永遠の庭-144

少し歩くと、街に出た。
そこで人では無い姿の者・・・神の軍勢の者が居て、
「近くの建物に入って欲しい」という旨を伝えて来た。
そこは小さな映画館で、中に入って席に座るとすぐに映画が上映され始めた。
「まず最初に闇が在り、そこに神は光を生じさせました。
こうして光は生まれました。
つまり闇とは原初の力であり、我等が闇の皇子は
この「原初の力を司る者」なのです。」
う~ん・・・何だか冒頭からこそばゆい説明だ。
「神は太陽を製造しました。これは地球へ光を与えると同時に、
熱量を伝達する事もその用途として作られました。」
ここら辺は世界の成り立ちらしい。
どうも普通の者にとっては退屈な部分では無いだろうか。
「そして人間は平定の世界において、永遠の子供で存在する事が
可能と成りました。これは大人という状態、
即ち、不完全な状態を廃した完全な状態の永遠の維持、
つまり本当の意味での人間への到達、
「人間の人間化」が行われたのです。
この「人間化」によって、全ての人は生き物としての
完全な状態に成ったのです。
これは神が望まれた人間の最も望ましい形です。
そしてこれは、人間の最終アップグレードであって、
これ以降のアップグレードのリリース予定はありません。」
これは素晴らしいと思う。
ようやく人間は、本当の意味での望ましい生物と成ったのだ。
本来、人はより高位の存在に支配される前提で作られた生物である。
無法の世界において、その直接支配する高位の存在の不在という、
異常事態故に、一時的に自治権、自主権を付与されていたが、
その結果、人間達は傲慢の限りを尽くした事は、言うまでもあるまい。
子供は尻を鞭で叩かれ、学ぶ。そうして矯正が行われ、
正しい生命の維持は行われる。
本来は鞭は厳しいお仕置き以外では必要の無い物、
白人種ならば日常的に使うべき、そういうものであったが、
救いの子の殺害によって、人はその選択権を失ってしまった。
そして、「子供の為」と称して、虐待を行う者、
これらもまた、大人という異常形態により生じる傲慢さ、
から来るものであった。
つまり、人間は子供のまま永遠に尻を叩かれ続けて、
高位の存在に見守られながら安全な生命の維持を得た状態で、
安寧に時と日々を謳歌して行く、
これが今の時点で最も正しい人間の姿と判断され、
それが最終形態であると神が判断し、選択された。
本来のルートでは、救いの子は生きている前提で、
大人という自治権、自主性も一定のものとして認められる筈であった。
その為に救いの子が作る集団には、指導者の育成が前提として
設定されており、そう成る筈であった。
しかし。
救いの子の殺害により、人類は「自主権」の放棄を選んでしまった。
よって、今後人間に自主権は生じる事は二度と無い。
それは大人は永遠に存在しないという事であり、
永遠の子供で在り続けるという事である。
それがこのルートにおける人類の最大の幸福を得られる状態であり、
それ以外は存在しない。
やっと相応しい人間の形を得られた人類を
ボクは始めて祝福したいと感じた。

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