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レビューRadio現場vol.43『ぼくは福祉で生きることにした』feat.河内崇典さん(6分くらいで読めます)


2022/09/24オンエア!
ついにお泊まりも始めるようになった森近さんのデイサービス。土日営業に続けての業務拡大!
サーフィンに行ってきた吉田さん。この間はベタ凪だったそうで。「案外なんでもできますよ!」との発言、ちょうだいいたしました!

今日のゲストは、河内崇典(かわうちたかのり)さん! 大阪にあるNPO法人み・らいずの代表をされている。かなり無茶苦茶な方で本物の福祉と謳われる方とのご紹介。
桃太郎侍のごとく本をかざして登場!河内さん。9月5日に上梓されたとのこと。

Face to 福祉という学生と法人をつなげる取組みで出会った吉田さんと河内さん。河内さんはイベントの仕切り的なことをされていたという。
吉田さんのことを「電動乗ってはるお兄さん」と呼ぶくらいフレンドリーさ漂う河内さん。
イベントの司会進行中にあえて滑って見せ、参加法人にハナを持たせたというサービス精神と深慮遠謀の持ち主であります。

そんな河内さんは、19歳から福祉をスタートしたのですが、きっかけは大学をサボりがちになり、バイトを始めたことなのだという。
高校時代のツレから割のいいバイトがあると誘われ、その内容が「お年寄りの話を聞くだけで時給1800円」。
ちょと待ってくれ、高すぎるだろう!と。
福祉センターへ自分で電話して、「月〜金 全部入れます」とかなり食い気味に応募されたとか。
雇う側からしてみれば「この仕事にそんな応募は滅多に来ない」と。
実際に働いて見たところ、仕事内容は障害者の在宅入浴介助。
河内さん、「ヤバい!」と思ったという。ドナドナ感半端なかったとの印象。
行った先が、知的障害と脳性麻痺併発の方のお宅で、ガイドヘルパーを探していたご家庭。
ガイドヘルパーとは、大阪では有償ボランティアのことを言うらしいです。例えば、知的障害の方に同行して映画を観にいったり、食事に行ったりすることを補助するお仕事。
その仕事に関わったことがきっかけで、今に至るという(スタートダッシュがものすごい自己紹介)。
要は、ずっぽし福祉沼にハマった状態ということで良いのでしょうかね。

「浪花の輩チックな」と河内さんを評する吉田さん。
実は著書を読めばお分かりのとおり、ええとこの子ォで、自称・不動産屋のドラ息子との自己開示。

話題は、最近出版された著書『ぼくは福祉で生きることにした』について。
いい本である。福祉のキレイなところばかりでなく、上手く行かなかったことも正直に書いてあるという。

河内さんがまとめる NPO法人み・らいずはジャンプ漫画だ! 努力!友情!勝利!
人がついてくるキャラクターを持つ河内さん。
創業時のメンバーが誰も辞めていないという奇跡のような法人。
「目の前のことに必死で、今の姿を想像してもいなかった」と振り返られていた。

河内さんは、阪神大震災時に み・らいずを立ち上げたとのこと。
メンバー全員、福祉の資格を持たずに活動していた。
ビジョンがぼんやりとしかなかったので、自分たちで掘り下げていったという。今まで手探りで活動してきたことが、却ってよかったのかもしれない、とおっしゃっていました。

社会起業家としてビジョンは後からついてきた。まずは「なんとかしないと」の思いからスタートしていったという。
その泥くささ、圧倒的な魅力。

全て大切なことはキン肉マンから学んだという河内さん。友情パワーとか火事場のクソ力などを心に刻んで今を生きているという。

仕事での悩みが多くあった吉田さんは、河内さんにお悩み相談をされてきたという。「お節介が温かかった」と吉田さんは語る。
「兄さん」「師匠」と呼び合う間柄のお二人。
後で山ほどありがとうと言われようと思って、動いてます」と河内さん。

河内さんの福祉から逃げられなくなったエピソードがふるっていた。
仕事で出会った利用者さんである脳性麻痺のお子さん。その子の「母ちゃん」が若くしてガンで亡くなったという。その母ちゃんのお墓の写真が河内さんのケータイの待ち受け画面であるという。

唐揚げのエピソード。バイトでドナドナされて市営住宅へと出向き、脳性麻痺のお子さんをお風呂に入れるお仕事に差別も偏見もしまくっていた。
当初、「僕たち、差別と偏見の塊なので、すいませんが辞めさせてください!」と謝りに行こうと連絡をつけてお宅へ向かったところ、母ちゃんがウェルカムで竜宮城の世界。
てんこ盛りの唐揚げが!そして、ご飯は五合メシ。
ついつい食べて、おかわりもしてしまったから、タダメシも何だと、マッパになって脳性麻痺のお子さんをお風呂に入れたという。
その時、「俺みたいなもんがやったらあかん仕事やと思ってたけど、こんな俺でもできることがあるかも!こんなに困ってるなら」と決意されたのだと。
こんな素敵な手のひら返しがあるんですね!

河内さんの心は「忍びねぇ」がキーワードなのだ。

自分が小馬鹿にしていた存在になったのがショックだったと、初めてカミングアウトする吉田さん。

河内さんの行動原理は「悲しませたくない」の一言に尽きるという。
差別と偏見があったとしても、福祉の仕事ができるということに希望があるとともに、虐待してしまう福祉職との境界線とは一体なんなのか、考えさせられます。
私自身も差別と偏見が無いだなんてとても言えませんので。

河内さんのエピソードを落語で聴きたいです。桂枝雀師匠の噺を聴いているみたいな温かい気持ちになりました。
「どんな人でも居るだけでいいんだ!」という寛容性が、物語にはある。ちなみに、吉田さんはジャンプ派ではなく、サンデー派なのだそうで。

「現実、お風呂に困ってはって、難しいことは分かんないし、優しいことも気の利いたことも言えないけれども、お風呂に入れるくらいは俺もできるな」という思いは、2〜3か月バイトを続けているうちに芽生え始めたという河内さん。
入浴介助という裸の付き合いがよかったのかもしれない。

福祉って人を見下す素養がないと分からないことがある」といったことを吉田さんはおっしゃっていました。その言葉は、大袈裟でなく私自身にとっては、救済の福音であります。

放送30分経過くらいで感じたのは、河内さんの傾聴姿勢がとても静かであること。相槌などほとんど入れないのに、とても心地良い【聴いてもらえてる感】がある。いしいさんちの石井英寿さんとはまた違った魅力を醸しだしている。

福祉に携わったきっかけが、「高時給で、マッパでお風呂入って、唐揚げ食うて……」であったのが却ってよかったと振り返る河内さん。
それは浄化(カタルシス)の物語であるのかもしれません。

阪神淡路大震災(お母ちゃんとの出会い)から東日本大震災(お墓参り)へとつながる物語。
ジャイアンは、ジャイアンを野放図にしない母ちゃんの存在がないと、輝けないジャイアンなのではないかと思う。

全ての人間的なものは悲しみに満ちている。ユーモアだって、その源は喜びではなく、悲しみなのだ。だから、天国には、ユーモアは存在しない(マーク・トウェイン)。
河内さんは、悲しみの無い楽園に逃避せず、この場に留まる気概のある方なのかな、と思いました。お地蔵さんの心意気。

人を従わせる手段が、にぎりこぶしではなく、唐揚げだなんて。なんて素敵なんだろうって思う。河内さんの魅力は陰日向のないところなんだ、そんな実感が湧きおこってまいりました。

さあ、#ぼくふく で呟こうぜ!さすれば、福祉の魅力がもっと広まっていくはず!
心揺さぶられる経験が、お金稼ぎを上回る瞬間がある!

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