とあるニュースを受けて

 最近テレビを見なくなりました。僕は今月とある事件の報道がきっかけでテレビが自分から見れなくなりました。その事件は「アニメ」というキーワードでわかることでしょう。(ご関係者の方がいらっしゃいましたらすみません。本当に言葉に出すのもいやなのであえて伏せさせていただきます。)

 見なくなった理由は至極単純で、この事件をきっかけにテレビのことが信用できなくなったからです。この事件は僕にとっておそらく世間的なニュースで一番悲しんだ事件です。この事件の報道の仕方も僕は問題があると思っていて、テレビが単純に責任を果たしていないということを分かりました。
 報道のあり方を見れば、その犯人がどのような人だったか?どうしてその犯人がそんなことをしたのか?ということが大半だったと記憶しています。僕から言わせれば、仮にその犯人の行動理由がわかったとしてもその事件の被害者は帰ってくるわけでもなく、またその犯人を今目も前で惨殺して処刑したとしても、止はしないが被害者が帰ってこないという喪失感でおそらく何も感じずただただ悲しいということしか感じないでしょう。
 僕はその報道に関していえば、被害者の命をもしかしたら軽く報道していたのではないのか?と思ったことも一因に上げられます。少なくとも、その事件の起こった会社は一切悪いことはしておりません。兵器を作ったわけでもなければ、兵器になりそうな製品を作っていたわけでもありません。もちろん、もしかしたら社内で内部衝突があったり、喧嘩をしたりといったことは起こったであろうが、生み出された作品はどれも素晴らしくすくなくとも僕の思い出として輝かしく残っています。
 ですが、彼らの命の重さは報道では報じられませんでした。素晴らしさを語るのがその会社のファンの涙であるのは悲しさしかありませんでした。画面の前で同じ気持ちの同じ時間を共有したであろう仲間たちの涙がその会社の価値の証明というのは、皮肉にも程があります。それなのに報道はどのような人の命の重さを報道せず、その事件が起こったという事実しか報道してくれませんでした。

 だから僕はテレビをあまり見なくなりました。少なくとも、報道は全く見なくなりました。今の報道は悲しいことしか報じてくれません。悲しいことだけではお腹が満たされません。ただただお腹がすく。食べることが生きることを基点に持つ僕からすればわざわざ意味もなくお腹も心も空かせる報道はないほうがいいです。だったら、美味しいものを親しい友達と食べて、一切報道を見ないようにするほうが絶対的な価値があります。

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