春さん (一)


コスモスの花言葉:乙女の真心、純潔、優美(開花期:秋)

ゼラニウムの花言葉:私はあなたの愛を信じない、疑い(開花期:春から秋)



1.キヨミ

 今年も夏が終わり、庭に、春さんの好みで、沢山のゼラニウムとコスモスが咲き揃っている。私は義母のことを、心の中で勝手に「春さん」と呼んでいるけれど、チェコ移民だから、本名はヴェスナ。スラブ系文明の春の女神の名前だそうだ。義母は、その名にたがわず、春から庭に沢山の花を咲かせる。

 ゼラニウムは、春から秋まで咲き続ける命の長い花で、

「ゼラニウムさえ植えておけば、年中、美しい庭にすることができるのよ」

と、春さんは口を酸っぱくして言う。

 そして、夏の様々な花の開花期が終わる頃から、コスモスが咲き始め、冬の初めまで頑張ってくれる。秋には、ゼラニウムとコスモスが共に満開となり、通りがかりの人が足を停めるほどの美しい庭になるのは、私の腕が良いのではなく、縁あって義母になった春の女神のおかげだ。私自身は、花にはあまり興味がないのだが、春さんが一度植えてくれた後は、水だけやっていれば綺麗だから、義母の指導に従い、水だけやっている。

 ところが、先日、弓子ちゃんが、うちに昼を食べに来て、

「凄い花畑だね、お宅のお庭」

と感心しながらも、

「でも、ゼラニウムって、花言葉が、ちょっとビョーキなんだよね」

と呟いた。

 弓子ちゃんは、ショッピングセンターの花屋でアルバイトを始めた日本人移民で、なんとなく互いに「目つきが日本人らしい」と感じ、日本語で話しかけたら通じた。同じ日本人だという単純な理由で急接近し、昼食に招いたのだった。

 二年ほど前に結婚して移民してきたという弓子ちゃんは、聞けば、通り五本ほど離れたところに住んでいるというから、この国にもずいぶん日本人が増えたものだと思う。

 その弓子ちゃんが、

「ゼラニウムの花言葉は、私はあなたの愛を信じない、とか、疑いっていうの」

と教えてくれた。

「そんな花言葉を持つ花を、人に贈る人居るの?」

と聞くと、

「まあ、普通は花壇に植えるもので、花束にして贈るものではないから、いいんじゃないの」

という呑気な答えが返って来た。

「大体、花を買う人達は、花言葉なんか知らずに、外見だけ見て買うものなのよ」

とのこと。

 ついでにコスモスの花言葉を聞いたら、そちらは、乙女の真心とか、純潔とか、優美とか、愛がもたらす喜びとか、すべて美しいものばかりらしい。

 花言葉を知ったら、うちの秋の庭の取り合わせは、なんだか矛盾してないか、と思った。でも、揉めるのも面倒なので、春さんには言わないでおく。


 今日も、春さんがアネシュカに会いに来ている。義母が夕食に来る日は、チェコの食文化を尊重し、食卓に肉と芋と小麦製品ばかり並べ、僅かな野菜を添える。

 いつのまにか、こういう日は、自分用に和食を一人前作るのが、ならわしになった。手間が増えるから気が重いとはいえ、春さんはアネシュカとは仲良しだし、アネシュカが赤ん坊の頃は、何かとよく面倒を見てもらったから、来たいと言う日には断らないようにしている。

 十四歳になったばかりのアネシュカは、自分の子とは思えないほど可愛い。「純潔」という意味のチェコ語の名前を義母が好み、私も、それなら、日本名は純美子(すみこ)にすれば良いと言い、苗字の下にアネシュカ・純美子という二つの名前を持つ子になった。

 この子を産んで、人類は混血すると可愛いというのは、どうやら本当だと確信した。自分で言うのもなんだが、鳶が鷹を生んだ。

 しかし、チェコ料理ばかり食べていたら、二十歳を過ぎたら、ぶくぶくに太りそうで、アネシュカにはできるだけ和食を食べさせる。

 現に、チェコ料理ばかり食べて来た春さんは、私から見ると、どうやったら骨格にこれだけの肉がつくものかと思うほど、まるまる太っている。にもかかわらず、春さんは美しい。

 どんなに太っても、彫りの深い顔には、なぜかあまり脂肪がつかず、均整の取れた面長で、瞳は晴れた日の五色沼のような青。鼻も顎も可愛らしく、つんと尖っている。肌のきめ細かさと白さは、逆立ちしても真似できない。私が食べたら気持ち悪くなる量の乳製品を食べるせいなのか、遺伝子的な違いなのか、化粧の乗りもすこぶる良いらしく、六十九歳にして、ファンデーションと白粉をしっかり塗り、薄いピンクの頬紅と、目を見張るほど鮮やかな赤い口紅を差し、長いまつ毛の目元に、ほんの少しのアイライナーとアイシャドウを乗せれば、女優さんかと思うような、それはそれは美しいおばあちゃんである。

 しかも、太っているとはいえ、出るところは出て、くびれるところはしっかりくびれ、グラマー体形だ。ドレスなど着せても、太ったお尻にぴったりのパンツを履かせても、もうすぐ七十歳というのに、オンナに見えるから不思議だ。

 春さんは、白とピンクと赤が大好きで、花柄のスカーフやらブーケやらブローチやらネックレスやら髪飾りやら腕輪やらハイヒールやら帽子やら、自分を飾り立てるものを、幾らでも魔法のように出してくる。名前の通り、春風のように颯爽とした着こなしをする人だ。

 同じ服を着ているところなど見たことがないくらい沢山の服を持っていて、要らなくなると私にくれるが、サイズも色も私にはまったく合わないのに、どうしろというのか、と文句を言いながら、いつもチャリティショップに横流し。


 そんな春さんが初めて私と会った日、なんでこんな不美人な女と結婚するの、と夫に聞いたそうだ。そう知らされた時には、結婚をやめようかと本気で迷った。

 但し、彼は、そんなことを言う母親にきつく抗議し、二度とそういうことは言わないと約束させたと、一つの手柄話のように、私に話したのだから、私を傷つけるつもりはなかったらしい。母親の大失言など、妻にしたい人に言わなきゃ良かったのに。無神経な人だと思ったが、彼を責めても仕方がないので、忘れたふりをしている。でも、傷ついた。子どもの頃から、顔は平凡以下だと、自分が一番よく知っているけれど、義母になる人に、こんなにはっきり言われるとは思わなかった。

 間抜けな夫が、このことを私に正直に話したとは露知らず、春さんは、私に、

「あなたを大切にしたい。あなたは、わたしのただ一人の娘よ」

などと言い、そして二言目には、女は美しくなきゃだめ、あなたも可愛い顔なんだから、綺麗にしなさい、化粧しなさい、髪を染めなさい、もっと素敵な服を買っていいのよ、ケチケチしないで買いなさい、などなど、沢山の励ましの言葉をかけてくれる。しかし、夫にあの話を聞いてしまった後に何を言われても、醜いのだから何とかしろと言われているようにしか、聞こえないじゃないか。こういう「励まし」の一つ一つが、ボディブローのように私の心を苛むことを、春さんも夫も知らない。

 

 一方、娘のアネシュカは、おばあちゃんと大の仲良しで、服のコーディネートの仕方などは、皆、おばあちゃんに教わっている。我が子ながら、センスがいいことは認めざるを得ない。それが春さんの指導のおかげと思うと癪に障るが、まあ、センスの悪い子にならなくて良かったと思うことにしている。

 でも、あまりに可愛いので、攫われるのではないか、三十くらい年上の男と駆け落ちするのではないか、性犯罪の被害に遭うのではないかと、気が気ではない。

 この国は性犯罪の多い国だ。統計をよく見比べたわけではないから、他の国より特に多いかは知らないが、年頃の娘を持つ親には身の毛のよだつようなニュースが、ほぼ毎日のようにある。

 娘が、日本では中学一年から高校三年に相当する六年間の教育をする「中等学校」というものに進んだ時、校庭中に美形が溢れているのには驚いた。こちらの子ども達は十四、五歳の頃、天使としか思えないほど美しくなる時期がある。

 でも、十八を過ぎる頃には、男子も女子も、日本人にはできそうにない太り方をし始める。だからかどうか知らないが、十代の子どもを狙う性犯罪が多く、十四、五歳の子どもを守るために、親は夜も眠れぬ日々を過ごすことになっている。

 娘を着飾らせるのはやめてもらいたいと、何度も春さんに頼んでいるが、聞き入れてくれない。今が一番可愛い時期なのだから、どんどん可愛いものを着せなさいと言って聞かない。私だって、娘に可愛い服を沢山着せたい。でも、そのまま箱に入れて仕舞っておきたい。どこにも出したくない。

 などと言ったら、君はイスラム教徒か、と夫に言われた。確かに、顔だけ残し全身をヴェールに包んで歩いている若い女の子達を見るにつけ、いっそイスラム教徒だったら、私も少しは気が楽だったのに、と思うことはある。どうにもこうにも、娘の身を案ずる母の気持ちは、同じ親である夫にもわからないものなのか。


 などと思いを巡らせながら、ポーク・シュニッツェルを揚げ始めた。もうすぐ、アネシュカが帰って来る。授業の後、クラスメート達とバザーに出店するキルト作りを一時間ほどして、バスで帰宅するのは、四時半くらいだ。夕食には早いが、最近はアネシュカがいつもお腹を空かせているので、その時間に合わせて夕食にしてしまうようになった。夫には、後で別に夕食を出すのが、うちの普通だ。

 まもなく、玄関が開く音が聞こえ、アネシュカが帰って来た。

 今日は月に一度、制服ではなく好きな服を着て行ける「マフティ・ディ」で、いつもは、ジーンズなどを着て行くくせに、なぜか、ひときわ可愛らしい、白地に青の小花柄のドレスを着て行った。私には涙が出るほど愛おしい姿で、朝、何枚も写真を撮ってやった。そして、そんなドレスで行ったら汚すからとか、友達にからかわれるからとか、色々難癖をつけてやめさせようとした。だってあんなに可愛い姿を、他の誰にも見せたくなかったから。

 ただ、バスに乗って学校へ行き、バスに乗って学校から帰って来ただけなのに、無事に帰って来て良かったと安堵している自分は、ちょっとノイローゼなのではないかと思う。でも娘の身を案ずる母の気持ちは、他の誰にもわからないものなのだ。

「おかえり~」

と言った時に気がついた。なんだか浮かない顔をしている。

「どうしたの」

と声をかけたが、アネシュカは何も言わず、寝室の方に行ってしまった。ガス台を二つ同時に使って揚げ物中では、すぐに娘の部屋には行けない。

 春さんが、先に娘の話を聞くことになる。

 癪に障るが、揚げ物が終わるまで、ほんの数分。ちょっとの我慢。


(つづく)

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