生すらも俺の手の中にはなく、全て幻のように思えてきた。そしてこれを考えいる今の俺の意識すら俺のものでは…
「そんなことないですよ。」
急に声がして背中に戦慄が走る。振り返ると窓越しのベランダに顔がアヒルの人間が立っていた。顔だけアヒルで首から下は人間で、全身黒タイツのような格好をしている。
「遍く全ての意識と器は誰のものでもなく、それ故にあなたの意識と器はあなただけのものと言えるのです。」
分かったような分からないようなことを言っている。それ以前に俺はこの状況の説明が欲しかった。このアヒル顔黒タイツ男はなんなのか。これが「アヒルVSヘリコプター」なのか。ヘリコプターはどこなのか。なにがVSなのか。そもそも俺は「いいえ」に丸をつけたのではないか。もういいや。俺はアヒルの顔をじっと見る。アヒルの目の先、よく見ると薄く人間の眼が見える。このアヒルは被り物なのか。俺はこのアヒルの被り物を取ったら相手はどんな顔をしているのだろうかと考えた。願わくばなんかタイプの顔してて欲しいな。俺はこの俗物的なことを考える時のみ、この時間は俺の時間だと認識できた。アヒルの顔を想像する、まだ見ぬ道の先の過程において俺は完全なる自由を得ることができた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?