2021/12/03

先日、Twitterで#いいねした人の偏見を言うというタグをやっていた。人を偏見の目で見てカテゴライズするという最低プレイなのだが、暇な時についやってしまう。麻薬と一緒。人に偏見を言う時、俺の脳内物質はモルヒネの3倍出ていると思われる。
その中で失礼な事言ってしまった人もいるかもしれない。大変申し訳ございません。金玉の毛を力任せにむしるので許してください。

そのタグである匿名アカウントの人からいいねが貰えたのでこのような偏見を言った。

なんだかんだ言ってすごく繊細で人との繋がりを大事にする人。中学の頃女の子からもらったラブレターを未だに大事に持っているし、パスワードを忘れた時の秘密のパスワードはずっと初恋の人の名前にしている。
#いいねした人の偏見を言う

誰に言ったかはプライバシーの事もあるので伏せておく。(なので今回の話曖昧な話になるかもしれません。すいません。)ゲイでTwitterやっている人ならなんとなくわかると思うが、匿名アカウントの一部は人を晒し上げたり悪口を言って川崎市からお金を貰っているところがある。

もちろん人の悪口を言ったり不当に叩いたりするのは良くないのだが、そういう人にも何かしらの信念があってやってるんだと思っている。だから、人を叩いたりする人は絶対悪という訳ではなくてどこかしらに純粋で綺麗な部分は持ち合わせているのだ。八方美人と真逆なのではなく、一方くらいは美人なんだと思う。むしろ信念のない八方美人よりも信念のある一方美人の方が人間的には魅力はある。綺麗すぎて生活感のない部屋よりちょっと物に溢れてる部屋の方が親近感ある、みたいなものだ。

なので、匿名アカウントは何かを許せなくて何かに抗いたくてというモチベーションを持って運用されていると勝手に思っている。もしかしたらイケメンに親を殺された人もいるかもしれない。人に悪態をつくという行為はやり過ぎると毒だが、本人の心を守ってくれる砦ともなる。ツンデレのツンの部分だ。

俺も卑屈さという砦をもって「どうせ俺なんかじゃ…」と言うことが多い。これは自分を守るために言っていることなのに、横から「他人はお前のことそんなに見てないよ」とか「大人になって卑屈さを出すのは傲慢だよ」とか言われる。うるさいんじゃ。俺の精神の最後の砦をそうやって用もないのに突き崩そうとする事こそが1番の傲慢だろ、と思ったりもする。

自分が生きやすくする為に自分の心に他者を入れないガードを張ったり、作られた笑顔や別の自分という緩衝材を入れたりするのは誰しもがやっていることだ。この社会という作られた社会実験の場で一人一人が幸せになりたいともがいている。なので、匿名アカウントだろうが風景アイコンのやり目だろうが猫アイコンのクソリプおじさんにもきっと目的があって信念がある。インターネットの向こう側をちょっと想像してみるのもいいかもしれないと思った今日でした。

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