日常#59

一 電車内、そして駅前
 もう東京に引っ越してきて一年も経つというのに、まだ自分が東京に住んでいるという事実に慣れなくて、帰りの満員電車の人の多さに酔ってしまいそうになる。五限終わりの日は帰宅ラッシュと重なって電車がとても混む。スーツ姿の男性や自分と同じく大学生であろう人、老人、主婦。痴漢だと思われたくないからつり革を掴む、腕を組む。スマホを覗き込まれたくないから画面を暗くする。ワイヤレスイヤホンのノイズキャンセリングをオンにする。隣り合わせたどこぞの誰とも分からない人間を出来るだけいないものとし、同時に自分の存在をもないものとする。心理的な距離は何も近くないのに、物理的な距離がゼロ距離だから他人と溶け合ってしまいそうだ。自分が将来の不安や日々の楽しみや怒りや悲しみなど人間らしいものを持っているのと同じように、この電車に乗っている全ての人が、葛藤や喜びや焦燥や嫌悪や性欲のような人間らしいものを抱えているんだなと思うと、溶け合った他人のえたいの知れない不吉な塊が自分に流れ込んできそうで、なんだか少し気分が悪くなって、早く人が多く降りる調布駅に着かないかなと思った。調布駅をすぎると、立っている人より座っている人のほうが多くなって、車窓の景色からも少し東京の色が薄れて畑があったり、一軒家があったり、車通りの少ない道路で遊ぶ子供を見かけたり、郊外といった雰囲気になる。安心する。やはり自分は田舎の人間なんだなと思う。
 自分の最寄りである分倍河原駅に着く。南武線に乗り換えができるからなのか、栄えた街でもないのに特急が停まる駅だ。とても助かる。改札を抜けると商店街があってマクドや薬局やパチンコ屋やラーメン屋などがあるが、ほとんどが居酒屋である。ダンダダンもある。あの店は本当にどの駅前でも見る気がする。この商店街を一歩でも抜けると閑静な住宅街になる。居酒屋が多いせいか夜のこの街にはスーツを着た人が多い。この街で働いて呑んでいるのか、呑みにこの街に来ているのかは知らない。ガールズバーの客引きを内気そうな男がやっている。あれで客が集まるんだろうか。足を止める人はいない。電柱の脇に「世界人類が平和でありますように」の看板を見つけた。この看板はどうしてこんなところに? というような田舎にもあるが、誰がいつ立てたのかは知らない。立てた人たちは本当に世界平和を願っているんだろうか。この看板で何人の新規の信者が集まったんだろうか。小中高どの通学路にもあったが、まさか大でも見かけるとは思っていなかった。そして、この看板は都会の真ん中ではあまり見かけないなとふと思って、少しノスタルジックな気持ちになった。やっぱり自分はまだこの街のことをよく知らないらしい。暑くもなく、ジメジメしているわけでもなく、夜風が気持ちのいい日だなと思ったから少し散歩をしながら帰ることにした。夏は夜と清少納言も言っているし。月は雲に隠れているけど。散歩のお供に自販機でウィルキンソンのレモンスカッシュを買った。さっき電車で感じたえたいの知れない不吉な塊を炭酸で流し込む。胃の中でパチパチと爆破してくれる音が聞こえる。

二 駅前、そしてふくろう
赤い顔をして、上機嫌な人たちとすれ違いながら商店街を抜けて、踏切で電車がすぎるのを待つ。夜の踏切ってなんだかワクワクする。暗い空に踏切警報機の赤い光とカンカンと鳴る警告音と通り過ぎる電車内の蛍光灯の青白い光が綺麗で、ノイズキャンセリングをオフにした。駅のアナウンスや葉擦れの音、踏切の向かいで待っていた人がペダルに足をかける音など暮らしの音が戻ってくる。通りを進んでいくと、分梅通りという道を見つけた。この街には分倍河原という書き方と分梅河原という書き方の二種類があって、諸説あるらしい。分倍という名前はこの地が多摩川の氾濫の影響や痩せた土地であることから民衆に支給する口分田の広さを倍にしたことに由来するという説がある。また分倍河原という地名は鎌倉時代の元弘の乱において新田義貞率いる反幕府軍と北条氏率いる鎌倉幕府軍が戦った地としても知られている。駅前には新田義貞の像がある。分梅という名前の由来についてははっきりしていないが、戦乱が終わって、平和になった江戸時代から文献に登場し始める。甲州街道沿いの宿場町であったから歌人なども通ったのかもしれない。風流心を重んじたのだろう。そんなことを調べながら歩いていると、とても見覚えのある店を発見した。ふくろうである。ふくろうは高校時代に友だちとよく行ったラーメン屋だ。愛知県を中心に展開している辛味噌が特徴のラーメン屋で、部活終わりの金曜日や予備校に行ったときに息抜きでたまに友だちと行った店だからとても思い入れがある。時間は八時前。一人暮らしの家に帰っても特に晩ご飯の用意があるわけでもなく、これからしばらく散歩を続けるからここで食べていくことにした。からみそラーメンが売りのこの店で自分はそれを食べない。辛いものが苦手だからである。一緒に行く友だちは辛味噌をオプションで追加して更に辛くして食べる。辛くないからみそラーメンを食べる自分を彼はよくからかってきたのだが、彼は今、東京にはいない。彼に「うちの近くにふくろうあったで」とLINEをした。食べ終わる頃に「俺がそっち行くときとかお前が名古屋帰ってきたときまた行くか~」と返信が来た。大学生になって彼との付き合い方は変化したけれど、またきっと辛くないからみそラーメンを食べているのをからかうんだろうなと思う。

三 甲州街道、そして大國魂神社
ふくろうを後にして、今度は甲州街道沿いを歩く。夜だからかトラックが多い。甲州街道ってこんなに広いんだなと思って、調べてみると今の甲州街道というのは第二次世界大戦のあとに自動車のために宿場町を迂回するために作られたものらしい。旧甲州街道というものが別にあるようだ。甲州街道沿いは一軒家や団地が多く、また横断禁止標識やブロック塀にスプレー缶で落書きがしてあったり、ひび割れて盛り上がったまま舗装されていないアスファルトの道路があったりなど地元の光景に似ていて、気持ちが落ち着く。
 府中駅が最寄り駅になるであろうこの地域まで来ると、分倍河原よりも少し敷居の高い街になる。一軒家が減って、シルク色の光で満ちたエントランスのハイソなタワーマンションが見られる。都心まで出やすいながらも人の気が落ち着いたこの街はきっと人気があるのだろう。ただ自分には少し東京の色が濃くて、分倍河原のほうが合っているなと思った。
 歩いてこのあたりに来るのは久しぶりだったから大國魂神社に行こうと思った。大國魂神社は西暦一一一年に建てられた武蔵国の神を祀った神社で、とても長い歴史がある。最後に来たのは受験前にお参りしたときでまだコロナ禍の規制が厳しかった頃だ。一年半ぶりに鳥居をくぐると、時の流れがゆっくりになった感覚がする。月明かりが木の葉に遮られて木漏れ日のようだ。手水舎には杓子が戻っていて嬉しい気持ちになった。夜だったので随神門の中には入れなかったが、境内には犬の散歩や帰り道として使っている人がちらほらいた。暗いところが苦手なので、足早に過ぎ去ってしまったから明るいときにまた来ようと思った。
 大國魂神社を抜けて多摩川の方に向かって歩いていると、左手側に東京競馬場が見えてきた。ぼんやりと馬券っていつから買えるんだっけなあと考える。成人年齢が十八歳に引き下げられてから今、自分が何を許可されるようになって、何がまだ許可されていないのかよく知らない。二十歳になったら大抵のことは許可されるだろうと思ってあまり関心がない。十九歳から二十歳になるとき、いつもと同じように一年年を取るだけなはずなのになんだか重たい一年な気がする。自分が十代という括りから外れて、二十代という枠組みに入るのがなんだか怖いようで待ち遠しいような気持ちがする。

四 中央道、多摩川沿いそして自室
競馬場沿いを歩いていると前方にある高架をひっきりなしにトラックが走っていた。あれはなんだろうと思って調べると中央自動車道らしい。ここで自分はPEOPLE1という好きなバンドの『ラヴ・ソング』の歌詞を思い出した。

国立府中から中央道とばせ僕ら惨めなハイウェイスター
目指したのは楽園 僕と君以外いない楽園
終末は近い
きっとあともう少しで何もかもが変わってしまうのでしょう

 この歌に歌われている中央道とはこれのことなんだなと思った。PEOPLE1は大学のサークルで知り合った三人のバンドだ。三人の出身大学などは公開されていないが、メンバーの一人の出身地が東京であることや歌詞のあちらこちらに東京の地名が出てくることから東京の大学出身ではないかと言われている。PEOPLE1が作る曲の歌詞には都会の孤独感や将来の不安や自分の作る音楽への猜疑心のようなものが感じられるものが多い。特に『ラヴ・ソング』が収録されている『PEOPLE』というアルバムにはそれが多い。『東京』という歌には次のような一節がある。

不思議な気分だな
遠くに空を眺めて 低い屋根の下で雨を凌ぐのは
不思議な気分だな
消えない街の灯りが こんなにも こんなにも惨めにさせるのか

 また『113号室』という歌には次のような一節がある。

とびっきりのメロディーも
気の利いた言い回しも
なんにもない僕はどうしたらいいんだろう
ありがちなコード進行と便利な言葉じゃ
未来はきっとこのまんまだし

 このバンドの大学生くらいの年代の人間が感じている不安を繕うことなくそのまま歌に乗せているところが自分だけじゃないんだなと感じられて安心する。PEOPLE1の曲を聞きながら歩いて、多摩川沿いのランニングコースに着いた。ちゃらちゃらと水面をゆらす水鳥がいる。人や街灯がほとんどなかったことの怖さや『東京』で歌っているような消えない街の光と自分の矮小さの惨めさなど色々な気持ちを感じて走った。この道は中央道と並行に走っている。東京に来てからろくに走っていないから歩きをはさみながらだけど、走った。喉が渇いて、レモンスカッシュを開けたら、プシューと弾けて、ブクブクと溢れてきた。走っているうちに振ってしまったからだろう。それがなんだか可笑しくて、微笑んだ。また走った。ビルの光で綺羅びやかな街に向かって。家について汗をかいて色の変わったTシャツを洗濯機に放り込んで、空になったレモンスカッシュのペットボトルをゴミ箱に捨てた。

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