永遠の庭-141

さて。
先程助けた人間の少女に案内され、水辺の方へと行った。
すると、そこの川には、女の子供と男の子供、即ち人間達が、
一糸纏わぬ姿、つまり全裸で水遊びに興じているのであった。
それは。人間の本来の姿、である。
子供という者は本来、大人の善意で服を着て居るのであり、
その裸は本来隠される為に存在しているのでは無い。
人間は全て、裸で生まれて来る。
それこそが、人間の子供は裸を隠してはいけない、何よりの証左であり、
また、子供は生まれた時に呼吸をしていなかった場合、
両足を掴んで逆さに持ち、剥き出しのままの尻の頬を叩いてやる事で、
泣き声を上げさせ、呼吸をさせるのだ。
つまり、子供が完全に露出された尻を厳しく叩かれる事は、
人間本来の教育であり、「人間として生きる」という事に他成らない。
人の一生は全裸で始まり、尻を叩かれる事によって生きる第一歩を踏み出し、
そうして全ての人間は生きて行く。
だからこそ、子供時代は裸を隠さず、尻を完全に露出して真っ赤に成るまで叩かれ、
そうやって「人間らしく生きる事を学び」大人に成って行く。
しかし。
それを忘れてしまった時。
子供が裸を隠し、尻を叩かれなく成った時、人間らしい生活は
確実に失われて行くのである。
子供の裸を隠す様に成った時、人間は「もう人間をやめる」と言ったに等しい。
子供の尻を完全に露出させ、真っ赤に成るまで叩かなく成った時、
人間は「もう正しい人間に成るつもりは無い」と宣言したと同じである。
つまり、
子供の裸を隠し、子供の尻を叩かなく成った時、
人間は完全な反逆者、無法者、同族殺しに成る。
無法の世界とは、そういう世界であった。

ボクは子供達に別れを告げると、この街の図書館へと行った。
そこで一冊の本を読んだ。
「猫に支配された世界」という本である。
とても良い話だった。
ボクはいつの間にか、自分が泣いて居る事に気付いた。

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