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人生のもくてき

電車の中吊り広告に、スーツ姿で腕を組む藤井棋聖の姿があった。将棋を打つために生まれてきた天才である。かの有名な小澤征爾は、恐らく指揮者になるためにこの世に生を受けたと言っても過言ではない。あ〜か〜い〜、りんご〜の〜、の美空ひばりも日本を代表する歌手になるために生まれてきたし、CHANELの創始者であるCoco Chanelはどう考えてもファッションデザイナーになるために生まれてきたに違いない。Appleの創始者スティーブ・ジョブズに革命的変化を起こすために生まれてきた筈だ。

それなら、私は何のために生まれてきたのかと言いたくなる。世界に変化を巻き起こしたり、人々に感動を与えるようなことも、やってないけど。もしかしてもしかすると、私が存在していることに大した意味なんかないんじゃないか?毎秒息をして食物を食べて、寝て、また食べて・・・。たまにお目にかかるちいさな幸せに心を躍らせ、生きててよかったあ、と思ったかと思えば、大体、残りの80%くらいは不安と苦しみばかりで、すぐに生きる意味を問いだす始末。いやあ、本当に不思議だ、人間て。誰が創ったのか、又はどのように進化したのか、誰にもわからないけど、みんな、何も疑わずに生きていこうとする。

「生まれた意味や目的はあるのか?」

わらっちゃうような問いかけをして自分の発言がウケる。

いやあ、私的には、意味があって欲しい。意味がないというなら、何のために生きてるというの?「生きる意味を探究し続けるのがあなたの生きる意味なんじゃなーい?」って、どこかで会ったおっさんが言ってたけど、かっこつけてんじゃないよ。こっちは真剣に考えてるの、伝わってないらしい。大体、8割が「とても充実しているとは言えない状態」なのに、もしかして、そこから何か学べってこと?だって、ていうか、どうせ学んだところで、90歳辺りでこの世を去る運命なのに?いや、その日は明日かもしれないし、明後日かもしれない。明確なのは、人は皆いずれこの世を去るということ。何で、人は死ぬと分かっているのに、辛く悲しくても生きようとするのだろうか。最後には必ず終わる人生なのに、どうして前を向いて歩き続けるのだろうか。

やっぱり、生きる目的や意味がほしいなあ。毎日ただ何となく息してるって、まあそれでもいいけど、私の人生に何か意味があればいいなあ。特に、社会に有益な何らかの意味があればなおいいなあ、と思った土曜日でした。


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