もののけ姫見てきたよ

いや子供の頃から飽きるくらいVHSを見てたんですけどね。

通して二時間見るのは何年ぶりかなあ…内容は覚えているのにあんなにハラハラワクワクドキドキさせてくれるとは思わなかった。あと映画館の音響すげえ。BGMが急に大きくなるところ、テレビで見てると耳をつんざくような音になっちゃってウワアワワて音量下げるんだけど、映画館だと全く違和感ないし、スルッと入ってくる。プロすげえ。


特に注目する点とかを決めず、ただただ見てきたんだけどやっぱりすごいわ宮崎駿。どうしてこんななんの違和感も矛盾もない物語を作れるんだ。この没入感。エンドロールが終わって館内が明るくなってふっと我に帰る感覚は久しぶりだ。ストーリー知ってるのに。繰り返すけどもう何度も見たのに。

アシタカもサンも「見たものをわざわざ説明する」ことが多くて、くどいくらい状況を教えてくれる。でも内心思っていることは一人言では呟かない。他のキャラクターに投げる言葉として口に出す。コミュニケーションがきちんとある。憎しみであれ失望であれ怒りであれ。

「見ているものを説明する」セリフのいいところは、作っている側と我々視聴者の間の齟齬をなくせることだと思う。

冒頭のアシタカの「何かくる」って見りゃわかるよ!なんならさっき山を歩いてるタタリ神の姿を見たよ!でもちゃんと教えてもらって初めて、アシタカが「何か」を認識して、それが矢をつがえる相手だということがわかる。細かくてわかりやすくて、多分私の感じた「スルッと」入ってくる感じってこういうことの積み重ねなんだと思う。すげえ。


もののけ姫は全部好きなんだけど、とりわけ好きなシーンがあって、エボシの留守中に侍がタタラ場を襲ってくるじゃないですか。その時籠城中のおトキさんの隣に、ハンセン病患者の女性が座って一緒に銃を討ってる。彼女が胸元から取り出した干し柿?みたいなのを、おトキさんは躊躇なく口に含む。

非常事態においては「誰も恐れて近寄らぬ」エボシの庭の住人たちもまた、隣人として認められ迎え入れられる。

多分タタラ場でなければああはならなかったと思う。タタラ場でなければ襲われたときに男たちも残っていて、足でまといの病人たちは(しかも感染すると恐れられるハンセン病の)殺されただろう。

もうね、性癖。本当に好き。巨大な城門に守られ、一人のカリスマの統治によって存続する閉鎖社会。そこに暮らすのは一般社会から隔絶された人々。「まっとう」では生きられなかった人々。そこでなければ存在し得なかった価値観。そこで起こった非常事態だからこそ、人の暖かさみたいなものが、人と人との交流みたいなものが、道徳の教科書にでも載りそうなエピソードが、生まれる。

全部まやかしなんだけどね。

タタラ場、多分エボシ様が死んだら瓦解するんだけどね。

でもそこに一瞬の風のような、ほんのわずかな煌めきがあって、それをもたらしたのが「女傑」のエボシってところにめちゃくちゃ興奮する。火と鉄を使う女。石火矢を撃つ女。侍の作り出した社会ではあり得なかった輝き。軽くて扱いやすい銃によって力を手に入れた女たち。

ああ〜〜好き〜〜〜〜〜もっと論理的にまとめろやと言われたらおうすまんな。ただとにかく好き。いずれ崩壊するんですよタタラ場は。だって日本史はあの時代以降武士の時代になっていくんだもん。名を残せずに消えたんですよタタラ場。カリスマが作り上げた一瞬のディストピア。永遠の沙城楼閣。でも本当にああいうコミュニティが正史にあったかもしれない。そういう夢を与えてくれるところがほんとすごいなあと思います。知らんけど。


タタラ場って森の犠牲の上に成り立ってるわけじゃないですか。そして現実世界において、やっぱり実際には森も動物も無力だったと思うんですよね。

そりゃめちゃくちゃデカい熊とか猪に殺される人は現代にもいるけどさ。結局できてその程度なんだよね。ごく一部の恵まれた個体がごく少数例の反撃をしました。以上。それがホモサピエンスとそれ以外の動物の戦争の限界だと思うんだよーでもーーーもののけ姫だとーーーー。

夢。これは夢。

現代から見ればひっでえ時代にも、成り立ちも存在もグロテスクでエゴ塗れだけれど、人が笑いあえる楽園があった。そういう夢があったっていう記録。だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?