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20240404【定点観測・のはずが超絶脱線の巻】

20240404
春は苦手。春は、ひとを無条件に不安定な気持ちにさせる。

今朝、目が覚めて一番にともさかりえのことを想った(あえてさん付けはしない。さん付けするような近い距離ではないのだ!)

わたしは、年に数回、「あぁ、ともさかりえはどうしているだろうか」と思う。
そして、昔であればアメブロを(今ではインスタも)チェックしては、
なんだか元気がないなとか、とっても幸せそうで、健やかそうで、うれしいな、とか思う。
そしていつも、どうしてこんなにも忙しいのに、いつもこれだけ美しいのか、そしてこんなにもおいしそうなご飯を作ることができるのか、と一方的にうっとりしては、そっと画面を閉じるのだ。
あぁ、なんと美しい。

SNSをフォローして毎日チェックするとか、そういう距離感ではない、定期的に彼女のことを思い出し、見にいくのがいいのだ。

そして、わたしがともさかりえはどうしているだろうと、まず想うのは決まって春である。

2024年の春到来、それは4月4日。

春は(正確には春の立ち上がりは)いつの間にかわたしにとって、必ずやって来て、ただでさえ形を成さず不安定でもろすぎる心を、冷気を含みつつ外側だけ生温かくした風でなぞり、そして明るげな陽光で油断させておいてその実態はただの真冬ではないか!という寒さで崩壊させてくる存在になった。

一年を通して基本低調なわたしだが、その中でもとりわけガクンと平均値を下げるのはいつだって春である。
故に、春は私の天敵。

話は戻る。ともさかりえである。
なぜ、春にともさかりえを想うか。


それは、木星人だからである。

?????

長くなるので経緯は割愛するが、大学生のころ、あらゆる人間関係のつじつまの合わなさを、そして納得のいかなさを、すべて細木数子氏の六星占術で解決していた時期があった。
(意味わかんないよね、私も書いてて意味わかんないし気持ち悪い)

とにかく色々あって、友人がコミュニティ内に細木数子メソッド(そんなものは無い!)を持ち込んだ結果、何これ超便利ツールじゃん!となり、その手の占星術を深く勉強するとかでは全くなく勝手な解釈と楽しみだけで、ハマったのだった。

当時は、時間さえあれば集まり、居酒屋で、公園で、家で、お酒を飲みながらただただおしゃべりを続けていた我々にとって、非常に楽しい遊びとなった。

自分たちがどこの星からやってきたのか(そんな占いではない)を一通り調べ、各々の性格などがみんなの前で発表され、謎に照れてみたり、不服そうにしてみたり、図星で大笑いしたりしながら、聞いた。
わたしたちは互いのことをよく知っていた。思春期からあらゆる浮き沈みを見合った仲である。
そんな友人たちの特性を、六星占術なるものは、読めば読むほど的確に捉えていた。みんな一様に納得した。
そして、言葉にせずとも大まかに分かれていた、そのコミュニティ内での持ち場みたいなものが、はっきり境界として現れた。
そして自分の持ち場や役割を改めて自覚し、オッス、引き続きこんな感じでいきます!と確信するのであった。


勘どころが分かって来て(なんじゃそりゃ)特に盛り上がった数名の友人と、身近な人について、あの人は○星人ぽいなどと予想をつけては生年月日で調べて答え合わせをするという全方位に失礼極まりない楽しみ方を始めた。

だんだんとそれぞれの星からやってきた(サン・ラーみたいに言うな)皆様の特性が立体的になり、ますます我々は、まさに、コツをつかんだ。

互いが知らない例えばバイト先での人間関係などについて説明する時にも、その子は〇星人で、店長は〇星人なんだけどさ、などと言って人物描写に奥行きを持たせることが可能になるほど、我々の共通言語となり、等しく解像度は上がっていった。どうかしている。

ばかばかしい上に猛烈に失礼なことは百も承知だが、いろいろあったあの頃、そして、今もそうだがコンプレックスの塊で誰とでも分け隔てなくサバサバと、器用にほどよく適当に、程よく不誠実に、という人間関係が築けないわたしにとっては精神衛生上とっても助かる視点であった。

非常にマズイ告白であるが、当時私は、できるだけ他人を(こちらの勝手で)カテゴライズしてラベリングして自分の中に相手のひとの置き場所を決めてしまいたいと思っていた。
そして、相手と自分の置き場所がそれなりに定まっていれば上手に付き合えると思っていた。なので、既に言語化できずとも大まかにカテゴライズ済みだった他者と、自分の置き場に名前がついた気がして、とっても気持ちがよかったのだ。

そしてたいてい前から置いていた場所と、○星人的な性質で与えられた言葉による置き場所が合っていたので、お墨付きをもらえたような気になっていた、誰から?数子から?サンラーから?なんなの?

今思えば、自分が見たいように見てる箇所が、文字になっても浮き出て見えているだけとも言えるけれども。とにかくご都合主義なのは百も承知だが、心の安寧にとっても便利だったので、自覚的にその解釈を使っていた感じだ。

そのうちに、身近な人だけでなく、テレビや雑誌越しでもそのフィルターを通してひとを見始めた。好きな有名人について予想を立てては、生年月日を調べて答え合わせをするなどして盛り上がった。
あるいは〇星人の有名人、などの一覧を見ては、ハハーンでしょうねでしょうね、などと妙に納得したり、え!?意外な一面だけど言われてみれば、、などと、言われてみればだいたいそう見えるよバーカ!って話なんだけど、そういうことを繰り返して楽しんでいた。ハシガコロゲテモ、な時期ですからご容赦いただきたし。

テレビやラジオや書籍を通してなんとなく染み出ていて気になっていたエッセンスが、絶妙としか言いようのない、〇星人という特徴で的確に表されていることにうっとりしたのであった。

例えば、壇蜜、リリーフランキー両氏に、安易に好きという言葉では語ることのできないような、猛烈なる興味と執着を抱いていたあの頃、あの二人は確実に同じ星の元にいるなあと漠然と思っていたらやはり木星人であり納得しまくったり。

太田光って土星人そのものだなーと思っていたら、やっぱり土星人だったり。(彼は、身近なひとの、大好きなところと大嫌いなところを煮詰めたら同じものが残っている気がしていた)

当時、寝ても覚めてもその人のことを考えちゃうみたいな時期が到来した人(つまり考えまくってしまう対象、太田光のことも死ぬど考えていた時期があった)のことは、調べてみるとたいてい当たっていて、まじですげーな六星占術!そして自分の執着!と思っていた。これが学生の頃の話。

そして数年前、当時の気持ち悪すぎる自分たちの六星占術フィーバーについて友人たちとはなしていて、そういやあの頃大体予想して調べたら当たってたよねという話になり、10年以上ぶりにそんな答え合わせをしてみた。
菊地成孔と菊地凛子は調べるまでもなく、嗚呼なんと火星人としていつだって光り輝いていらっしゃるな何年も思っていたのだが、見事に的中していて爆笑。
我ながら気持ち悪い。(もちろん公表している生年月日が正しければだけど
、そんなことは知らん。彼らは私にとってまごうことなき火星人!!嗚呼、うっとり。)

ずいぶん遠回りしたが、今年もわたしに春をもたらした、ともさかりえに話を戻す。

彼女が木星人だと知った時の腑に落ち具合と言ったらない。もう、まさに。木星人中の木星人。
壇蜜、リリーフランキー、ともさかりえ、である。

そんなことの遥か前から、わたしはともさかりえが好きだった。

金田一少年、美雪も。
どっちでもイン、山本くんでも佐藤くんでも~も。
エスカレ~ション~も。
カプチーノも。
ともさかりえの歌唱は絶品だし。
すいかの絆ちゃんなんて、もうともさか味の極みだし。
(すいかという人生ベスト級の、愛するテレビドラマにともさかりえが居てくれたなんて、なんて素敵なことでしょう)

そんな彼女のブログを定期的にチェックしていた学生時代。
おぉ、、、病んでいるご様子っ!やられていらっしゃるわねっ!!ということがまあまあ多くて。
しかも、バッドバイブスのテクスチャーが当時のわたしにとって、もちろん自分と比べるなんて図々しすぎるけれど、なんか、んん?ちょっと知ってるテクスチャーか、、、などと思っていた。
気になりすぎて、当時の旦那氏のブログとかも、ともさかりえ氏のブログと時系列で遡って並べ読みしたり、狂ってるとしか言いようのない執着で、二十歳前後のわたしはともさかりえウォッチャーをしていた。


そんなときに彼女の故郷の星(六星占術はそんなこと言ってないっ!)が
木星と知ったときの安堵といったらないわけです。
腑に落ちすぎて、涙が出そうだった。

時は経ち、社会人となりそんなに熱心にブログをウォッチできなくなってからも、自分のメンタルやフィジカルが猛烈に落ちるとともさかりえのブログをチェックしては、おう、同じ波形にいらっしゃる(たいてい彼女もバッドであった)、とか、おう、りえちゃんはとっても健やかでうれしい、とか、そういう距離感になっていったのである。(どういう距離感だよきもちわりーな)

で、当時から今に至るまでの実感として、
木星人はとにかく春に弱い。多分。
正確には、春の立ち上がりにとにかく弱い。
なので2月に入る頃にはたいてい身構えて来たるべき春の訪れに向けて諦めとともに待つのである。早く、春めき終われ!と。

そしてわたしが絶不調なときブログを訪れてみると、彼女もまた不安定な人間らしさを滲ませていることが多かったのだろう。それで、なんとなく、春と紐づいてしまったのだ。

例年通り体調を崩し、絶不調だった数週間を抜けて復調し始めた4月4日の起き抜け。
今年も、やっぱり春に彼女を想いブログを見てみた次第。
素敵なアパレルや知らぬ間にサプリを始めていて(アパレルのことは知っていた。MYWEAKNESSだよ!なんたるともさか味!そして木星人的!!)うっかりサプリを購入しそうになった。
現在、絶賛無職中なので、散財禁止!と、我慢したけれど仕事が始まったらきっと絶不調逆戻りするので、そうなる前に購入しようと心に誓う。

それにしたって、本当に。
お肌はちゅるちゅる、いつもナチュラルでおしゃれでこんな風に素敵にお洋服を着ることができたらどんなにいいだろうという憧れしかないお姉さまですな。3度の結婚など、ワイドショー的なことは興味がない。
(ただ、ナンシー関が生きていたら何をどんな風に書いたか、あるいは書かなかったかと、3度目の結婚の時に頭をよぎったのは事実)

思えば遠くに来たもんで、ハタチそこそこだった私はアラフォーになりまして。おかげさまで今日も生きており、今年も春が来ました。

え、マジでなんなの。なんの話してんの。
日記書くだけのつもりが全方面に超絶気持ち悪いし失礼な文章になってしまった。

でも懐かしい日々を思い出しながら書いて、ばかばかしくて楽しかったー。
しかし、もう少しまともなことを、もう少しこざっぱり書きたいものです。
おやすみなさい。