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うちの自慢の母親の話。

昨日は母親の誕生日でした。

なんとなく、20年間私を育ててくれた母親について書きたくなって、初めてnoteを投稿してみます。父親、弟たち、祖父母にも支えられてきましたが、あえて今回は母親にフォーカスしてみます。

私は高校の卒業文集に「母親のようなお母さんになりたい」と書きました。そのくらい自分の母親を尊敬しているし、育ててくれたのが母親でよかったと思っています。

母親のことを尊敬している一番の理由は、自由に育ててくれたからです。

習い事や進路を押し付けられたことは一度もありません。

やりたいことを頭ごなしに否定されたこともありません。

私がやりたいと思ったことはやればいいし、そのためのお金を出すなどの協力はするというのが基本的な母親のスタンスでした。でも、なぜやりたいのかをかなり詳細に説明しなければ納得してもらえなかったし、大きくなっていけばいくほど自分で情報を得てやりたいことを探さなければいけなくなったし、危ないことは両親に全力で止められる、というのが我が家の暗黙のルールになっていました。

幼稚園のプール遊びで一人だけ顔すらつけられなくて悔しいからスイミングを習いたい、近隣小中学校の書道コンクールでいい賞が取れなくて、このままだときれいな字が書けないから書道を習わせてほしい、数学だけ苦手すぎて意味が分からないから塾に通いたい…習い事は全部私からお願いして高い月謝を払ってもらっていたし、毎日大変な送り迎えもしてもらっていました。三人兄弟で弟二人もいるのに、こんな大変なことをしてもらっていたのだと思うと頭が上がりません。自分に子どもが生まれても、ここまでできる気がしません。そのくらい、小さいころから好奇心と向上心が強かったのであろう私の気持ちを真剣に受け止めてくれていました。

短期の海外留学に行きたいと言った時は、「海外に行ったら殺されるからあかん」と言ってきかない父親のことを、私の熱意を汲んでくれ、学生時代に短期留学を体験して異文化交流の楽しさを知っている母親が説得してくれました。

中学生のころに一人で大阪まで電車旅をしたいと言った時はさすがに止められました。結局実行させてもらえなかったのは記憶にあるうちでこれが最後です。(これは親の判断が正しかったです。でも私はその後何度も一人でこっそり電車日帰り大阪旅をしていました。ごめんなさい。本当になにもなくてよかった…)

私が高校三年生の時、病気で入院した時も、今通っている大学の推薦受験やめたら?とは言わずに、病室で黙々と志望理由書を書く私を全力で応援してくれました。退院して二週間後の受験の日も、東京までついてきてくれました。

無事に合格してから、入院してるときどう思ってたん?と聞くと、「あんたは受験せんかったら絶対あかんようになってたと思ったから、とりあえず受けさせてみようと思った。あんたやったらなんとかなる気はしてたし、あかんかったら通信制の教育学部受けたらいいと思って情報は集めてた」と暴露されました。親だからこそ心配になったり不安になったりすることもかなり多かったと思います。それでも一言も不安を漏らさず応援し続けてくれた母親は本当に強いし、本当に辛かったんだろうなとも思います。

私は母親が泣いたり怒ったりしている姿は(笑いすぎているとき、感動しているとき以外)ほとんどみたことがありません。誰にでもご機嫌で分け隔てなく接していて、いつも三者面談が終わった後に「おみやさんのお母さんみたいなお母さんうらやましいわ~、ほんまにええお母さんやなあ」と担任の先生に私がほめられるほどでした。少なくとも、子どもである私にはいつも明るいはつらつとした母親の姿が映っていました。母親の情緒が安定しているだけで、子どもはこんなにも安心できるのだということがようやくわかりました。それくらい当たり前のように、いつも明るい母親の姿を見せてくれていました。

大学に進学してからも、地元に帰ってきて教師になれとか、海外に行って頑張れとか、そんなことは一切言わず、「お金はなんとかするから、あんたのしたいようにしよし」というスタンスを今もずっと守ってくれています。「あんたはほんまになにになるかわからんなあ、おもろい子やわぁ」と笑いながら言ってくれる母親の存在があるから、今も私は程よく人生や生き方について考えながら、楽しく東京での学生生活を送れています。

母親が私の母親じゃなかったら、こんなにのびのび私らしく育っていなかったと思います。親の価値観を強く押し付けられることなく、私が私の人生を送れていることがいかに幸せであるかが、少しずつわかるようになってきました。

信じるとか見守るとか任せるとか、実際にはなにもしていないように見えることが1番難しいんじゃないかと思います。子どもが失敗しそうになったら親が先回りしてそれを防いであげたくなるのは、まだ子どもがおらず教育を学び始めたばかりの私でさえわかる気がします。それをぐっとこらえて、失敗する時はさせるし、でもその後のリカバリーはしっかりするし、そこでも手を貸しすぎないという絶妙なバランスをとり続けてきた母親は本当に辛抱強かったのだと思います。正直、うちは放任主義だとずっと思っていました。そこに母親なりの愛があることなど微塵も思わずに…常に大きな愛を受けていたのだと気づいたのは本当に最近のことです。

母親のあり方は、探究学習における先生やまわりの大人のあり方に似ている気がします。母親は専門的な知識こそなくてもやる気を引き出す天才だと思うし、「最近学校でしやるあれはどうなん?私は何回説明聞いても理解できんけど、あんたはすごいことしやんねなー、楽しそうやなー」と話を聞いてモチベーションを続かせるのが最高に上手いです。一度母親に探究のサポートに入ってもらいたいくらいです。だからこそ私が探究学習に興味を持って続けられたのかもしれません。

たぶん、母親が母親じゃなくて、クラスメイトだったら絶対に友達になりたいと思っていただろうし、先生だったら生徒思いの手をかけすぎない良い先生だと思っていたはずです。結婚するまでは幼稚園の先生をやっていたらしく、母親の実家にはたくさんの園児さんや親御さんからの手紙がありました。それくらい、人から愛される人として魅力的な人だと思います。

職業的な将来の夢はころころ変わり続けていて、今はむしろ見失っているくらいですが…物心ついた4歳、初めて抱いた将来の夢は「お嫁さん」で、そこからずっとお母さんになりたいという夢は変わっていません。自分の母親という憧れの存在が身近にいるからこそ、そして母親を一人の人間として尊敬しているからこそずっとそう思えるのだと思います。

おおざっぱな性格も、方言強めな話し方も、声がでかくて通るところもすっかり似てしまいました。自分のそんなところもちょっと好きです。

小さいころから好奇心のかたまりで、口が無駄に達者で、東京の大学や海外にまで飛び出してしまうような手のかかるお転婆娘をここまで育ててくれた母親には、本当に感謝しています。

私を信用して支えてくれるお母さん、ありがとう。

これから恩返しできるように頑張ります。

そして、いつかお母さんみたいなお母さんになります。

これからも元気ではつらつとしたお母さんでいてね。

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