春さん (二)
2.アネシュカ
最悪の一日だった。ニコに見せるために、おばあちゃんに買ってもらったドレスを着て、学校に行ったのに。
お母さんが、汚れるとか、可愛すぎて友達に嫌われるとか、色々言ったのを振り切って、着て行ったのは、ニコにあたしの新しいドレスを見てもらうためだったのに。
お昼に、ニコがエイミーとデートしてたって、ケイティが教えてくれた。火曜日に、二人で映画に行ったらしいって。ショッピングセンターで見たって。
どういうことよ?!
授業なんて、もう聞く気がしないから、お昼の後、教室に入りかけたニコを睨みつけて、廊下を走った。廊下の端まで着く前に、涙で前が見えなくなった。
そうしたら、ニコも、のこのこ付いて来た。
「なんだよ、どうしたんだよ」
なんて言いながら、あたしの手を握ろうとしたり腕を取ろうとしたりするのを、はたいて抵抗した。涙が後から後から零れ落ちて、転びかけるあたしを、ニコが何度か支えてくれた。優しいニコ。あたしのためには、何でもしてくれるニコ。なのに、
「どうしてエイミーとデートしたのよ」
と聞いたら、ニコはびくりと足を停めた。
「ええ、もう知ってんの~」
と、なんだか間の抜けた答が返って来た。
「知ってるわよ。ケイティが教えてくれた」
「ケイティ? なんでケイティが知ってんだよ」
そういう問題ではないでしょ、と思いながら、
「ショッピングセンターで見たって言ってた」
と説明してやった。
「えへへえ、見られてたか」
頭を搔きながら、ニコは悪びれずに、ニヤニヤしている。
「何笑ってんのよ」
あたしを裏切っておいて、何をにへらにへら笑ってるのよ、と思ったら、泣けて泣けて、あたしは校舎の外の木陰の地面に座り込んでおいおい泣いた。
そんなに泣くなよ、とか、そんなに気にするかなあ、とか、意味のわからないことを言いながら、ニコは隣に座り、少しはおろおろしているみたいだった。
それから、通りかかった先生に見つかって、叱られて、教室に戻されるまでの間に、どんなことを話したか、全部は覚えていないけど、ニコは、お前も、エイミーも、二人とも気に入ってるんだ、どっちが本命か、今は決められないと、信じられないことを言った。
そんなのひど過ぎる。ニコはあたしの運命の人なのに。これからもずっと、二人は永遠の恋人なのに。
もう、生きていたくない。部屋に籠って、このまま眠りに落ちて、二度と目覚めたくない。
おばあちゃんが、どうしたの、と聞きに来た。
大好きなおばあちゃん。あたしのことを、何でもわかってくれるおばあちゃん。何でも教えてくれるおばあちゃん。
「ニコが他の女と会ってるの」
と打ち明けて泣いた。
そしたら、途端に、おばあちゃんの顔色が変わり、
「そんな男とは別れなさい」
と言い出した。
「別れたいんじゃないの。ニコの心をあたしの方に向けたいの。どうしたらいいか教えてよ」
そう何度か言ったのに、おばあちゃんは、
「別れなさい」
「浮気なんかする男は、絶対に信じてはだめ」
「愛する相手を間違えたのよ。信じる相手を間違えたのよ。別れなさい」
と立て続けに言い募った。いつものおばあちゃんとは全然違う。あまりの権幕に、あたしはびっくりして泣き止んでいた。
いつもはあたしの話をちゃんと聞いてくれるのに、おばあちゃん、どうして今日は聞いてくれないの。
「もういい、疲れた、この話はしない」
と言った。おばあちゃんは、
「もういい、じゃないの。別れなさい。別れるって約束しなさい、ね」
と言い続けた。
おばあちゃん、どうしちゃったんだろう。
その時、お母さんが、夕飯の支度はできたよ、と台所で呼んだ。
夕食なんか要らない。こんな時に夕食なんて言いだすの、どうかしてるわ。お母さんの無神経さには、いつも腹が立つ。そう思ったら、また涙が出てきて、あたしはベッドに泣き伏した。そのあたしの両肩を握って揺すりながら、
「ニコと別れるって、今すぐ約束しなさい。あなたが傷つくのを見るのは、おばあちゃん、耐えられないのよ」
と、おばあちゃんは言った。
どうして今日は、おばあちゃんでさえも、あたしの気持ちをわかってくれないんだろう。
鞄の中で電話が鳴った。ニコからかもしれないと思い、取ろうとしたら、おばあちゃんに取り上げられた。
「返してよ」
と言うと、
「返さないわよ。浮気なんかする彼氏とは絶対に別れなさい。約束して、ね」
と、まだ言う。
本当におばあちゃん、どうしちゃったんだろう。
お母さんが戸口に現れ、
「二人とも早く食卓に来て、冷めちゃうから」
と言った後、あたしの泣き顔を見て、どうしたの、と聞いた。あたしが何も言わないうちに、おばあちゃんが、
「ニコが浮気しているから、別れなさいと言ってるのよ」
と先回りして説明した。
「どうして勝手に決めるのよ」
と怒り出したあたしに、
「十四の恋なんて、そんな深刻なことじゃないのよ。落ち着いて。まずご飯を食べなさい」
と、お母さんが言った。
ああ、この人には何を話しても無駄なんだな、と思った。
そしたら同時に、おばあちゃんが、
「あなたは女じゃないんだから、女心なんてわからないんだから、黙ってなさい」
と、お母さんを叱り付けた。
えええ、どうしてそうなっちゃうの?
お母さんは確かに話が通じないけど、そんなひどいこと言わなくてもいいじゃない、と思いながらお母さんの顔を見たら、青い顔をして、怒りを必死でこらえているみたいだった。
その時、今度は家の電話が鳴った。お母さんは、電話に出るために、居間の方に行ってしまった。
おばあちゃんに、もう何も話したくない、と言って、庭に出た。それなのに、おばあちゃんたら、庭まで付いてくる。あたしの携帯電話が部屋で鳴っているのが聞こえた。きっとニコかケイティからだと思うけど、おばあちゃんがつきまとうから、電話にも出られない。
それにもう、出なくてもいいや、と思った。ニコからだったとしても、何を言っていいかわからないし、別れたいと言われたらイヤだから、電話に出るのが恐い。ケイティからの電話だったら、あの後、どうしたのか、しつこく聞かれるから、それもイヤ。
あたしの後を追いかけて、別れなさいと言い続けるおばあちゃんの相手をするのもイヤ。十四歳の恋なんてどうでもいい、なんていうお母さんの相手をするのも、もうイヤ。
もう何もかもイヤ。
おばあちゃんに、
「お腹すいた。あたし、トイレに行って、手を洗ってからご飯食べる」
と嘘を付いた。
家の中に入り、浴室に入り、鍵を閉め、トイレの窓によじ登って外に出た。
その時、べりっと大きな音がした。
え?
振り向くと、おばあちゃんに選んでもらって、買ってもらったばかりの、大好きなドレスの裾が千切れていた。窓枠のどこかに引っ掛けてしまったらしい。今日、木陰に座って泣いた時に、泥染みを沢山つけてしまった。それだけでもショックだったのに、裾を裂いてしまうなんて。あたしって、何てばか。
もう最悪。
涙が止まらない。
どこか遠くに行きたい。
誰にも会いたくない。
(つづく)
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