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自分の身体は自分のものではない

友人がSNSで
「今住んでいる家は期間限定で借りている家だから、
次に使う人のことを考えて丁寧に掃除をする。
お借りしていると言うのは自分の身体も一緒かな。」
というような表現をしていて

以前、養老孟司さんのYouTubeを見た時に
「皆さん自分の身体を自分のものだと思っていませんか?
自分のものだと思っているから自分の勝手にしてもいいって思っちゃう」
というようなことを言っていたのを思い出した。

自分の身体、
どこからお借りしていて
どこにお返しするかわからないけど
そういう気持ちで生きていたら
自分の身体を粗末に扱うことはできなくなるなぁと思った。

自分の身体は、命は、
誰かが粘土のようなものをコネコネして作ったものじゃなくて
脈々と受け継がれて、今、あるものだし
これから自分が死んでも、
それは脈々と誰かの中に受け継がれていくものである。


私の身体は、私のものじゃない。
じゃぁ誰のものなの?私は誰のために、なんのために生きてるの?
という思考に繋がってしまうが、
やはりそれは人のためであって
今を一生懸命生きる事によって
誰かの中に、私が生きた意味が残るはずだ。
だから、グルグルと
私は何のために生きているのだろう?
何か生きている証を!
などと考えなくてもいいのだろうな、と思わされた。


生きている
より
生かされている
の方が
肩の力が抜ける感じがした。




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