狭間の世界12

「カルト宗教を含まない、全ての宗教が矛盾していない、
この考え方に至れるのは、全く別々の文献に
同じ事象が載っていたりする事なんだ。
例えば、ノアの大洪水。
聖書に載っている話だと、神が地上の人々の悪行に怒り、
大洪水を起こしていたよね。」
「天使が地上の女と結婚しセックスをした結果、
巨人ネフィリムが生まれて、暴れ始めた。らしいです。」
「人間達自身も、神を敬わなく成り、宜しく無い事をして居た。
で、神の言う事を聞くノアに命じて大きな船、方舟(はこぶね)を作らせて、
そこに動物の雄雌のつがいと、ノアの一族を乗せさせて、
それで大洪水を起こして、地上を一旦リセットした。」
で、この大洪水の記述が聖書以外にも在るんだよ。
それも、聖書よりも古い文献に書かれて居るんだ。
それがギルガメシュ叙事詩で、そこにもハッキリと、
「大洪水が起きて、大きな船に乗って助かった」という内容が書かれている。
つまり、別々に存在しているのに、全く事象が記されているんだよ。
これは実際には、世界の歴史は一つだった証でもあるんだ。」
空を見上げる。
天空には、明るい夜空が拡がって居る。
「それでも人間は、
「人間が考える事は皆同じだから、偶々同じ内容が別々の所で記されただけ」
「神は人間が創造した存在だから、人間という存在があまりにも偉大過ぎただけ」
そんな言い訳を繰り返す。
未だに出産という手段以外に、同族を増やす手段を持たない原始的な生き物なのに。
テロメアの壁を克服する事も出来ずに、「テロメアは関係無い」と嘯いて
クローンという不完全な技術に縋っている生き物なのに。
人間という生命体の誕生の謎も未だに解き明かせず、
「進化論」という自分達が考え出した不完全な神話を信じる生き物なのに。
最期まで「何かの理由」を見付けては争いを決してやめない、
愚かな生き物だったのに。
それでも「人類は偉大だ」と豪語する。
ボクはずっと悩んで居るんだ。
この「人間」と言う生き物は、果たして生きて居る価値が本当に有るのか、と。」
星が地上を照らして居る。
大地は美しく耀く。
「もし、もしだ。神の間違いをどうしても見付け出すと言うのなら、
それは、「人間という生き物を愛して居る事」だとボクは思う。
この人間という生き物はとても猜疑心が強く、
その癖、物忘れが激しくて自己正当化に関しては余念が無い。
自分が誰に作られたのかも忘れて居る癖に、
何か起こるとすぐに「神のせいで悪い事が起こった!」と言い出す。
他の人間の、自分と違う部分を見付け出しては、
「アイツは私よりも劣っている」と決め付けて馬鹿にする。
己が劣っている事は認めない癖に、
「アイツは気持ち悪いから差別するのは当然。
私は何も悪く無い」
と他者を見下す事を正当化する。
「心で思っているだけだから大丈夫」と嘯くが、
実際には口から言葉を吐き出して、必ず誰かを傷付ける。
その事を指摘されると、「傷を付けられる様な奴が悪い」と、
また自己正当化に走る。そこには反省は無い。
どれも同じ人間という愚かな生き物なのに、
「誰が偉い、誰は偉く無い」と、人間同士でどんぐりの背比べを始める。
足が早い子供は持ち上げられるが、それが一体何の役に立つんだ?
どいつもこいつも逃げ足ばかり早い臆病者ばかりで、
そんな子供が何の役に立つんだ?
結局人間は、協力する事よりも、傷付け合う事を選んだ。
そして、そんな愚かな条件を全て満たした存在が、
無法の世界の最期に現れた。
それが、尻を全て露出させられて、肛門が完全に見える状態で尻を叩かれた事が無い、
小学生の子供達だ。
特に。女の小学生は酷いもので、尻を叩かれている子供は全くと言っていい程居なかった。
人間は、人間を教育する事をやめてしまった。
生きる事を、人間という生き物をやめてしまった。
本能に従って、絶滅する道を寸分違わず選んでしまった。」
フェッシーの横顔を見る。
フェッシーは黙って話を聞いて居る。
「統治の世界に入ると、人間は子供に戻り、
皆尻を完全に露出させられ、肛門が完全に露出した状態で、
剥き出しの尻の頬を両頬共に鞭で打たれるが、
これを拒絶した人間は、当然殺される。
永遠の死だ。魂を殺される。
それが魂の浄化であり、人間への正しい教育だとしても、
人間はそれでも反逆して、「人間は神よりも尊い」と主張して命と魂を失うだろう。
「子供の尻を叩かないのは素晴らしい教育」
という悪魔の教えを再び信じる者が現れるだろう。
そして、統治の世界の最期は、この考え方が再び蔓延るだろう。
だからこそ多くの人間はまたそのナチスの教えに引っ張られて、
多くの魂が死ぬ。」
「フェミニストが、KKKが、白人が愛した教えですからね。
また人間の浅知恵に縋り始めるのは、火を見るよりも明らかです。」
「もし人間が、人間の子供が、自分から進んで尻を叩かれる事を望む様に成り、
自ら尻を露出させ、肛門を全て見せて、尻を叩かれる様に成り、
尻を叩かれる事に心から感謝出来る様に成ったら、
ボクは人間が生きて居ても良いと思うよ。
それは、人間が人間として浄化を受け入れて、
人間として生きて行く事を認めたという事だからね。」
でも、そんな子が果たして来るのだろうか?
ボクはまだ、半信半疑なのである。

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