見出し画像

感覚の儀式 「Voicecore Reading Poetrium 花羽音」2024 6月22日(土) 備忘録


和久井優さんが出るから行った。


花羽音の第二弾は行きたいっしょ。





舞台とか朗読劇とか、そういう枠のものじゃなかった。トリップしてた。
エンターテイメントといっていいのか。
エンターテイメントではなく、儀式なのでは。
 

花羽音は、2023年もあった。
 

前回から出演されている方が3人。
和久井優さんもおったのです。


◯内容 雑感 覚えてること 感じたこと

6月22日(土)の昼夜、アフタートークに行った。

前回の繋がりを感じさせつつ、さらに"感じさせること"に寄せてきた。例えるなら前回は、人間の形とストーリーの輪郭がみえていた。今回は、輪郭が曖昧になって半分心と体が海に帰りかけていた。
そんな感じの舞台、というか、パフォーマンスを座して見ていた。


始まる前の舞台上には、蓮(はす)みたいな大きめのキャンドルの周りに、小さいキャンドルが(スイッチ式)置いてあった。魔法陣。儀式の序章。


定刻になり、和久井優さんがすーっとくる。公演を通して、わりとセンターにいた。
始まりが和久井優さんなのは、和久井優さんのエレメントが風で、今は風の時代だから始まりにはもってこいだからだったらしい。アフターで原作者のお二人がいっていた。センターで引っ張っていたのも、そういう意図なのかも。

スタンドマイクが5つ。中心と周り。後ろには譜面台と椅子のセット。
それぞれがスタンドマイクに立つと、言葉と詩が、延々と紡がれる。

紡がれる? 発せられる? ひたすらマイクを通して増幅されて、東京カルチャーカルチャーの高い天井でさほど広くない箱に行き渡る。だから音がいい。

薄暗いなかで、黒のワンピースで紫とか青とか白とかの花をかんざしにしてつけて、メディ・ブーケ(花束人形)(花羽音が生えて人間ではなくなった人)たちが、言葉と詩をよむ。読んで、読み終わった台本を捨てる。

輪唱。詩と言葉のフラグメント。
セリフらしいセリフはほとんどない。詩はあれども、言葉が静かに飛んでくる。

言葉にもなっていない喉から出る音もある。
はーーーーー、とか。長ーく声を伸ばした輪唱が、まーー綺麗だった。
楽器やアカペラで音をあわせるやつの気持ちよさと綺麗な感覚がある。
ごにょごにょごにょごにょ言葉じゃない音の間に、詩を読むとか。

ローな音楽がずっと鳴ってる。私はBGMが鳴っているのを意識してなかった。光も。環境になってた。
ステージ崖近くに這っている電球を演者がつけるやつも今回あった。
マイクの受け渡しすらもお芝居と意図があるみたいだった。

まーすごい。面白いのベクトルがいつも見ているコンテンツたちと違う。舞台とか朗読劇みたいにストーリーと演者のお芝居を楽しむとかでなく、発せられてくる言葉と音と黒装束の美女たちのお芝居に、浸る。

昼の部は真ん中辺りで見てて、前の席の金髪の人が、「な、なんだぁ」って感じだった。いやーわかる。前回を経験しているのでわかる。今回はストーリーを追うことに並ぶ、思考するのを一切すてて望んだ。

そのおかげか、感覚が研ぎ澄まされて視界に写る物体がすべて輪郭だけになるやつになったし、(めまいする寸前に周りが輪郭だけになるやつに似てる)演者がマイクを衣装にこすったときに出た音に、しこたまビビり、脈をおさえて自分を落ちつける作業を必要とした。瞑想してたんだと思う、90分。
瞑想じゃないとしたら、トリップ。瞑想とトリップは似てる。薬はやったことないがこういうことなのかもしれない。

意味を考えずに受け止めるだけに徹する(てっする)と、視覚と感覚だけになる。
言葉はイメージを連想させる装置になって、舞台上の光景は言葉にそえられているビジュアライザーになる。

そして、随所がMVみたいだった。
センターマイクに立つ人の全身が視界に収まりきらない距離、塔だった。センター1人、囲む4人、そびえる5人の塔。庵野監督とか岡本喜八監督がやる、画面に人物が収まりきらない構図のやつ、ビジュアル全振りの圧倒されるやつがあった。きっとこの先、あの光景はどこかで思い出すだろう。スタンドマイクが舞台に立ち並んでいるだけでも、なんだかそういう銀色の塔にみえた。


そうか、この舞台はイメージを見せられているってことか。
スゴい体験だよ、ホント。いま分かった。



◯劇中で儀式感がひときわ強くてよかったシーン

なんと言っても、今回は儀式感が強かった。

山場といっていいのか、中央にモノをもってきた。
ガラスかプラスチック製の透明な筒状の入れ物と、それに入ってる枯れ草。
それと、黒い布がかかった花瓶用のような小さいテーブル。5人が目配せ。決心するようにうなずく。黒い布を取ると、和紙みたいなガサガサっぽい紙がのっていた。

紙を取って単語を読む。舞台上最前にある石の単語を読む。もってきた枯れ草の単語を読む。
グルーブ感というか、何をやってるんだ感、呆気にとられつつも、圧倒される。うわー。なんか、すげー。どこかの村の儀式に居合わせてしまったみたいな、少しの居心地の悪さと、困惑と、綺麗な感覚とか、感情が混ざり合っていた。


もう一つの儀式。
センター1人がスタンドマイクに立つ。他の4人が後ろに控え、整列して、明滅とも呼べないまばたきをゆっくりしていた。
中央の1人が言葉を発し、4人はそれぞれまばたき。ゆっくり。目を閉じて、数秒後に開く。なんだこれは。2人が目を閉じ、2人が目を開ける。深呼吸するように。儀式だ。
すごかったー。しかもファンしてる人含めてみんな美女でビジュがスゴいから説得力がでる。こうです、って言われてる。新しい儀式。

◯アフタートークもいった。


花羽音2024は、2日間でセットリストが変わって、その日の出演者も変えていた。2日間の出演者6人が勢揃いして、原作者の淡乃晶さん、北島とわさんもそろって、みんなでしゃべった。

出演者のみなさん衣装で壮観だった。
本編の儀式感のない、砕けた雰囲気でよかった。
淡乃さんと北島さんが10年来くらい一緒にやってるらしく、お2人だけに流れる気の置けない雰囲気がよかった。
北島さんがしゃべることが感覚的なモノが多く、(言葉が見える? らしい。輪郭というか、言葉にするのは難しい感覚を持ってるようだ。)淡乃さんが補足するくだりが毎回面白かった。

以下、覚えてる範囲のよかった話。

・人のエレメントの話になり、(北島さんがわかる? 調べた?)和久井さんは「風」で「水瓶座」。帰りに駅のホームで調べたら、『型にはまらない個性と革新性を持つタイプ』らしい。ぽ、ぽすぐる。

・出演者は、前回お世話になった人プラス、淡乃さん北島さんが以前お仕事させてもらった方々だった。

・和久井さん始まりにしたのは、いまは風の時代らしく(たしか)、だから風のエレメントの和久井さんしかない、という理由。

・ポエトリーリーディング? という詩を読むカルチャーが元々あるらしい。知らなかった。北島さんは渋谷の地下で、仕事帰りのリーマンとかが詩を書いて読むってカルチャーがあって、リクエストされた曲を流すDJをやってたらしい。紙を捨てるのは、その時にあった文化。

・確かみんなニュートラルの自分自身と、役の半々でやってた。そういうオーダーだったらしい。

・キャラクターがあるから、荒唐無稽になりすぎない。それはアニメがあって声優いるおかげ。日本のカルチャーがあるおかげこういう表現ができる。そんな話したはず。

・去年の花羽音の稽古で、あまりにも正解がわからなくて原作の2人に訊いたら、「我々もわかんないんだよね……」で、じゃあわかんないじゃん! ってなったエピ。

・皆さんスンッとしてお芝居されていたようで、舞台上には様々なドラマがあった。役者すげー。

・(和久井さんの終わりの挨拶)花羽音が目当ての人も、推しがいていってみっかて人も、皆さんが見て反応してパッションみたいなのをぶつけてくれるから、私たちも助かった。ありがとうございました。

・花羽音の音源リリースします。海外でも聴けるようにバンドキャンプです。出演者の方々がバンドキャンプ? ってなってた。私も知らんかった。

◯和久井優さんの美についての随筆


花羽音から少しそれたので別の記事にわけました。



花羽音での感想なのを忘れていたので戻そう。
今回の花羽音でも、座ってるお姿が、うわって、ちょっといっちゃうほどだった。ビューディホー……。艶やか、しとやか、たおやか、そこら辺のイメージの、ちょっと影のある美しさがあった。

黒いワンピースにつつまれた足をそろえ、お腹は譜面台に向いて横向き。ピンと伸びたせすじで、うつむきがち。ご出演された番町皿屋敷で斬られたあとに座していた姿に近い。繊細で淡く、それでいて美女に描かれた掛け軸の幽霊のような、顔面蒼白の美しさだ。


センターの奥行きに移動した和久井さんをかなり集中して見ていると、視界が揺れた。ゆっくり揺れて少し気持ち悪くなった。三半規管がやられたのか? 真面目に視界を疑って舞台の上にあったフチの、縦の線を見ると収まった。和久井さんに戻すとゆれる。これがトリップ状態なのか。違った。たたずむ和久井さんが少しだけ揺れていたからだった。平衡感覚が和久井さんにもってかれてた。

かんざしについているエメラルドブルー色のイヤリングみたいなのが揺れるのが可愛かった。

◯まとめ

"難しい"って表現していいものなのか。"難しい"って考えること事態が違う気がする。幻想的だとか、難しかっただけで喝破するのには惜しい、類を見ないパフォーマンスだった。

ひたすら言葉のイメージや、何かの形式に則って行われているビジュアルを感じるパフォーマンスだった。

「言葉のフラグメント(断片)を花束にしてもちかえる」という公式からだされている言葉の意味も、時々感じる「いまのなんかよかった」感覚を持って帰るってことだ、と理解できた。


花羽音、来年もよろしくお願いします。

和久井優さんも何卒お願いします。


応援ビジュアル

A2応援ビジュアル 結構書いてくれます。
A1とのスケール感

購入したさいは、宛名入力フォームがあるから、絶対に入力せよ。
しなかったら終わる。すぐしろ。




あと、途中の曲がLONG SEASONっぽくてよかった。最近良く聞いてるから。


感想のが喜びます