好きの指標
音楽は自分を救ってくれるけど、酷く突き刺すこともある。
わたしは音楽が好きだ。
そうなったのは大学の経験があったからなんだろうけども、当時の彼氏の影響がかなり大きい。
その頃によく聴いていた曲が流れるとあの頃を思い出して辛くなる時がある。
教えてもらった曲はなおさら思い入れが強くなってしまっていて、ひどく痛い。
わたしの好きな曲をよく聴かせていた人がいた。3年間ずっと思ってくれた彼だ。
わたしが聞く曲を気付けばわたしよりも知っていて、なんだもうわたしの曲では無くなってしまったなんて思ったこともあった。
天邪鬼なわたしは、自分の好きを誰かが超えていくと距離を置いてしまうことがある。
そんな彼から急に連絡が来た。
今週末会う予定だった。
彼女ができた。
ほう。
へーーーー。
そうか。
なんだかよくわからない感情だった。
いままで別に彼氏にしたくてしょうがないとか思ったことはない。
それならとうにつきあっているはずだし、過去にもそれでもそんなことはなかった。
謎の喪失感だ。
別れ際泣いていた彼を知っていた。
離れて1か月ほどだった。
あれだけ好きと言っていた人でも、簡単に別の人へと目を向けることができる。
わたしはそうじゃなかった。
わたしはそうじゃなかったから、なかなか理解ができなかった。
し、羨ましいとも思った。
好き好きと言っていた幼馴染がまた一ヶ月後には彼女ができていたこともあった。
それほどわたしは諦めがつく女の子だったか?
男とはそんなもんなのか?
みんなの言う好きを素直に受け止めることができない、信じられなくなっていく。
わたしはその程度の女の子だったかと。
自分に自信がなくなっていく。
彼は言う、本当にその時は好きだったと。
それはそうだ、それが嘘なら本当にもう何も信じられない。
もうわたしが揺らいでいる感情もよくわかっていないのだけれど。ざわざわするのだ。
今更やっぱり付き合ってとか、本当に好きですとか、そんな感情はない。でも、大切な存在がどこか遠くにいってしまうような感覚だ。
俺たちは何も変わらないよなんていってたけど、そんなことはないだろう。
わたしはまたある曲を聴いて思い出す人が増えてしまったわけだ。少し辛いのと、こんなにも知らないうちにカレが人生に溶け込んでいたと言うことを思い知らされた。
今日は買い物に行った。
水と豆乳と明日の朝のパン。
彼と3年間買い物をしてわたしが毎回言っていた言葉だ、そうだあの頃からわたしは変わっていない。わたしだけ何も変わっていない。
重い水を持ってくれた彼も、謎にファミマ愛を語る彼ももういないのだ。
確かにあの三年は楽しかった。
本当に楽しかった。
無くして気づくものって本当にあると思う。
別にこれが恋心であるとは本当に思っていない。
間違いのない3年間の記憶も消えることはないけれど、だんだんと掠れた記憶になることが寂しい。
あの頃の当たり前が今もなお日常に溶け込んでいるのなら、またことあるごとにあの頃を思い出してしまうのだろう、それがいまは少し辛い。
彼には本当に幸せになって欲しい。
間違いなく素敵な人であったから。
わたしみたいな中途半端な人ではなく、本当に素敵な女性と幸せになって欲しいと思う。
わたしもそこそこ頑張るから。
今日はもう何も考えたくない。
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