義母の憂鬱

先日、義母の様子を見に行ってきた。
義母は家族と2人で暮らしているため、
嫁である私が様子を見に行く必要は特にないのだが、
徒歩20分という距離に住んでいながらごくごくたまにしか会わず、
コロナもあって最近は本当に会っていなかったため、
何となく気が向いたから、義父の月命日に合わせて、
花と菓子とビールを持って行ってきたのだ。

「予定がないならあがってコーヒー飲んでって」と言われて、
ちょっと嫌な予感はしたが、予定はなかったので、お邪魔した。
嫌な予感と言っても嫁姑問題があるわけではなく、
いたって良好な関係である。
義母は頭はしっかりしていて会話は問題なく成立するが、
足を痛めているため長い距離は歩けない、といった具合の70代である。
会話は問題なく成立するのだが、
ここ5年くらいだろうか、義母の口癖になっているセリフがあって、
私はそれを聞くのが嫌なのである。それが嫌な予感である。

予感は的中し、義母は、ほぼどの会話の最後にも
「なんだか分からなくなっちゃって嫌になっちゃう。困っちゃう。」
と言うようになっていた。
ボケている様子はないのだが、それを言う回数が格段に増えたと感じた。
別に義母本人が何か具体的に困った事態になっていなくても
「困っちゃう」と言うから、聞いている私は苦笑である。
「具体的に何に困ったの?」って聞きそうになるが、それはしない。

さらに、察してほしそうな空気なのだ。
一緒に銀行に行ってほしそう、一緒にスマホを買いに行ってほしそう、
と私は感じる。会話の中でそう感じるのだが、
私は車を運転しないため「一緒に行きましょうか?」と言えない。
と言うのは建前で、多分、義母の口から
「一緒に行ってほしいんだけどお願いできる?」
の一言が欲しいのだ。
「なんだか分からないのよ」の後にそれを言いさえすれば、
一緒に行ったり夫に口添えしたりするのだが、
断固として言わないので、
こちらも断固として察して先回りしたりしない。
意地悪な嫁である。

これは高齢者に限らず、
誰かに助けて欲しい時ははっきり「お願いします」
と言わなければいけないと思うのだ。
お願いもせずに相手の優しさを頼りにして
時間を搾取しようとする“察してちゃん”は苦手である。

義母の話を聞いていると、
「なんだか分からない」ことを
行員なり店員なりに聞いて恥をかくのが嫌なだけ、
のような気がしてならない。
私は分からないことを即聞いて恥をかいてきた人生なので
人に分からないことを聞くことは慣れっこなのだが、
義母はそうではないらしい。
「ATMでやってるのに行員が来ちゃったら困っちゃうじゃない」
と言うのだ。
私は
「来ちゃったらここぞとばかりに色々聞けばいいじゃない」
と言った。
義母は諦め顔である。

意地悪な嫁ではあるが、自分でできるうちは自分で考えてやった方が
義母のためだと思うのだ。なんでも先回りしてやってあげても、
本人に分かろうとする気が無ければ買ったスマホも使えないだろう。

この話を正直に夫に言ったのだが、
彼は「もうさ、ちょっとボケてきちゃってるんじゃないの?」と
言うだけである。
息子がそう言いながらも助ける行動をとらないのだから、
嫁である私がしゃしゃり出なくていいか、と言うタイプと、
それじゃあ仕方ない私がやるしかないか、というタイプがいると思うのだが、
私は前者である。


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