レビューRadio現場 vol.33『みっちゃんと“自分らしく生きる”を考えよう』feat.唐津のみっちゃんさん(13分くらいで読めます)
大きな地震があった。2022/03/16 M7.4の福島県沖地震のことだと思われます(11月に書き起こししているため覚束ない記憶)。
3分で早速登場の今回のゲスト、佐伯美智子さん!通称・唐津のみっちゃん!!
介護事業所 合同会社MUKU代表。
生まれた時から みっちゃんと呼ばれていたという。なぜなら皇后陛下(現・上皇后陛下)から名前をもらったんやからね!と、届け出でミスったばあちゃんに言い聞かせられた みっちゃん。
みっちゃんのばあちゃんは、対馬に住まっていた。
ヘビースモーカーで、セブンスターを咥えて草むしりをするというファンキーな方。
じいちゃんは、イカ釣り漁師で、ばあちゃんは海女さん。
みっちゃんは幼少のみぎり、夏の1か月を対馬のばあちゃん家で過ごしていたという。幼い頃の人生の1/12を島で送る。思い出深い体験。
ばあちゃん家は隣に民家3軒のみ、買い物には手漕ぎの船で出向くくらいの場所であったそうです。
年を経て、ばあちゃんが一人暮らしになったとき(みっちゃんが高校生の頃)に、ばあちゃんを対馬から博多へ呼び寄せた。
急に街の暮らしになったのだけど、五右衛門風呂から寝て入るようなお風呂になったところ、怖くて入れなくなった ばあちゃん。
ばあちゃんの趣味は、パチンコ。対馬の雞知(けち)というところに1軒だけあったパチンコ屋に通っていたとのこと。
博多のパチンコ屋では迷子になってしまっていった。
都会では娯楽施設の内外においても、人との関わりが希薄になりがちである。
そこには一長一短あるとはいうものの。
やらなきゃならない仕事がいっぱいあった島での生活。
街での生活は、確かに便利になったけど、やることがドンドン減っちゃって、ばあちゃんの認知機能は、どんどん衰えていったという。
ばあちゃんが博多の家に来たとき、みっちゃんはJK。
社会に出てからは作業療法士として働き始めたみっちゃん。
JKからのOT(not 奥田民生)。
OTしながら、スノボにがっつりハマっていたというみっちゃん。
ある時、ばあちゃんが亡くなったとの知らせが。
病院では拘束され放題の転落しいの骨折しいので、「これで良かったのかな?」との思いがみっちゃんの中で醸成されていった。
「その人だけの人生を大事にしていけたらいいな」という思いが、ばあちゃんの一生から浮かび上がってきたみっちゃん。
面倒くさいことを取り上げると、人はボケてきてしまう。
お互いの祖母談義で分かった『いじわるばあさん』が大好きな吉田さんとみっちゃん。
20年くらい前から、みっちゃんの中では“むく”の構想があったという(※年齢は、タダの数字)。
当時、mixiで仲間を集めて、事業立ち上げの情報収集していたという。
しかし若かりし頃、お金という現実と向き合い、計画はみっちゃんの中で頓挫。
「人と関わる仕事を志すなら、色んな人を見るために世界を見よう!」と、海外へ行くことにした。
スノボをするために!
“出会い帳”を引っ提げ、友達百人できるかなのテンションでニュージーランドを旅した みっちゃん。
NZでは、自分の好きを貫ける人生のお手本をたくさん見たという。
出逢う人も自分自身も、本当に自由だったと語るみっちゃん。
ふくよかで頭皮の切れ上がったミドルが、パブでめっちゃイケた感じで踊って弾けていたことに強烈なインパクトと自由を謳歌する素晴らしさとを、身体中に染み込ませたといった印象。
海外から帰った後みっちゃんは、ばあちゃんの故郷である対馬の老健で、OTとして働きはじめたとのこと。
当時、リハビリ職があまりいなかったため待遇はかなり優遇されていたという(一軒家借り上げとか、車を自由に使っていいとか)。
そして対馬の施設で働くうち、入居している百人からのお年寄りに、いったい何ができるだろう?とみっちゃんは考えたという。
「絶対に、同じ人生を歩んできた人なんていない筈なのに、なんで皆んな、同じ時間に起きて、同じ時間に寝かされて、同じ時間にご飯を食べ、同じ時にう○こをしなきゃいけないんだ!」
強烈で素朴なテーゼ。
どうしてトイレ行く時間まで決められなきゃいけないの?という思いで、いたたまれなくなってしまった みっちゃん。
みっちゃん自身ができることは何だろう?と考えた結果、お年寄り皆んなを外に出すことにしたという。
毎日10人乗りの車を借りて、お年寄りを外へ連れていく取り組みを始めた(作業療法として)。
海行こう、山行こう。喫茶店行こう、居酒屋行こう。カラオケ行こう。温泉も行こう。何でもいいじゃん、こっから出よう!
そうすると、お年寄りに変化が起こる。
「こいつは、年寄りの遊ばせ屋だから」
とオーナーさんが紹介するに至るまでになった、対馬のみっちゃん。
遊びの効能、である。
島の短所として挙げられたのが、プライバシーがないということ。
施設のオーナーから甥っ子を紹介され、施設ももらえるという、だいぶ重たげな提案を受けてしまったものの、それをサラリとかわして、唐津へと移り住んだみっちゃん。
魚介が美味しいから、佐賀に行ってみたい私。
みっちゃんは、カイトサーフィンが好きで唐津に移ったのだとか。
板に乗るのが大好きな みっちゃん。
負けず嫌いで、できるようになるとすぐに飽きてしまうというパーソナリティ。
唐津の海は自慢の海。
唐津のいいところ=海も川も山も揃っており、且つ都会も近い、食べ物美味しい。気候も良い。
パワースポットじゃん!
42分過ぎまで、人生の通り道をドラマチックに語ってきたみっちゃん。
いよいよ“むく”のお話へ。
個性的な ばあちゃんの人生、NZで逢った個性豊かで自由な人たち、対馬での“年寄り遊ばせ屋”としての自由な経験……それらがつながって、過去に一回諦めていた“自分で事業所を立ち上げる夢”を思い出したそうです。
「自分にもできるかな!」
「自分で、その人がその人だけの人生を最後まで生きられるような場所を作りたい!」
渡りに船なんてことがまさにあって、その当時唐津市が小規模多機能の事業所立ち上げを募集しているという話を小耳に挟んだという。
小規模多機能型居宅介護の事業所は、公募がないと立てられず(つまり滅多にないチャンス!)、しかも唐津市が補助金を3000万円も出すという。
「これは、私にやれということでは!」まさに千載一遇。
「働くまであと20年と考えたら、ここがラストチャンスでは?」
「子どもも3人産んだし、やっちゃおう!」
で、生後3か月の子を抱えながらの事業立ち上げ!
吉田さんも、でぃぐにてぃを同じくらいの年齢で立ち上げ、その時、お子さんは6〜7か月だったという。
めちゃくちゃ似ている境遇のお二人。
吉田さんが当時、事業立ち上げの話を奥さんにしたところ、「○ね!頭おかしいのか? 見えるか、この子どもが!マジか!?」と罵詈雑言浴びせられたらしい。
吉田さんもみっちゃんも、一度決めたら曲げないから、お二人のパートナーが「いいよ、どうせやるんでしょ?」と乗っかってくれるところまで一緒だったそうで。
陰で支えてくれる人の寛容さって、とても大事。そして、そんな中でも意見を言えることがとてもとても大事。そんな風に思います。
生後3か月のお子さんを肌身に寄せての事業立ち上げ。常に息子さんに励まされながら準備を進めてきたという。みっちゃん。
「子どもが応援しているな!」という思いから、事業所立ち上げ時にも、
「お母さんを応援できる事業所にしたい!」との思いを強くし、
「子連れ出勤で働いてくれる人、大歓迎!」の看板をぶち上げた みっちゃん。
子連れだと、子ども手当がつくというスバラシステム。
他にも、「子どものご飯、味噌汁食べ放題!」とか、「自分の子どもの送迎がある時には、利用者の送迎時に行ってもいいよ!」とか福利厚生のオリジナリティがハンパないっす。
子どもたちの生活を中心に据えることで、地域に住まう人々が巻き込まれていくという 何、その素敵な流れ!
“むく”では子連れ出勤OKにすることで、高齢者施設に常に子ども達が居る場になっていったという。
子どもって大きくなる。
最初は、1歳児がワラワラしていたのが、3歳になったら幼稚園や保育園に行き、立ち上げから5年になるMUKUは、やがて小学生が集う場に。
MUKUに「ただいま」と言って入り、宿題を広げる子どもたち。共に育っていく場。
成長するにつれ子どもたちの動きが変わることで、利用しているお年寄りの動きも変わるというダイナミズム。マンネリのないまさに「コミュニティ=地域」としての事業所。
2022年現在、コロナ禍で制限がかかっていることに忸怩たる思いの みっちゃん。
吉田さん曰く、「コロナになってみて、しみじみ 集まる楽しさとか、人と人が直接話す楽しさとかを、めちゃくちゃ“改めて実感する”」と。
Radio現場の原点でもあるこの思い。
みっちゃんは、当事者に寄り添うものとして、福祉の現場で行動をされている。
当事者の感覚からは少し距離を置いているが、とてもステキな事業所をつくられた。
その行動のモチベーションは、「結局自分のため」だという。
「自分が自分らしく居られる場所を作りたくて、今の“むく”を作っている」
「誰かのために何かしてあげたい、とか全然思ってなくて……そんなこと、おこがましいじゃんね」
「そんな大したことできないし、その人の人生その人しか分かんないし、私たちはあくまで黒子として、できることを手伝わせてもらっているという感覚でしかない」
大規模施設でのお年寄りを見て みっちゃんは、「“なんで皆んなおんなじ時間にやんなきゃいけないんだよ!” “なんで皆んな魚の○んだような目をしてんだよ!” みたいな、そういうのを見てるのがしんどかったから、そうじゃないような場所に自分が居たら、自分が救われると思ってきた」
その思いを形にしてきたみっちゃん。
「自分らしくひたすら生きているさまを1時間聞くという、これがすごく自分らしいという」そんな回。
意味不明なルール(校則とか)が大嫌いなみっちゃんと吉田さん。
吉田さんの入院時のエピソードが振るっている。音楽好きの吉田さんが病院にCDを持ち込もうとしたところ、「CDは10枚までにしてくださいね」と言われてしまい、看護師長と揉めに揉めたとのこと(理由は“置く場所がないから”)。
「11枚は絶対ダメです!」
「自分の子どもが入院したら、そのルールに従わせるのかい?」
「当時の自分(吉田さん)にとって、音楽が一番大事なことなんだから、フリカケがなくてもイイから、CD置かせてくれって」
と吉田さんヒートアップ。
わがままがちょっと通る柔軟性。これって顧客のニーズなんじゃないかと思います。
それを担保するために工夫すべきこと、チームとして取り組むことってたくさんある筈。
“むく”のサイトには「わがまま」って言葉が載っているという。それってとてもステキで気に入ってしまった、と吉田さん。
「好きなことを、好きなようにして逝きたいじゃん」
「福祉って、人の幸せとかそういうことだから」
「決まるは破るためにあるじゃん」
“むく”の名前の由来は、純真無垢のむく。
まっさらで生まれて、垢まみれになって人生を送り、やがて終わる時には、無垢に戻ってくるんじゃないか。
ありのままで、そのままで、という意味。
【無垢に生まれ、無垢に還る】
「途中、色んなしがらみに絡めとられちゃうけど、できたら無垢でいたいよね」
放送1時間経過で、“むく”立ち上げと共に育ったお子のご本人登場!
放送当時、卒園したばかりという。
ネコも登場!
最終的に、ステキすぎる言葉のラリーに心酔しっぱなしでございました!
出張Radio現場、期待しております!
そして、YouTube配信の初告知がここで!
まだまだ現場は続いていく!!
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