2021/07/06

雨の日の通勤電車ってなんであんなに臭いのだろうか。ムワッとしているというか下水の臭いと言うか人の汗の臭いと言うかなんとも言えない臭いがするのだ。通勤電車内で出来ることなんてほんとに何もないので各々自分の世界に籠る。電車じゃない世界に没頭することで多数の中にいる自分を守るのだ。

痴漢と思われたくないから縮こまり、スマホを覗き込まれたくないから画面を暗くする。隣り合わせたどこぞの誰とも分からない人間を出来るだけいないものとし、同時に出来るだけ自分をいないものとする。東京の通勤電車内では毎朝この見えない戦い、見えない殺し合いが展開されている。
そんな嫌な臭い、嫌な戦いが繰り広げられる通勤電車内でも良いなと思えることはある。というか今日あった。明らかにガラの悪そうなおっさんがおばあさんに席を譲っているのを今日見たのだ。人混みの中に埋もれてしまっていた優しさを垣間見た気がした。

人のやさしさを見ると少しだけ自分も幸せな気持ちになるのは俺が単純な人間であることに違いないが、それでもこういうのを見るといいなと思ってしまう。単純ついでにめちゃくちゃ普通なことをいうが、満員電車に乗る一人一人にもそれぞれストーリーがあって、隣り合わせたあの人にも家族がいて、恋人がいて、自分が歩まなかった人生を歩んでいるのだ。だからこそ人は尊いなんて言う気はさらさらないが、時折垣間見える人のやさしさはしっかり覚えておこうと思う。

人は常に善性と悪性が同居していて、日々は悪性ばかりが目立ってしまう。俺もペットボトル専用のごみ箱に普通に紙パック捨てたり、よく知らないおじさんから来たリプライをガン無視してしまうことがある。そういう嫌なとこに辟易してしまう毎日だが、あのガラの悪いおっさんのように自分にもきっと良いとこはある。友達とか結構大事にしたりする。きらりと光る善性に縋りながら生きていけば幸せになれるかもしれない。東京の通勤電車なんて悪性ばかり目立つ場所では中々それも難しいのだろうけど。


電車の話ついでにもう一個書く。

昼頃に電車で小学生くらいの子がなんかでっかくて重そうな袋を持っていた。その小学生があまりに大変そうにしていたのとあまりに顔が可愛いので(ちょいポチャ)、代わりに持ってあげようか?なんて話しかけてあげようかなんて考えていた。しかし、こんなパチプロみたいな顔のゲイのおっさんが話しかけたところで事案になる可能性は見えているしうーんどうしたものかと思っていたら、他の車両からその小学生の友達と思われる子が来て「俺も半分持ってやるよ!」と言っていた。俺の付け入る隙のない物語が存在していたことを知り、安易に話しかけなくてほんとに良かったと思った。

しかし翻って考えてみれば俺はこの小学生に「顔が可愛いので声をかけてあげようかな」と思っていたのである。ここだけ抜き取ると完全に不審者、児童誘拐と考えは一緒なのだ。俺は実際に声をかけてないだけで、れっきとした不審者だ。やだやだ、結局今日も自分の悪性ばかりが目立ってしまった。俺は世間的にはショタ好きのゲイ。死刑も免れないかもしれない。

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