木場宗也(26)の場合

#いいねした人の小説を書く
(@kiba_souya)編


彼は今年で26歳だが、時折35歳やら19歳やらで理知的に物事を考えることもあれば無鉄砲に物事を進めると感じられる事もあった。
彼の行動は素早く、先を見通しており、しかしそれ故に手前に落ちているものに気づかないおっちょこちょいが自分には可愛く思えた。秋の空のように澄んでいて冷めていた俺の脳は、そんな彼の不思議な魅力に纏わりつかれ動かなくなった。

とうてい無理だ。もし告白したとしても、OKを貰える確率なんて天文学的数値に思える。もはやシュールギャグのようなそんな確率計算を勝手に頭の中でやってみてもう諦めようと思ってみても、彼に会うたびにそんな計算を突き破れそうな実感に襲われる。彼も俺に気があるのかもしれない、そう思わせるような絶妙な間合いの取り方を彼はしてくる。かといって奥までは決して踏み込んでは来ない。不意に優しい言葉を投げかけられ、不意に手を触ってきたりする、そうしてるうちにまた彼はほかの席へふらりと行ってしまう。
弄ばれているなんて気持ちは不思議としなかった。恋ってこういうものかもしれない、という予感に似た感覚が俺の中にはあったのだ。

秋が過ぎ、冬になった。街を彩るグラデーションの一つとして彼と僕が並び立つことは未だなかったが、俺の脳と体は既に彼の香りに支配されていた。彼の何が好きなのだろう、まず顔が良い。Twitterに自撮りを投稿したら800いいねはいきそうなほど顔が良い。脱いでもいないのに、だ。
性格は、正直よくわからない。彼と付かず離れずを繰り返しているこの俺でも、彼の性格は少し掴みにくい。男が男を愛すこんな奇異な世界の中においても、彼の性格は少し不思議な、まるで少し先の未来を見ているかのようなそんな“少し不思議”な性格をしている。
彼——木場宗也は時々こんなことを言う。

「奇跡っていつもなにも考えてない時に起こるよね。というか、考えてもいないからこそ、って気がするよ。」

行動にはいつも思考が伴う。それがたまらなく嫌になる時がある。脳を動かすよりも手が動く自分からすれば考えることを強制させられている気分になるからだ。こんな自分に満点の人生なんてあり得ない。だから俺が意中の人、彼と一緒になることなんて夢のまた夢だ。
俺はいつもの通りに雑な確率計算に身を任せ、体から考えという考えを排除しながら歩いていると、大通りから一本入った狭い道、誰の家かもわからない古い塀の上に彼は座っていた。

彼の家からも遠い場所なのになぜいるのだろう。しかしそんなことはどうでもよくなり、なぜだか俺は彼に近寄り、好きです、付き合って下さいと言っていた。何も考えていなかった。すると彼は「んーいいよ。」と言った。その瞬間考えなしだった体に急に色が付き始めた。景色は遊園地へと変わり、花火が上がった。周りには陽気な音楽と共にパレードが始まり、踊り子たちは踊りに踊った。そして俺は彼と観覧車に乗り、それを上から眺める。そしてどこからか一言。「おい、他人の家の塀の上に座るなよ。」

そして全てが現実へと戻り、近くでは猫がにゃーと鳴き、遠くの大通りではクラクションが鳴っていた。

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