"愛”から読み解く(映画)ハリーポッターの世界

映画ハリーポッターでは”愛”というキーワードがとても頻繁に登場する。
おそらく最も”愛”というワードを使うのはホグワーツ校長でもあるダンブルドアだろう。
第一話である賢者の石からダンブルドアはハリーに対して一番大事な教えかのように
「愛じゃよ、ハリー」と語りかけている。
では、この物語に出てくる”愛”とは一体なんなのだろうか。
まずは”愛”が活躍したシーンを紹介していく。

①第一話賢者の石 ヴォルデモートに憑依されたクィレル先生VSハリー

賢者の石終盤、ハリーたちはホグワーツの先生たちがあらゆる手段を使い賢者の石を隠したがヴォルデモートは石の在処まで辿り着いてしまう。少し後にハリーも辿り着くがそこに石はなく、溝の鏡と呼ばれる鏡しか無かった。ハリー自身が石を見つける手段ということに気づいたヴォルデモートはハリーを唆かすがハリーは応じず、交戦することになった。
ホグワーツに入学したてのハリーが勝てるわけがなく追い詰められ、ヴォルデモートが憑依したクィレル先生はハリーに触れようとした。。しかし触れた瞬間、突然手が燃え始め全身が灰となり消え去ってしまった。次の日ハリーは病室のベットで目覚めるとそこにはダンブルドア校長が。そして昨日あった出来事をハリーが一通り話すとダンブルドアはこう語りかけたのだった。「愛じゃよ、ハリー」

②過去の話 ハリーが生き残った男の子になった日

そもそもハリーはなぜ”生き残った男の子”として魔法界で伝説の子供になったのか。
それは闇の帝王であるヴォルデモートを唯一打ち破った(しかも赤ん坊の時に)からである。しかしこれはリリーポッター(ハリーの母)が自分の死を犠牲にして、ハリーに愛の加護を与えたからである。この物語の始まりは”愛”によって始まったといっても過言ではない。

③学生時代から一途にリリーポッターを愛し続けたスネイプ先生

第一話からハリーたちの天敵であり、終盤になって突然作中1番の男であることが判明したセブルススネイプ。自身もホグワーツ出身であり、ハリーの父、母と同僚である。
リリーポッターに恋し、生涯愛し続けた。恋人の子供であるハリーのことも陰で守り続けた。守護霊はリリーポッターと同じ雌鹿である。
ダンブルドアとの秘密の会合ではハリーを守るためにエクスペクトパトローナムを唱え雌鹿が現れた際には「これほど時が経っても(まだ愛しているの)か!」と驚愕するダンブルドアに対して「永遠に」と答えている。

④作中ハリーたちを支え続けた最大の母 モリーウィーズリー
ハリーの親友、ロンウィーズリーの母、モリーウィーズリー。両親のいないハリーとマグル出身で魔法界に両親のいないハーマイオニーをまるで家族のように支え続けたモリー。
最終章のホグワーツ最終決戦ではヴォルデモート陣営の中では最強格のベラトリックスを打ち砕いた。これは本来ありえないことなのである。作中モリーが強力な魔法使いである描写は一度もされていない。しかし、一つ前に命を落とした家族を罵られたり、目の前で可愛いロンの妹ジニーウィーズリーが負けそうになっているのを見て果敢に挑み打ち破ったのだ。
これは明らかに”愛”のちからだと言える。

④ホグワーツ最終決戦 ヴォルデモートVSハリーポッター

最後に紹介するのは物語最大の盛り上がりであり、最終決着の場であるホグワーツ最終決戦ヴォルデモートVSハリーポッターである。許されざる呪文であり作中最悪最強の呪文”アバダケダブラ”に対してハリーは赤い閃光の呪文で対決。作中で赤い閃光といえばエクスペリアームス(武装解除の呪文)がイメージされるが、なんの呪文かは定かではない。
ただ、この呪文でハリーはヴォルデモートを打ち破ったのである。最強最悪の死の呪文に対して対抗できる魔法などあるのだろうか?
私はリリーポッターが使った”愛の加護”的な魔法で打ち破ったのだと考察する。

ここまで”愛”が印象的に活躍したシーンを紹介してきた。
皆さんもお分かりの通り、映画ハリーポッターの世界では”愛”と”死”が明らかに密接な関わりを持っているかのように描写されている。
ここで私のもつ「ハリーポッターという作品における”愛”とは何か?」という問いに対する答えを明示する前にもう一つの視点から”愛と死”について考察したい。

それは作中で愛されたものと愛されなかったものの死に方に明らかに違いがあるということだ。
愛されなかったものは皆この世に体は残らず粉々になって死んでいる。上記の③で負けたベラトリックス、④で負けたヴォルデモート、①でハリーに触れたヴォルデモートに憑依されたクィレル先生、、など愛されなかったものは皆”残らずに”この世を去るのだ。
クィレル先生に関してはヴォルデモートに憑依されていたということもあるが、賢者の石をつくり600歳以上の寿命を手にしていたので”愛されていたこと”を忘れてしまっていた可能性もある。
逆に愛されていたものは皆体が残った状態でなくなっている。ダンブルドア校長やシリーズ第四作目炎のゴブレットでヴォルデモートに死の呪文をかけられたセドリック、最終章死の秘宝パート1でハリーを逃すための作戦途中に命を落とした騎士団のメンバーなどが挙げられる。

ここでただ一人謎の描写で亡くなった男が思い浮かぶ。ハリーの名付け親であるシリウスブラックだ。シリーズ第5作目の不死鳥の騎士団にてベラトリックスに不意打ちに死の呪文をかけられなくなるのだが、その死に方の描写がどうも不自然でファンの間でも長年疑問を残したまま今に至っている。ただ、この私の仮説を当てはめるとあの場面、シリウスブラックは謎のオブジェの中に吸い込まれるように命を落とした、”体は残らなかったのである”。
シリウスブラックは家計の中で唯一スリザリンではなく、グリフィンドールというハリーたちと同じ寮に組み分けられた。それは「純血主義」と呼ばれる、血筋で魔法界における立場が決定し、半純潔やマグル(魔法が使えない人間界)から生まれた魔法使いなど認めないという考え方をシリウスは嫌っていたからだ。しかしそのせいで家族や同族からは嫌われていた、愛されていなかったのである。また親友にも裏切られアズカバン(魔法界の牢獄)で人生の大半を過ごすことになる。ハリーを一目見ようと投獄に成功するが愛を育んでいる途中で殺されてしまった。実際ハリーに対して「一緒に住まないか?」と誘うほど二人はうまくいきそうだったのだ。もう少し時間があれば、シリウスブラックの死に方は変わっていたかもしれない。
逆に、登場した時は誰にも愛されていなかったが、愛を育み体が残る形で亡くなった例もある。屋敷僕のドビーだ。彼はもともとマルフォイの家で屋敷僕として使えていたが、ハリーに自由のみにしてもらった。その後ドビーはハリーたちが困るたびに登場し助けるのだが、ハリーたちがベラトリックスに捕まったのを助けようとして殺されてしまう。しかし最後はハリーが自分の手で魔法を使わずに砂浜にお墓を作りみんなに囲まれて埋められるのだ。これはドビーがハリーたちと愛を育んだことを表すための描写だったのだろう。

ここまでを踏まえて、私が考える「ハリーポッターという作品における”愛”とは何か?」
それは「残り続けるもの」である。
この作品の世界の中で明らかに愛と死は象徴的に描写されている。
ハリーの母のハリーへの愛は残り続け、ハリーを死(の呪文)から守り続けた。
闇の帝王を含むヴォルデモート陣営を愛の力によってハリーたちは打ち破り続けた。
魔法の世界の物語ではあるが、結局一番強い魔法は”呪い”ではなく”愛”だったのだ。
私たち人間界にもある”愛”が作中最も美しく強い”魔法”だったことが、世界中の人を魅了し今でも読まれ続けている理由なのかもしれない。

PS.”愛”は呪いではなく、美しい”魔法”であると信じたい....


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