おそ松さん第二期十話感想


私は一応おそ松さんではカラ松但の箱推しなんですけれどもこの二期第十話Aパートはカラ松ファンにとってはいろんな意味で嵐ではないでしょうか。個人的にはいまのところ二期最大の衝撃作。

日付つきの『』内は当時のツイッターからの引用です(誤字脱字は訂正の上引用しています。二次創作向けのコンビ用語は一般向けに訂正)。

Aパート:カラ松とブラザー

物語の簡単なあらすじを紹介すると見当違いの優しさを「オレの格好良さ」と考え兄弟たちからの無茶な要望を決して断ろうとしない次男とそれを見かねた三男の攻防話です。

カラ松とブラザーとか言いながら実のところ「カラ松とブラザー(チョロ松)」という……(後で見てみたら題字の「ブラザー」がちゃんと緑色になってるんだよね)。

とにかく視聴直後興奮著しくその日丸一日お休みだったのもありツイッターでの呟きが大変な量になっている為感想をまとめきれません。とりあえず視聴直後のツイートを未整理のまま時系列で引用してみます。

『個人的には私がからまつに抱いていた解釈の一つででもここまで個人的解釈を付加するのはどうかなーって思ってた部分が思いのほか肯定されてしまい動揺激しいです
13:06 - 2017年12月5日』
『からまつは人生を自己演出する男だとは思っているんだけど反面そんな二次創作みたいに演技上手な訳でもなくかなり無理をしてる部分はあるんだろうなって感じてもいたので、カッコいいオレを演じるための優しさが苦痛でもあると知れた今回の話はものすごい答え合わせ回だよぉ
13:09 - 2017年12月5日』
『次男は一見自信満々な男だけどその裏側に素の自分に対してのかなり大きな劣等感を持っているようなキャラだと思っているからたとえ殺したいほどの苦痛があっても己の理想を曲げることができないんだな
自分を飾ることをやめたらそれは次男が死ぬ時だ
13:11 - 2017年12月5日』
『そういう次男の本質にはそこまで気が付くことなくでも、次男が無理をしているという心までは程よく察してくれる三男だからこそ次男は本音を言えたんだと思う
これが察しよすぎる長男だと自分の一番知られたくないところまで抉り出される可能性があるからな
13:12 - 2017年12月5日』
『あと四男以下の弟に対しては「弟」って意識が強すぎて絶対兄の仮面をはがせない(&弟達もそんなカラ松の内心に興味は大してない)
次男はたまーにああやって三男に甘えることでガス抜きしてるのだと知れてちょっと安心しました
お前ちゃんと逃げることができるんだな
13:14 - 2017年12月5日』
『優しさを格好良いものと思い自分の気の弱さを優しさというまやかしにすり替えて満足しているものの、その優しさという仮面がなくては自分を保てないため殺したいほど嫌なことも断れない自縄自縛な次男の闇を見ることができて意外と重い回かもしれない……
13:19 - 2017年12月5日』

ここまで次男について。以下は三男。

『今期に入ってからキーパーソンとしての三男のキャラが輝いてるよね
13:21 - 2017年12月5日』
『真ん中の立ち位置というのが兄であり弟であり対等でありと兄弟たちに対して良い調整役として働くんだな
常識人?ではあるけど松野家のバランサーであることは違いない
13:22 - 2017年12月5日』
『三男のいいところは周囲で起こっていることのすべてを理解しているわけではない事その適度な鈍さですよ
何でもかんでも細かく理解していればいいとは限らない(前回の四男の生きづらさとか見てると分かる)
13:23 - 2017年12月5日』

もともとアニメ開始前に出たなんでもないCDでの「チョロプレックス」でカラ松とチョロ松の関係性について盛り上がっていたところにこの追加燃料はかなりきました。長男であるおそ松に対するのとはまた違った気安さ遠慮のなさがいかにも男兄弟と言う感じで好きです。

あと、その他のトピックとしては、一松からの次男への呼びかけが二期初登場。普通に「カラ松」って呼んだ。今期はクソ松呼びは封印なのかもしれないです。何だかんだ言って一期だって実はそんなに頻繁にクソ松呼びしていたわけじゃないし。

ともあれ今回の話ではカラ松、チョロ松他のブラザーたちは舞台装置的な役割しかなく血の通った人間っぽいところ感じなかったからあまり感慨はなかったです。とにかく今回はこの二人の松に焦点を当てた話なので。

今回のテーマとして次男の承認欲求があるのですがここのところをどう解釈するかによって人により「次男ってこうだよね」って人もいれば「こんなの次男じゃない」って人も出てくるという本当に物議を醸す描写が多発したんですよこの10話。とりあえずの私のスタンスは以下の通り。

『私は次男はほめられたがりだけど承認欲求が強いとは思わないんだよね
むしろナルシストの割に承認欲求は薄い男だと思ってる
人からどう見られるかじゃなく自分が自分の思う完ぺきな男であるかっていう内面の問題なんだよね
だから心の内でもなかなか愚痴をこぼさない(例:なんでもないCD)
13:35 - 2017年12月5日』
『最後に三男を助けなかったのはもちろん一番には次男が自分が一番のクズwwだからだけど、三男が既に次男の内面的なところを少し知ってしまっているからというのもあると思う
三男の前ではもう今更飾るものがないという事
承認欲求の問題ならあそこで三男を助けていたと思う
13:37 - 2017年12月5日』
『次男の世界って良くも悪くも自分しかないんだよな
自分が一番!なの
一見献身的に見えるけど自己犠牲とかそういうのとは一番遠い人間だと思ってる
その自分勝手さきままさが好き
13:38 - 2017年12月5日』

このツイートだけだと要領を得ないので補足しますが、私は元々カラ松と言うのは自己表現欲求は強いけれど他者から認められたいという承認欲求は弱い人間だと思っていました。おそらく私以外にもそう思ってたカラ松ファンは多いと思います。今回のカラ松が他松からの賞賛を必死で得ようとしているように見え解釈違いというむきもあるんですよね。あの表向きのポジティブさが内心では「殺したい」と思うほど無理に無理を重ねた上に成り立っていたのか、と。

けれど私は10話で描かれていたのは世間一般で言うところの承認欲求ではないと思っています(あくまで私は)。認められたい、褒められたいなら最後に自分をかばったせいで割を食った三男を見捨てずに助けてもいいんじゃないかと。だって、ここぞとばかりに褒めてもらえるチャンスですよ。でもあの場面でカラ松は「助ける必要がない」と判断したんですよね。

『からまつくんは自分が大好きなのではなく、自分が作り上げた優しくてかっこいいオレという偶像が大好きなのであって素の自分に自信がある訳では全くないという推測が形になった回だった
14:23 - 2017年12月5日』
『次男のあの実は自己肯定が意外なほど低いところがギャップ萌えなんですよね
そうでなければ私は多分次男をそんな好きじゃなかったと思う
ただの自分ダイスキ~ではなく日々の努力で大好きになれる自分を演出しているようところ
14:24 - 2017年12月5日』

なんでもないCDの「オレ」などを聞いていても分かるのですが、彼は普段の生活の中でも常に「理想の自分」を演じています。心の中でさえなかなか素を出しません。自分自身をも偽るほどキャラクターを作り込んでいる人物なのです。

私の解釈するカラ松の人物像は「誰からも理解され難い理想を持つ前衛芸術家」です。例え三男にとっては損にしかならない次男の滅私奉公でも彼にとっては理想の自分であり続けるために必要不可欠な行動だったのかもしれません(それが世間一般のよいこととはかなりズレている為問題になってしまう訳ですが)。他者に認められたいという承認欲求と言うよりは自分の理想を表現したいという芸術活動そのものを彼は重要視しているのではないかというのが今のところの私の推察です。

私は三男が言うようにカラ松が「気が弱いから頼まれたら断れない」男だとは思いません。気が弱いところがあるのは事実なのですがそれは頼みごとを断らない理由ではないと思います。現に最後には三男の懇願もきっぱり断っていますしね(冒頭でこれ以上ないくらいに三男がオラつく恐ろしい姿を見せたのは次男が決して恫喝を恐れて皆の言う事を聞いていたわけではないという事実の示唆だと思っています)。

その気になれば一期二四話のように六つ子の絶対王者おそ松を鉄拳制裁することも厭わない次男ですから本気で必要ないと判断すればきっぱり断るでしょう。カラ松にとって「自分にしかできない頼みごと」をしてくれる相手と言うのは「優しくて断らないオレ」を成立させるのになくてはならない要素なのです。だからなくなっては困るのです。本当なら助け舟となるはずの三男の「本当は嫌なんだろ?」という言葉にも助かったというより困惑の表情を浮かべています。

カラ松がおそれているのは己の理想を演出してくれる登場人物たちの消失、そして何よりも自分の存在をスルーされることなのではないでしょうか。自己スルーに対する極端な恐れは一期五話事変以降様々なメディアで散見される部分です。例え殺したいほど面倒臭い用事でも彼にとってはやらねばならない必然なのです。

『次男君人の嫌がることを引き受ける優しいオレって浸れるところまでは好きなんだろうけど、そのあと実際に引き受けたことをやるのは殺意を抱くほど面倒という普通に困った人でした(四男とは違う面倒くささ)
13:57 - 2017年12月5日』
『なんか兄弟たちが次男の扱い雑にするの分かる気がした回でもある
三男以外の兄弟たちは多分そういう次男のいい加減な部分を熟知してるからこそ悪びれもせず頼ってくるんだと思う
三男はほらやっぱり鈍いから……(でもそんな君が好きさ)
13:58 - 2017年12月5日』

なにはともあれ、決して脅されたり無理やりにやらされている訳ではないのですが(良いようにおだてられてはいますけど)、そこのところをチョロ松が「やらされている」という一面的なとらえ方をしたために今回の行き違いが起こってしまいました。カラ松の言動は損か得かで考えればただの損でしかないですし三男がそう判断してしまうのは無理からぬことではありますが。

カラ松にとっては「優しくて断らないオレ」を演じるに辺り心の中のドロドロした不満は共演者には厳重に秘匿しなくてはならないのです。それなのになぜ今回チョロ松に打ち明けるに至ったのでしょうか?

カラ松がチョロ松に頼まれごとに対するストレスをぶちまけたのは屋根の上。家の中が「表舞台」だとすれば、あそこはいわゆる「舞台そで」みたいな場所になります。

それまで舞台に立つ共演者であったのが袖に降りたことで一時的に舞台を裏から見つめるメタフィクションの住人になったのだと考えます。一期イヤミカート回のような完全なる幕間ではないですが、あの「屋根の上」は客観的立場から物語を眺めることのできるフィクションの少し外の世界なのだと私には感じられました。

しかし、舞台裏に降りメタな不満を口にする次男に対し三男はあくまで舞台の上にいる時と同じ人間として接しています。三男にはこの世界を演じているという自覚がないからです。役者として舞台を演じる次男とはこの世界に対する認識の前提条件が違っています。

カラ松はこの場で図らずも新しいレッテルを与えらます。三男による「気が弱いから頼まれたら断れない男」というものです。舞台裏で意図せず差し替えられた「気が弱いカラ松がチョロ松の忠告により理不尽な要求をきっぱりと断る」という脚本を次男はこの後要求通り演じていくことになるのです。

以後の次男は忠実に「気が弱いから頼まれたら断れない男」です。兄弟の前で思いつめたような表情やチョロ松の様子をうかがう目つきなど完璧にそれです。三男からの要望を完ぺきにこなしホッとしているようにも見えました。そこに面倒事から逃れられたという解放感がまったくないところが満足げな三男の様子と対照的でこの後の悲劇を想像させます。

カラ松の不満が白日にさらされた後にカラ松、チョロ松以外の松たちがまず心配したのは「カラ松兄さんがそのポジションやらないとすると誰が後釜に座るの?」ということでした。

私が今回の話にとてもメタフィクショナル性を強く感じるのはこの「後釜」っていう言い方。普通に受け取れば自分で何もしようとしないクズニートたちの怠惰を笑うシーンですが、このAパート全体的にカラ松チョロ松以外の松たちに普段の生々しさを感じられないんです。ただそこにいるだけ、与えられた役をやっているだけ。本当に役者のようなんですよ。

「だって俺おそ松だよ?おそ松ってそんなのしないでしょ」

「いや。一松は怖い。恨み溜めて後で刺してきそうだもん」

「え~。僕に頼み事なんかしたら絶対ロクな結果にならないと思うよ」

「僕は絶対にそういう事はしない。そんなのやるくらいなら家を出ていくよね」

以上は他四人がカラ松の後釜に座れない理由を示すセリフですがこれが何とも寒々しい。今までの話から見えてくるこのキャラはこうだっていうパターンに自分を当てはめて役割を確認しているようで。特に「おそ松ってそんなのしないでしょ?」には本当にそうなのかは分からないのに決めつけられた枠に自分を押し込んでいるような怖さがあります。

ここでやっぱり後釜とか考えられないっていう展開になればカラ松にとってはむしろ幸福な流れだったのですがこともあろうに他四人はチョロ松を後釜に指名してしまいます。

悲しいかなこれはしっくりと成立してしまうんですよね。むしろギャグ的にはチョロ松ぐらいオラついてくれた方が安心して見ていられる分適役かもしれないなって感じるくらいには(実際このオチに対し「チョロ松なら押し付けてもやり返すことができるからまだマシ」っていう感じの感想も見ました)。

一見厄介な役回りをチョロ松に押し付けることができたというカラ松にとってはこの上なくラッキーな展開に見えますが私はこの瞬間こそカラ松は一番ショックだったのではと感じます。

自分でなければできない役割だと思っていたものが普通になくても成立してしまったという。元々カラ松というキャラは六つ子の中でちょっと立ち位置がふわっとしたところがあると思うんですよ。おそ松は六つ子のプレーンとしての象徴でまとめ役、チョロ松はツッコミ(最近は所によりボケもこなせるオールラウンダー)、一松はエモーショナルな陰の部分、十四松は理解不能な引っ掻き回し役、トド松は収拾のつかなくなった部分を冷静にまとめる客観的立ち位置、とそれぞれにしかできない役割があるのですがカラ松に関しては明確なこれ!っていうギャグ漫画における役割が考えてみるとないんですよ。

強いて言うなら出オチの一発屋なんですが、これは十四松とかでも代用可能だし、ツッコミやボケでは他にこの上ない上位互換がいます。クズさでも他のニートたちにはかなわないし初期に設定されていた参謀設定も消えましたよね(参謀っていうならおそ松の方がよほど悪賢いし、知能的には一松や十四松の方がよほど賢そうです)。

まあ六人もいればどうしても役割はかぶりますよ! アイドルグループとかだって偶数だとキリが悪いとかいうじゃないですか!!!! カラ松の悲哀ってそういうところにあると思うんです。一期五話の「エスパーニャンコ」の回がカラ松の特性を如実に示しています。いなくてもお話が違和感なく成立してしまうという。

だからこそカラ松は普段から自分のキャラを保つという事に他のどの松よりこだわりがあるのだと思います。過剰なほどに自分を演出し己にしか分からない美学を貫く。それしかできる事がないんです。それななのに今回それをチョロ松に否定され挙句の果てに大事に守ってきた唯一の立ち位置(と本人が思い込んでいた)を取って代わられてしまった。

……そうです、取って代わったんですよ。客観的に見ればカラ松をかばってチョロ松が酷い目に合うというシーンです。でも、もしかするとカラ松視点から見れば表舞台の役割を降ろされて役者ですらないただの傍観者にされてしまった。そういう場面だったのかもしれない。後釜発言で怪訝な顔を見せて以後、カラ松の表情が分かるシーンがほぼ出てこないのが不気味です。自分の後釜を決める一悶着をカラ松がどんな気持ちで見つめていたのか全く視聴者には示されません。

後釜発言以後唯一表情を見せるのがチョロ松に助けを求められる場面。カラ松はこれ以上ないくらいいい笑顔を見せ「グッドラック」「実にいい物語だったぜ」「ハッピーエンド」と言いながら去って行ってしまいます。以前なら喜んで飛びついたであろう「助けてよ!カラ松兄さん!優しいカラ松兄さん!」というチョロ松の懇願に対しても全く耳を貸さず無言で障子を閉めるのです。

物語の登場人物でなくなったカラ松にできる事はもうありません。「優しくて断らないオレ」というカラ松はすでに当のチョロ松によって取り上げられているのですから。この回のカラ松に残っているのは「気が弱いカラ松がチョロ松の忠告により理不尽な要求をきっぱりと断る」という脚本だけです。「いやいや!なんで締めんの!?」と尋ねるチョロ松に答えるならば配役を外れたからとしか言いようがないです。傍観者は幕間の世界へ消えるのみ。だからカラ松は家の外へと去って行くのだと。

でも、カラ松は別にチョロ松を恨んでるとかそういうのとも違うんですよね(これ書いてる時点で既に13話まで視聴済みですが次回11話ではっきりとカラ松が「先週の優しさ」とチョロ松に言っている)。チョロ松が基本善意でしてくれたことに対する感謝はあるんですよ。

もしかしたらあの最後の笑顔は揶揄でも皮肉でもなく純粋な激励の笑顔だったのかもしれません。物語の登場人物として輝いてるなっていう。実際このAパートの主役は最後には完全にチョロ松でしたしね。このAパート最後のカラ松の気持ちには色々と複雑なものが混じっていそうですが一番強い思いは「羨ましい」なのかもしれません。そこがこの話の一番怖い所だなって感じました。

私はカラ松推しなのでついついカラ松主眼で書いてしまいチョロ松に対して申し訳ない気持ちもあるのですが、他の松たちがあえて言わなかった領域に鈍さゆえつっこんできたことをありがたくも思っているんです。

メタフィクショナルなどどこ吹く風で自分を貫くチョロ松にだからカラ松も言えることもあったんじゃないのかなって思うし。ある意味飾ってもその演出意図など理解しない相手だからこそ屋根の上で内幕を暴露するに至ったと言えます(隠しても意味がないから)。時に無礼なほど気安く接することができる相手というのはカラ松にとって貴重。兄弟で一番素を見せられる相手って実は三男なのではと感じた回でもありました(長男にも気やすく無礼ですがやはり「長男」という絶対性がありますからね)。

この回は他の回を見るごとに色々解釈が変化していきそうで本当に感想がまとまらないですね。何だかんだと書きましたが私はこの回好きですよ。カラ松の今までなかった表情が色々と拝めてレアな回だったと思います。

Bパート:新入社員トト子

この話笑えるか笑えないかかなり人を選ぶと思います。私は笑えません。

何故ならこういう新入社員は結構現実にもいるし実際にいたら全然笑うどころの話じゃないのを体験しているからです。でも一番クソなのは仕事ではなく自分の主観だけで人を見て全然仕事ができない上司だよ!(こういう人間がいなければ仕事のできない人間が淘汰されて終るだけなのに)

そういうとこ含めてとにかくただただ現実ですよねこの話。

Cパート:アフレコ松さん

メタフィクション全開のパート。これ単体で見たら結構笑えます。シュールなネタ自体は好き。

ただAパートで散々キャラがメタな視点から物を見るのに若干モヤモヤしたものを感じていたのでそういう意味では色々心に来ます。

アフレコをしてる六つ子たちが当てているアニメ二期なんですけどあすこにいる六つ子たちが来ている衣装が一期のパーカーなんですよね。見方によっては一期の六つ子たちが二期の声を当てている図とも見えます。なんだか二期になってからのあれこれがすべて「フィクションです」とでも突き放されてるような感覚。

……いや一期だってフィクションだし、アニメ自体フィクションですけど! 分かっているけどその中に思い入れを持って見ている層をちょっとバカにしているようなそういうのはなんか嫌だな。でもこれも私の主観でしかないので実際のところ全然深い考えはなくただ面白いからかいた話って可能性も高いんですけどね。むしろそうであってほしいです。

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