2021/06/10

ここのところ怒涛の日々を過ごしている。

引っ越しの為に色々と準備しているのだが、引っ越し当日に持っていく物は少ないほうが良いよね、なんて思って自宅にストックするものを極力カットしながら生活していたら、先ほどティッシュとトイレットペーパーが無いことに気づいた。オナニーしたのにティッシュもトイレットペーパーもない。仕方がないので、履いていたパンツで精子を拭いた。

25歳にしてなんでこんな限界生活を送らねばならないんだと頭を抱えずにはいられない。早生まれで25歳なだけで代で言えば26歳だ。昔の自分が想像した26歳はもうちょっとスマートだった。少なくともG.Uのパンツで自分のオナ精子を拭くような人間ではない。自分のパンツで精子を拭くのは何歳までやって良いことなのかは分からないが。

そして30歳が近づいていると考えただけでもう動揺を隠しきれない。十の位の数字が変わることの重みは十代から二十代になる時に経験しているが、それはもうすごい衝撃だ。2は早い。2はまだ俺には早いですよ、と思いながら20歳を迎えた気がする。自分が十代であることにアイデンティティを感じていた。10年も十代をやっていたのでそれも仕方がないだろうという気はしている。しかし俺はまだ二十代を育ち切れていない。あと4年で少なくとも家にティッシュとトイレットペーパーを常備できるような二十代になっていきたい。


そもそも、なぜ引っ越す事態になったのかというと、恋人と同棲していた家を関係解消につき引き払う為だ。4年近く同棲したものだから、この件に関してはまだちゃんとした「振り返り」が出来ていない。彼とは色々あったが、私は自分と深く関わった人間に対して深く恨んだり嫌いになったりなんてのはしていない。友人に愚痴を吐く時には、常軌を逸した罵詈雑言のパンチラインでボコボコのボコにしているので嘘をつくなと言われるかもしれないが、これは本当の事だ。一時でも俺の名前を呼んでくれて、話を聞いてくれて、笑ったり泣いたりしてくれてありがとう。そしてごめんな。

彼には幸せになって欲しいと願うばかりだが、今後おそらくそれを確認することも出来ないし、こんなことを自分が考えていても仕方がないので、そういう時は自分の都合の良いように考えることにしている。

子供の頃に飼っていたハムスターがいなくなってしまったことがある。ポストという名前だった。家中探しても見つからなくて玄関が開けっ放しになっていたので、おそらく外に出ていったのだろうという結論になった。ポストがいなくなって一週間ほどして、あいつは生きているのだろうか、死んだのだろうかと考えた。結局、ポストは親切な人にでも救われて今頃はひまわりの種でもモキュモキュしているにちげえねえと思うことにした。

自分ではどうしようもない時に考えるのはどうやっても自分に都合良い妄想だ。彼はきっと今後幸せになっていくだろうし、ポストもどこかで生きている。こんなことを書くと彼に、俺とハムスターを一緒にするなと怒られそうだ。


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