おそ松さん第二期18話感想

今回は丸々一話を使って往年の「くん」時代の名作「イヤミはひとり風の中」をタイトルそのままにリメイクした回でした。OPは超省略版、EDも特別バージョンにして尺一杯に原作の要素を詰め込んだ渾身のリメイク。変に茶化したり、妙な改変もなく大変真面目な作りになっています。

ちなみに私はこの話の元ネタ映画である『街の灯』も、くん原作の「イヤミは一人風の中」も未視聴・未読です。ただどちらもものすごく有名な話ですので大まかなストーリーや詳しいネタバレは熟知しているという状態で見ました。本文中の『』内にある日付つきの引用は当時ツイッターのものです(誤字脱字や二次創作的コンビ名などは訂正しています)。

イヤミはひとり風の中

◎トータルの感想

原作では江戸時代が舞台のパロディでしたが今回のアニメでは舞台が昭和初期に変わっています。

それは原作当時における一昔前が江戸であったのに対し平成の世に新たにリメイクするなら一昔前は昭和だろうという時代的背景が一つ。あとは「くん」が始まった時代(テレビアニメ黎明期)から平成の現代へというリアルタイムを感じる演出と言えます。

それを象徴するように序盤はほぼモノクロに近い状態の作画で始まる今回の話には古き良き時代のノスタルジーが溢れているように思いました。

おそ松さんの世界というのは私も感想で再三言っているのですが、理不尽と不公平が横行しています。良い事をしたからって報われるとは限らないし、悪い事をしても平気でのさばるやつがいるという、良いも悪いも運次第、正直者は時にバカを見る。そんな世界です。

旧赤塚ワールドもそんなところはありますけど(バカボンなんか特にそんな感じが)、それでも時々挟まるいい話には「世の中捨てたもんじゃない」っていう善意が確かにありました。この物語はそんな時代を描いています。

序盤の色のない世界は昭和初期の白黒テレビの時代を象徴するとともにイヤミの無味乾燥な人生も意味しています。そんな中でただひとつ盲目の少女であるお菊の差し出す花にだけ色がついているという演出。これはテレビアニメでないと出来ない事ですね。

お話が進むにつれお菊ちゃんにも色が付き、最後に時代が移り変わってかつての街も何もかも無くなった時にはフルカラーの世界となります。

フルカラーの世界は鮮やかで綺麗だけどイヤミの居場所はありません。かつては人々の善意に支えられ主役を張っていたイヤミが存在する場所がもうないのです。この世界ではもう誰からも強く認識されないわき役の一人となりまさに「イヤミは一人風の中」に去って行くしかないという物悲しさでもあるのです。

しかしそんなな中で手術に成功しイヤミを待つお菊ちゃんの存在が救いとなります。彼女が開く生花店には「イヤミ」の名が。これはたとえ時代に忘れられてもかつての彼の栄華を知る人たちの中には確実にイヤミの存在が残っているという希望でもあります。それこそ夜の街に仄かにともる灯のごとくに。

だからこそイヤミは何も報われない自分の境遇を卑下することもなく一人堂々と風の中に去って行くのです。

原作を忠実にリメイクしつつ、時代と共に主役を追われたアニメ世界のイヤミを重ねて新たな意味を追加したという感じかもしれませんね。どんなに世界が変わってもイヤミはいつだってイヤミで、永遠に不滅なのです。彼は自分が自分であることに誇りを持つ赤塚ワールドの名優だなと思います。

そして同時に現代的にリメイクされても、いまだどこか存在感がふわふわしてる六つ子たちと対比してもしまいます。本当に幾ら六つ子たちが個性を得て有名になったとしてもイヤミさんにはかないませんよ。二期六話を思い出しますね。そりゃ、この時代を経て現代でも変わらず生き抜くイヤミにしてみたら与えられたものに不平不満を漏らし、あまっれたことを抜かす六つ子なんて赤子の手を捻るような存在でしょう。

今回の話は、赤塚先生の公式サイトに赤塚先生のお気に入りの話として紹介されていますが、本当に細かい演出を丁寧に拾っている様子。それをうまいこと30分に収めているのが見事です。特に最後の猫が寄り添っていく描写は原作のままだそう。あのシーンは赤塚先生も何度も描いて映画的演出を目指したという気合の入ったところだそうでアニメになったことでまさに映画的シーンとなりました。

◎ストーリーの本筋以外で気になったところについて

全体の感想とは別に思いついたところを書いていきます。

『18話ってまあ一期の18話がイヤミカートだったと思うのでさんの六つ子に物申すイヤミメイン回という事は共通してるけど単にそのための対比に使うだけにはこの原作は重すぎるよね
スタッフはこの話にかなり思い入れがあると思う
12:31 - 2018年2月7日』
『風の中~の元ネタである「街の灯」に出てくる花売り娘っていうのは娼婦の暗喩とも言われてるんだけど(当時は規制が厳しかったので売春の事を「花を売る」と言い換えていたと)、そう考えると松さんで内容的に対比されるのは『十四松の恋』の方なのかもしれないな……
13:33 - 2018年2月7日』
『今回の話は原作を忠実にリスペクトしたリメイクだけど『十四松の恋』はたとえばこの間のかわいこちゃん回みたいなモチーフだけを借りた現代的再構築話なのかもしれないね(それが成功したかはさておき)
13:39 - 2018年2月7日』

これは私個人の印象なので本当のところどうなのかは不明ですが、なんとなく不幸な境遇の少女を救うというモチーフと、松にはめずらしい「ギャグをさしはさむ隙のない良い話」ってところが重なってしまうんですよ。ただ「十四松の恋」と今回の話には決定的な違いがあります。

『キンちゃんにしろ、彼女ちゃんにしろ松世界にゲストとして現れただけの現実社会の住人達にアカツカワールドの人々は一切干渉できないし何もしてあげられないってのが現実で、それでいて今回のお菊ちゃんに対してイヤミがかかわりを持てたのは彼女がイヤミを見ることができなかったからなんだろうな
13:41 - 2018年2月7日』
『盲目であるがゆえに触れることのできない世界に一瞬邂逅できたのかと思うと切ない
でもそう考えると今回の話の最後でイヤミが決してお菊ちゃんの前に姿を現さないのもよく分かる
13:42 - 2018年2月7日』
『五男はじゅうしまつとして彼女ちゃんの前に表れてしまった時点で彼女をすくう事は絶対にできないし、救う事ができない彼女に対してああいった取り返しのつかない過去という属性を付けてしまったことは露悪的でちょっと気になるところ
別にもっと普通に詐欺とかそういうのでもよかったと思うんだ
13:45 - 2018年2月7日』
『これも今回の風の中~をモチーフにしてたというなら何となく理解はできるけど納得はできないかなって
彼女ちゃんにあそこまでひどい過去を付ける必要は本当にあったのか少しだけ疑問に思ってる
13:48 - 2018年2月7日』

「十四松の恋」っていい話だと思うけど、一話限りのゲストである彼女ちゃんに対してちょっと重い設定をつけすぎなのが私は気になってしまい好きになりきれないところがあるんですよ(申し訳ないんですが)。取り返しのつかない過去を持っているっていう状況はあの話において重要ではありますがそれをああいう性的過ちにする必要があったのか。やっぱり女性にとってこの問題はすごくデリケートな部分だし安易に感動の為に使っていい事ではないと感じるのです。性的要素はなくても他の重大事で代用も可能要素だと私は感じます。

もっとも「絶対に取り返しがつかない」「救えない」ってことに重点を置く為と言われるとそれ以上は何も言えないんで好みの問題と言ってしまえばそれまでですけどね。

『それはそれとして『街の灯』をベースにああいったリスペクトドラマを作るアカツカ先生は素晴らしいなって思う
最後に気付かれず去っていくという原作とは違う部分がアカツカ版の味って感じで好き
報われないからこそこの話のイヤミは尊い
13:54 - 2018年2月7日 』

まあ最後にはこれにつきます。赤塚神の偉大さをいろんな意味で感じる回でした。

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