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忘れられない焼肉

半分寝ながら書いているので、文章がおかしいところはご愛嬌。

自分にはどうしようもないことを抱え込んでしまって、うつ病になったことに気づく前のお話。

大学院に行くと決めて勉強を始めた矢先、コロナ禍に突入したハタチのころ。緊急事態宣言が発令されてすぐ、実家に帰ったら、そこで母親が希少で明確な治療法のない病気であることを知らされた。

母親は泣きながら、そばにいて、東京に戻らないでと懇願してきた。

私はそんな母親を受け入れられず、1人になりたくて東京にすぐ戻った。

そのころから勉強は一切進まなくなった。LINEを開くのもおっくうになった。友人とのやりとりは元気そうにやりすごしていた。というか、今見返すと元気すぎたかもしれない。

急激に太り始めたことにも、周りにいてくれている人に依存して感情が大きく揺さぶられていたことにも、気づいていなかった。

教育実習も途中で辞退した。自分の心身がそこまで限界に来ているとは気づいていなかった。

2020年の12月、私はFacebookにたくさん苦しいことを投稿していた。心療内科にもまともに行けず、全然先が見えなくて、何をどうすればいいかもわからず、周りの人にも明らかに迷惑をかけるようになっていた。

そんな投稿を見てくれた、とあるイベントでお会いした女性がメッセージをくれた。

お忙しい方なのに、お電話までしていただいた。

そして、ご飯に行こう!と誘っていただいた。

夜、西新宿で、初めて行く場所だった。

そこはとても美味しい焼肉のお店だった。

焼肉なんて、いつ食べたか記憶にないほど久しぶりだった。大学生がチェーンでない焼肉屋に行くことなんて、自分では絶対に有り得なかった。

誘ってくださった女性と、もう1人の女性の3人で焼肉を食べた。当たり障りのない話をして、美味しいお肉をおなかいっぱいいただいた。

正直なところ、その頃の記憶はあまりない。当たり障りない、と書いたが、具体的に何を話したのか、全然覚えていない。確かに厚切りのタンはめちゃくちゃ美味しかった。でも、心から美味しいと思えていなかった。美味しいのに、美味しいと感じられない、不思議な感覚。完全に上の空で、話にも、お肉の味にも集中できていなかった。

その頃はずっとそんな感じだった。
自分の内面にしか意識が向かず、他人の優しさにも気づけなかった。

その焼肉は、誘ってくださった女性にご馳走していただくことになった。
そして帰り際、「美味しいご飯は世界を救うよ!しんどいと思ったら、まずはご飯を食べよう!」と一言、その場は解散となった。

そこから4年近く経ち、今に至る。
私はあの焼肉をどれだけ糧にしてきただろうか。

あの場で、「私もそういう時あったよ〜」とか、「そういう時はこうしたらいいよ!」とか、そういったことは一切触れられなかった。楽しい食事会だった。ぼんやりとした記憶でも、明確にあの焼肉のことを覚えている。私の辛いことよりも、間違いなく女性のはつらつとしたご友人との楽しそうな様子と、美味しそうなお肉の記憶は蘇ってくる。

今考えれば「大したことないやん。なんでそんな事で悩んでんの?」と思ってしまうような、他人から見ればもっと「なんでそんな悲劇のヒロイン演じてんの(笑)」となりそうな様子である。

そんな私に、「辛い時はとりあえず美味しいもの食べよう!」と、ただそれだけ教えてくれたその女性の心の温かさと美しさ、繊細さ、おおらかさを今になって本当にありがたく思うのである。

きっと、あの焼肉がなかったら、私は今の私に戻れていなかったと思う。

話は戻り、2021年に私は彼氏と別れ、大学院進学を諦め、地元に帰ることを受け入れることとなった。

焼肉から4年ほどが経つが、何度おまじないのように「美味しいもの食べよう!」を唱えてきたか。とにかく、一旦美味しいものを食べるようになった。太ることは一旦気にしなかった。一番太ったのは、毎日アルコールを摂取し続け、ウーバーイーツで頼む特盛牛丼か、パックごはんをチンして無限にそれだけを食べ続けていた頃だったので。

そうして、美味しいものばかり食べて、できあがったのが今の私である。

あの焼肉には、書ききれないほど有難いことがある。お忙しい方なのに、数回しかあったことのない大学生の私のためにわざわざ時間を作って、焼肉までご馳走していただいて、辛いこと自体を深掘りするのではなく、少しでも幸せになる方法を教えてくれた。

いくら人が辛い状態だと言っていても、ほぼ見ず知らずの人にこんなことはできない。

いつか私もそんな大人になりたい。
人には人の地獄があり、比較できるものではない。
それをただ、あるがままに、ただその時を美味しいものを食べながら過ごす。そんな大人になりたい。

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