2021.03.08

今日のお昼ご飯は焼きそばが食べたい。Googleマップで「焼きそば」と入力し検索する安易な方法で焼きそば屋さんを探すと、近くにそのものずばり焼きそば専門店があるらしい。これ幸いと胸と足取りを弾ませながら向かってみると本日定休日。隔週月曜休みとのことだ。俺の人生は大体こんな感じ。

ゆるキャン△を見ているとなでしこちゃんがソロキャン中に仲良くなった親子と写真を撮り夜その写真を見返してふふふとなっているシーンがあった。超絶可愛いし、羨ましい。俺も誰かと写真を撮ってそれを夜の布団の中で見返しふふふとなりたい。しかしこれを成し遂げるためには一つ課題がある。俺は「写真を撮りませんか?」って中々言えない。何故かと言うと俺の中の”理想の男”像は写真などは取らない主義だからだ。思い出は心のシャッターで心のアルバムに保存しておけと俺の中の男がしきりに呟いている。俺はその男の方をちらちら見てはやっぱそうですよね、男ってのはそうあるべきですよね~とヘラヘラしながら頷いている。俺の中の男を気遣うあまりに俺は写真は撮らないことを選択し続けてきた。

性の多様性とか自分らしさとかを大事にしようと叫ばれ始めてきた昨今ではあるが、実際はLGBTQや恰好や考えが特異な人間に対しての風当たりは未だ強かったりする。俺自身も同性愛者であることでそういった風潮や差別待遇なんてのは改善されてほしいと願うばかりだ。しかし、俺の場合まず改善すべき問題はそういった外側の問題ではなく内側にあるのだ。
それが俺の中の”理想の男”像である。「男子かくあるべき」というルールを自分の中に課し、自分の本当にやりたいこと、自分らしさを殺し続けていることは確かな事実だ。そしてさらに問題なのが俺がこの”理想の男”と同一になることは絶対にないのが明白なことだ。「憧れとは理解から最も遠い感情だよ」と久保帯人は言ったが本当にその通りで、自分が自分以外の何かになることは絶対に無理な事なのだ。
この問題に気づいてからというもの俺は自分の中にいる”理想の男”を逆に殺してやろうと虎視眈々とその時を待っているが、その時は未だ訪れていない。甘いもの好きであるのに商談の席ではブラックコーヒーを頼んでしまうのも、居酒屋で一杯目はビールを頼んでしまうのも、LINEで絵文字を使えないのも、気軽に写真を撮ろうと言えないのもすべては俺の中に潜む「男」のせいである。時々顔を出す「本当の自分」の顔を踏みつぶし、靴底を血で染める悪魔のような男。こいつを殺し尽くす日まで、俺は今日も苦い汁をすすり続ける。

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