ツッコミに焦点を当ててみると(「東京ホテイソン」の場合)
「わ わ わ これ これ わ これ これ」
やっぱり面白いなぁ。このツッコミで笑いがとれるってのは凄いなぁ。
阿呆っぽい感想なんだけど、東京ホテイソンのネタを観て、ふと思ったこと。
毎日のように誰かしらの何かしらのネタを観ていると、やっぱり笑っちゃう。でも、ときどき新しい「面白い」に出会っちゃうと、「面白いなぁ」という感想をとびぬけて、「なんで面白いんだろう」という構造について考えたくなるときがある(それは、シンプルにものづくりの裏側に興味があるからだと思う)。
ということで、雑感として思ったことを書き留めておきたい。
ツッコミ(キャラ)を活かすネタ構成
この『英語』というネタ、冒頭の説明(「this」は「これ」、「is」は「は」というような)をやや強調しながらも丁寧にしてて、観客に今後のネタの見方をちゃんと示してるっぽい。
だから「わ わ わ これ...」とそのフレーズだけで聞くとちんぷんかんぷんな言葉に意味が生まれ、笑いに転じてるんじゃないか。だから、意味として「あぁ、わかった!」という驚きが笑いの成分にもなってるような。
そういう意味では、たぶんネタの構造が緻密なんだろうなぁ。キャラを活かすべく、ツッコミ口調(備中神楽で磨いた声の出し方だとか)も含めて、このコンビは「ツッコミで笑いを取りにいく」というスタイルなのだと思う。
「訂正」よりは「翻訳」や「描写」
だから、ボケの扱い方も意識されてるんじゃないだろうか。『英語』のネタに関しては、それだけでは成立しないような意味不明のボケをいい放ち、意味の翻訳的な機能をツッコミに持たせている。『回文』のネタもその系統にあるんじゃないだろうか。
他のボケとしては、『合コン』にみられるような、所作や言葉自体はわかりやすいのだけど、その"状況"に違和感をもたせるパターン。そのときは、例えツッコミをもちいて、強い言葉で撃ちとりにきている感じが。大きく振りかぶって、例えツッコミ(「スリーサイズの間ァ!」みたいな)。
例えツッコミを二段的に使っているときもあるか。『運動会』の「コボちゃんみてぇなやり取りだ!」では、もしかしたら一般的(世代的)に知らないかもしれない言葉の説明だったり、そのイメージをより鮮明にするための「描写」として、「4コマ漫画コボちゃんのオチでありそうなこと」と言葉を続けている。例えツッコミに"追いツッコミ"を加えるようなツッコミな二段階。
(ここらへんは、読み手が意識された文章と同じように、観客を意識して漫才が"編集"されてるんだなぁ、と気づく)
間の扱い方がうまくて、ワードセンスがなければやりにくい、かなりのストロングスタイルなんじゃないかこれは。
ツッコミというと、「それは違うだろ!」みたいな「訂正」的な機能があるんだろうけど、東京ホテイソンの場合は、その意味合いは少ないように思う。
「ボケ焦点型」と「ツッコミ焦点型」
ここでふと思ったのが、漫才のタイプについて。細かい境界線は曖昧だけど、いつからか、M-1もツッコミよりは「ボケ焦点型(ボケの威力で大きな笑いを取りにいく)」のコンビが増えた時期はあった気がする。
それが近年では、間を溜めたツッコミの一撃で笑いを狙いにいくコンビも目立つようになってきた。2018年M-1優勝の霜降り明星なんかはそうで、ツッコミのパンチ力は凄い(それにバランスとるように、ボケも勢いあって縦横無尽でダイナミック!)
で、ツッコミに特徴があったり、ツッコミで大きな笑いを取りにいく「ツッコミ焦点型」というタイプがあるとすれば、その若手の関西代表が霜降り明星で、関東代表が東京ホテイソンなのだボクは思っている。
ゴットタンの「〇〇〇の尺ぅ!」の衝撃
ちなみに東京ホテイソンの所属はグレープカンパニー。その先輩にあたるのが2007年M-1優勝のサンドイッチマン。今年のM-1でどんなネタをするんだろうなぁ(やっぱり関東芸人の優勝には夢があるし、新ネタを観られる可能性があるのは嬉しい)。
あ、そうそう、東京ホテイソンの言葉の破壊力という意味では、ゴットタンの「第6回ネタギリッシュNIGHT」のネタをぜひ観てみて!(というか、この面白さをだれかと共有したいっす)。
そういうメモでした。
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