春さん (四)


4.ヴェスナ

 玄関横の窓からパトカーの青い光が点滅しているのを見た時には、心臓が早鐘のように打った。扉を開けて入って来たアネシュカの顔を見た瞬間の、安堵と言ったら!

「アネシュカ、どこに居たの」

走り寄って抱き締める。アネシュカは、

「セントラルまで行って、電車降りて、ちょっとぶらぶらしたけど、一人じゃつまんないし、お腹すいたから、帰って来た」

と、何でもないことのように言う。続いて入って来たヤネックもキヨミも、疲れ果てた顔をして何も言わず、親が言いたいことはすべて、警察官が代弁してくれた。

 お父さんとお母さんに、どれだけ心配かけたか、わかっているね。こちらは? ああ、おばあちゃんですか。おばあちゃんにまで心配かけたんだ。ね。子どもが夜に一人で電車に乗って、セントラルまで行ったりしてはいけないよ、などなど。

 アネシュカは、下を向いてふくれっ面をしながら、はい、はい、と聞き、警察官が、それでは、お父さんかお母さん、車を、と促し、ヤネックが警察官と外に出て行った。

「どこ、ぶらぶらしたの」

とキヨミが聞き、

「駅からちょっと、十五分くらいだよ。でも、なんか別に、一人で歩いても、全然面白くなかった。レストランがいっぱいあるけど、お金あんまり持ってなかったし、ジュースしか買えなかった」

とアネシュカが答える。そして突然、

「ドレス、やぶいちゃったの」

と言った。ふと見ると、先週末、わたしが買ってやった新調のドレスの裾が裂け、端切れがぶら下がっていた。スカート部分の後ろ側には、点々と泥が付いていた。

「どうして、こんな、誰にやられたの?」

顔色を変えたキヨミが何を思ったか、わたしには痛いほどわかる。

「違うよ、お母さん、考え過ぎ。これは、あたしが学校で地面に座って汚しちゃったの。こっちは、トイレの窓に引っ掛けちゃったの。もう、心配し過ぎなんだよ」

キヨミは、ほうっと息を付いた。今日は、キヨミの寿命が十年は縮んだだろうな、と思い、なんだか哀れになる。

「お母さん、これ、綺麗になる?直せる?」

と、アネシュカは甘えた声を出す。

「うん、綺麗になるよ。泥なら、染み抜き石鹸で、結構落ちるから」

落ち着きを取り戻したキヨミは、そう答えた。

「裾は?」

「少し丈が短くなるけど、全部五センチくらい切り揃えて、裾上げしてあげるよ」

「ほんと?」

「ほんと」

「良かったあ、お母さん、ありがとう」

「それ、脱いで、洗濯機の横に置いといて」

 

 アネシュカは着替えに行き、キヨミは台所で、夕食を暖め返し始めた。わたしは、勝手知ったる息子の家のダイニングで、キヨミに聞く必要もなく、いつもの皿やフォークやナイフを出した。そのとき、キヨミが、わたしの目を見ずに、

「ヴェスナ、さっきはごめんなさい」

と言った。

「気にしなくていいわよ。アネシュカが無事に戻って来て良かったわ、本当に」

キヨミが、囁くように、ありがとうと言い、わたし達は、黙々と食卓に料理を並べた。


 今日の騒ぎの超本人は、部屋着に着替えて食卓に来ると、ああ、お腹すいたと言いながら、早速食べ始めたが、いつものように、携帯電話を食卓に載せ、友達から次々と入るメッセージに返答しながら食べるのだった。

「アネシュカ、お行儀悪いわよ。やめなさい」

というキヨミの声には、いつもの張りがなかった。疲れたのだろう。可哀想に。

「だって、友達皆に心配かけちゃったから」

アネシュカはフォークを電話機に持ち替えては、ぽちぽちメッセージを入力しながら食べている。

「おばあちゃんがあなたに会いに来てるのよ。ちゃんと、おばあちゃんとお話ししながら食べなさい」

先ほどよりきつい口調でキヨミが言ったのは、わたしへの詫びのつもりなのかしら。アネシュカは、

「うん、わかった」

と言い、メッセージを打つのだけはやめものの、何を話すわけでもなく、時々、携帯電話の画面を気にしながら、食事を終え、ニコに電話すると言って寝室に消えた。


 キヨミは一口も食べなかった。疲れたのだろう。可哀想に。

 わたしはと言えば、確かに、アネシュカが戻るまでの間、胃の腑が凍るような思いをしていたのだが、今は、キヨミが整えてくれた夕食が、食欲をそそった。

 どうも相性が合わないと感じる嫁だが、料理は上手い。チェコ料理も、自分はほとんど食べないくせに、教えたら覚えてくれて、わたしにも息子にも孫娘にも食べさせてくれる。わたしは、自分一人のための料理など、ほとんどしなくなってしまったから、最近は、キヨミの家に来る日こそ、一番美味しいものを食べられる。急に復活した食欲にまかせ、遠慮なく食べた。

 キヨミは、こんなことがあった日でも、落ち着いたらまず、家族に食事を出し、手際よく片付け、よほどの修羅場でなければ、怒ったり泣いたり、逆上したりしない。

 今日はよほどの修羅場だったのだから仕方がない。あんなに取り乱したところを見たのは、キヨミが息子と結婚して以来、初めてのことだった。殺すなどという言葉が飛び出したが、アネシュカの身を案ずる気持ちは、わたしも同じだったから、なぜかそれほど腹も立たなかった。

 キヨミは、何かと能率よく、頭もよく、女らしいというよりもむしろ男らしい嫁だ。感情に振り回されて収拾がつかない女より、ひょっとしたら良いのかも知れないと思うことはある。でも、わたしに似てすこぶるハンサムな息子に釣り合うように、もっときれいな格好をしてもらいたいという思いは、ずっと前から消えない。どうしたら、もっと身ぎれいにするように、嫁を説得できるのだろう。わたしより三十も若いのに、着飾らないなんて、本当にもったいない。女の春は短いのに。 


 ヤネックが帰宅して、まず夕食を食べた後、わたしを自宅まで送ってくれた。車の中で、ヤネックが、さっきキヨミが言ったことは本気じゃないから、というようなことをモソモソ言い、わたしは、いいわよ、気にしてないわよ、と言った。

 息子の家から車なら二十分、日中は、一時間に一本だけのバスに乗れば三十五分の距離の、高齢者向け集合住宅だ。ここには、六十五歳になった時に入居した。管理会社が庭の手入れと芝刈りをしてくれ、自分の庭というものはない。でも、花が好きだから、共用の花壇に好きなものを植えたいと交渉し、花を植えさせてもらった。

 すっかり暗くなっているが、各戸には、センサー付きの玄関灯が備わっており、門から車で進入すると、まるで、来賓を歓迎するかのように、両側から順々に点灯し、ドライブウェイの左右に咲くコスモスとゼラニウムを、夜の闇に浮かび上がらせる。同じ敷地に住む歳上の住人たちは、花を沢山植えてくれてありがとう、と言ってくれる。

 

 ヤネックとは玄関の前で別れ、冷え切った自宅に入った。

 秋も深まり、暖房を付けても、しばらくは、コートも靴も脱げない。とりあえず湯を沸かし、暖を取るために薄い紅茶を淹れた。

 寝室一つと居間と台所と浴室という間取りの小さな一軒家が、わたしの終の棲家だ。そう思うと、さみしいような、せつないような気持になる。


 1968年、プラハ。ソ連軍の戦車の侵攻に抵抗した学生運動の仲間の、熱い恋だった。あっという間に鎮圧され、わたし達は、幸運にもオーストラリアに逃れて来ることができたが、夫とは、ヤネックが三歳の時に別れた。

 チェコスロバキアの自由のために、一緒に闘った同士だったのに。あの頃、わたし達の未来は、黄金色の朝陽に照らし出されたかのように、神々しく見えたのに。

 異国での乳飲み子を抱えた難民生活は、厳しかった。英語が少しばかり話せるようになると、二人とも工場での組み立て作業の仕事を世話してもらったが、当時は洗濯機も買えず、わたしは育児に追われ、男と女の睦事など、なかった。夫は、英語学校の教師や、小さなチェコ人コミュニティのダンスパーティで知り合った年上の女や、果ては中華レストランの中国人のウェートレスまで、手当たり次第に浮気した。

 英語が話せないと、この国ではまともに扱ってもらえない。学歴もプライドも高い彼には、仕事も、家庭生活も、何もかも幻滅の連続だったに違いなく、それで浮気に逃げたのだろうとは、頭では理解したが、心ではどうにも許せなかった。

 喧嘩ばかりして、息子が四歳になる前に、離婚した。

 狭いチェコ移民社会の詮索や噂の種になるのが嫌で、二人とも、住む街を変えた。それでも一応、住所だけは伝えておいたのに、別れてから一度もヤネックに会いに来ない。だから、生きていることさえ、息子には秘密にしている。

 共産圏が崩壊し、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分裂した後、彼は戻ったと、人づてに聞いた。

 祖国に戻ることができて、彼にはよかったのだろうと思う。もう一生、会うこともないだろう。

 三歳児を抱え、四苦八苦しているわたしに、町工場の仕事を世話してくれたのは、引っ越し先の街の銀行支店長だった。見初められたと勘違いして、付き合い始めたわたしも、随分うぶだったものだ。

 奥さんに知られないように、とても注意深く、ヤネックが幼稚園や小学校に行っている時間に、離れた町のモーテルやホテルで逢瀬を重ねた。同じ処には二度と行かないという慎重さで。

 情事の後は、必ず、わたしと息子が困らないだけのお小遣いを渡してくれ、絶対に、誰にもばれないように、ばらさないようにと、懇願する人だった。妻の尻に敷かれた小心者。まあ、悪意のある人ではなかったけれど、奥さんといつ離婚するのか、いくら聞いても煮え切らないことを言っているうちに、ある日、突然、心臓麻痺か何かで死んだ。

 その頃には、わたしも英語を不自由なく話せるようになり、工場は辞めてブティックの店員になった。ヤネックも中学生になり、アルバイトしてくれたから、あの人からお小遣いをもらえなくなっても、もう生活には困らなかった。あの人の奥さんも子ども達も、彼がわたしを十年も囲っていたことを、きっと知らずに、一生を終えるのだろう。

 決して極悪人ではなかったけれど、善人でもなかった彼。愛していたと言えば嘘になるが、愛していなかったと言っても、やはり嘘になる。

 男なんて、所詮、信じてはいけない。自分の血を分けた息子にさえ会いに来ない、情の薄い男。愛している愛していると言いながら、愛していない女との結婚を解消しないためなら、何でもする男。

 浮気をした夫と別れたら、ほかの男の浮気相手になるしかなかった、わたし。

 人間の自由ってなんだろう。

 わたし達が命を賭けて守ろうとしたもの。

 わたし達の学友の幾人かが、そのために命を落としたもの。

 それなのに、自由意思で自由な国に来ても、大した自由は手に入らないという事実。



 苦々しい。

 


 こんな気持ちになっては、だめだ。もう寝なきゃ。

 明日はまた明日の風が吹く。決して諦めてはいけない。

 いつの日か、本当に高潔な紳士が現れ、わたし一人を一心に愛してくれる。

 そういう日が必ず来る。

 そのために、わたしは、常に身ぎれいにして、出会いに備える。

 シャワーを浴びて、肌の手入れを念入りにして、もう寝よう。

 明日は、何か美しいものを身に纏い、髪を整え、紅を差し、街に出よう。


 わたしはまだ、本当の恋を諦めはしない。

 これから、きっと、本当の恋ができるのよ。


(つづく)


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