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価値と揺らぎの思考実験(文サお茶代5月課題)

会話が有料化された。理由や仕組みはまだ発表されていない。
とりあえず今日、わたしはいくら持って街に出ればいいのだろう?

ニュースのエンドロールを眺めながら、ぼんやりと考えた。
チャンネルを国営放送に合わせると、【会話は廃絶すべきだ!】と書かれたプラカードを掲げる人の姿が、画面いっぱいに映し出されていた。

わたし自身「会話は金持ちの娯楽でいい」と思っていた。
統計に基づき、生まれてから死ぬまでにかかる食費はすでに前払いされている現代において、会話はいざこざのもとになるだけだった。
腹が空いたら、食堂の券売機に脈をかざす。
自動販売機に脈をかざせば、体調に適した温度の飲み物が出てくる。
国民の義務は100歳まで生き延びることで、娯楽のために趣味で労働や創作をやる人もいるけれど、わたしはあまり得意でないし、興味もない。
液晶画面を覗いていればなんとなく一日が過ぎる。特に悩みがあるわけでもないが、ザッピングをしている間だけは、胸が少しざわざわした。

ついこの間、口喧嘩が規制されるようになったばかりだったのに。

そんな思いがよぎったが、すぐに「いや、」と打ち消した。
極端なぐらいがちょうどいい。いつだって正解のある方がスムーズだ。
国の判断はいつだって正しい。そう教わってきたのだから、間違いない。

胸のざわつきに引きずられ、チャンネルがうまく定まらないので、わたしは手ぶらで街に出た。
脈をかざして食事をとり、ボタンを押して常温の水を拾い上げたあと、いつもは折り返していた交差点をまっすぐ進むと、プラカードを持った集団がいた。
彼らは一様に真っ赤な目を見開いて、重そうなプラカードを力強く掲げていた。
「テレビでみたやつだ」と嬉しくなって、あんまり見つめていたせいか、集団から何枚かのコインが飛んできた。

「そこのあなた。あなたも、会話なんていらないと思いませんか?」

わたしは何も言えなかった。
咄嗟のことで言葉が思い浮かばなかったというのもあるが、なにせお金がなかった。
それを伝えようとするけれど、身振り手振りではなかなか伝わらなくて、そのうちに再びコインが飛んできた。

「大丈夫、これは必要な『対話』です。さあ、あなたの意見を聞かせてください」

彼らの声は穏やかで、けれど、どこか強制するような厳しさがあった。
わたしは労働を思い出した。この厳しさが苦手だから、わたしは労働が嫌いなんだと苛立った。

苛立って、ぶわっと血が騒ぎ、「わたしはこんなに立派な凶器を持っているんだ」と誇示してやりたくなった。
「こんなに危ない物、絶対に善くないと思う。だからわたしは賛成だ」と、行動で示してやりたくなった。

誰かに向かって声を投げたのは久しぶりだった。
プラカードの集団は赤い目をぱちくりさせている。わたしがこんなに大きな声を出せるなんて、思ってもみなかったのだろう。
けれどそのうち、彼らの目よりもさらに真っ赤なランプを灯して、警察官がやってきた。
わたしは「言語法違反」だとか「無銭会話」だとか、聞きなれない言葉をたくさん浴びせられ、抵抗する間もなく手錠をはめられた。
パトカーに乗る際、投げられたコインの上をチャリチャリ歩いた。その中に、警官がくれたコインは一枚もなかった。

わたしには、弁明するだけのお金がなかった。
会話をするだけのお金がなく、ただ生き延びることしかできなかった。

三日ほど拘留された後、テレビを見る気にもなれなくて、わたしはお金を稼ごうと思った。
あの時の集団、あの時の警察官と再び会話をするために。
身に余るほどの対価を支払って、言葉のナイフを突き刺すために。

苛立ちを覚えるほど嫌悪していた矛盾が、少しだけ割り切れるようになっていた。

【思考実験】
「悪意による会話」について、金銭価値はどれくらいあるか。
また、それは有益であるか。

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