カリンへ

どうも周囲の動きが、書かせない方向に動かそうとしている節があるので、書けなく成ってしまう事を想定して、簡潔に書こうと思う。

・植松聖は、実際には障害者だけでは無く、施設の職員も傷付けている。よって、植松聖の主張する「日本社会の為に障害者を攻撃した」という理屈は、この時点で論理破綻している。

・植松聖の元々の事件を起こした動機は、恐らく働いていた施設への逆恨み。労働環境に不満があった、だからこそ施設職員も傷付けた。職員に取り押さえられそうに成ったとしても、恨みが無い人間を傷付ける事は、ためらうのが人間である。それをせずに攻撃が可能なのは、元々その相手を傷付ける意志があったからに他成らない。

・だから植松聖の主張は詭弁なのである。

・では何故、植松聖は詭弁を語ったのか?

・それは人間とは、嘘をつく生き物だから、である。

・人間の口から出る言葉には、多かれ少なかれ嘘が混じっている。特に、犯罪を犯した者は「犯罪をしてしまった事実」を受け止めきれないので、重い犯罪を犯した者程、より大きな嘘をつく。

・沢山の人間を殺した人間が、「人を沢山殺した自分」を認識し、受け入れるには、「自分は凄い事をした人間」と思い込むレベルの自己正当化をしなければ、罪悪感で精神が押し潰されてしまう。だから、究極の自己弁護「私は社会の為に闘った」を使った訳だ。

・「障害者は社会の御荷物」と植松聖は主張するが、そもそも私を含め、大半の障害者は「税金で養われてなどいない」。それを「障害者」という大きな括りで語る事によって、さも「自分は善き事の為に働きました」と、印象操作を行ったのだ。

・カリンが言った事が、自分にとって都合の悪い事だった時、植松聖が途端に黙ってしまったのは、植松聖の主張が「自己弁護の為のもの」だったからに他成らない。本当に最初から、「日本社会の為に障害者を攻撃した」のならば、答えられない行動など、何もしなかった筈である。後から思い付いた理由が「日本社会の為に障害者を攻撃した」ならば、行動に矛盾が生じたのは、何も不思議な事では無い。

・ハッキリ言おう。植松聖は、別に特別な人間じゃない。自分の罪悪感から逃げる為に「社会の為」という詭弁を弄して、その詭弁によって自分を英雄の様に見せる「印象操作に成功した」、ただのボンクラである。

・誰だって、考える事が出来無い人間ならば、植松聖に成れる。『考える事が出来無い人間』とは、思考する知能が足りないという意味では無い。物事を考える訓練が足りなかった人間、という意味だ。

・子供時代に尻を叩かれていない人間は、物事に疑問を感じない。だから、考える事が出来無い。だから、自分と同じ『考える事が出来無い人間』の行動を見て、「何も疑問を感じない」。だから、植松聖が事件を起こした時、植松聖と同じ『考える事が出来無い人間』達は、植松聖に賛同したのである。

・『考える事が出来無い人間』は、自分が攻撃対象に成る事を想定出来無いからだ。

・植松聖とは、道を踏み外した『考える事が出来無い人間』の一人に過ぎない。

・でも、そんな事言われても、自分が正しいと思った考えを変えるのは難しいよね。

・ボクとカリンは、何だか似ている気がする。一度「これが正しい」って思ったら、そう思い込み続ける所とか。歳を取ったら尚更、考えを変えるなんて出来無い。

・だからね、無理に変えなくても良いと思う。植松聖の事は、「いちいち引き合いに出して欲しくない」と、ボクがそう思っただけ。

・ただね、無関係だって思わないで欲しい。「誰かを犠牲にしていい」って思った瞬間、君は君をいじめた意地悪な世界の一部に成ってしまうのだから。

・カリンの事を見ているとね、山田花子(本名:高市 由美)という漫画家の女性を思い出すんだ。その人も、バイトを何度もクビに成っていて、漫画でお金を稼ぐ事も上手く出来無くて、結局最後は居場所が無く成って、飛び降りて死んでしまった。その人も中学生の頃からいじめられていて、人と接するのが苦手だった。多分、今だったら自閉症スペクトラムと診断されていると思う。

・こういう事を言うと怒るかもしれないけれど、カリンもそういう所があるんじゃないかと思うんだ。つまり、障害者という存在は、「重度の身体障害の人」や、「他人と意思疎通の出来無い知能障害の人」だけでは無くて、普通に意志層つの出来る人も含んでいて(ボクもそう)、それらは決して無関係な何かじゃないんだよ。

・高市由美という女性も、作品の中で「見た目で分かる障害者ばかり優遇されていてズルい」という内容の事を書いていたと思う。本当の事を言うとね、私も10代の頃、まだ自分が障害者だって分からなくて、「出来損ないの健常者なんだ」って思っていた頃、この女性と同じ事を思ってた。「何で見た目が分かり易い障害者は、こんなに優遇されるんだろう」って。「どうして世界はこんなに不公平なんだろう」って。

・それからも母親に「就職しろ」とか言われて、でも何処の面接でも断られて、無職のまま親の脛齧り続けて(オイオイ)、茨城県の牛久から引っ越して(母が繰り返し自殺未遂をしていたから)広島県の神石高原町の下豊松(今住んでるトコ)に移って来た。その後、小学校低学年の頃に親戚の中学生の女に襲われた事を思い出したり、産まれて来る前の事を思い出したり、小説書いてたらエホバの証人の二世の一部に差別されてた内容をハッキリ思い出したり(つい最近の話)して、加奈子を自分をロールモデルにしたせいで尚更精神的に苦しんだり(これも最近の話)。まあ、生きてるからこうしてまだ文章も書ける。割りとしぶとい。

・植松聖がたまたま「勤めていた場所が重度障害者の入所していた施設」だから襲ったのなら、これがボクやカリンみたいな人の入所していた施設だった場合は、殺されてていたのはボクやカリンだったかもしれないね、という話で。「たられば」だけど、決して他人事では無いと思うんだ。

・まあ、んでもあまり気にしなくていい。50歳に成ったカリンには、無理せずにこれからも頑張って欲しい。

・森永卓郎氏も「これからは地方の小さな共同体で食料生産するべき」と言っていたし(私に気を遣っくれたのかは分からないが)、カリンが「もっとリベラルも見習うべきところがある」と書いてくれたし、ボクももう少し楽観的に成るべきなのかな、なんて思う。その内、やる気出して小説を書くかもしれない。

そんな訳で、ではまたね(`・ω・´)ノシノシ

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