おそ松さん第二期21話感想

最終回まで残すところあとわずかとなった21話。カオスの中にも何となく先がない寂しさを感じる話となりました。

アバン:深夜の日松屋

私は地方民なので詳しくないのですが関東一円でチェーンを持つ日高屋というラーメン屋さんが元ネタみたいですね。良く知らないので最初普通の居酒屋かと思ってしまいました。これ知っている人は居酒屋ではないけどちょっと飲みができる程度のラーメン屋大騒ぎする迷惑ってのをリアルで感じられるのでしょうが、私には初見でそこのところが分からなかったのでネタフリの理解がワンテンポ遅れたのが悔しいです。地方格差のあるネタ悲しいよー。

六つ子たちがお互いの頭を叩いて「ピンポーン!」って大騒ぎするシーンすごく可愛いんですよね。この和気あいあいぶり。くだらないことがツボにはまって大はしゃぎして何が面白いのかも分からないギャグを繰り返すのがおかしい。まさに視聴者が見たいと思うような六つ子たちだと思うんです。

この後「支払いはどうするの?」と言いながら延々と「ピンポーン」ネタをエスカレートさせていったのでてっきり支払いができないオチなのかと思いきや思いもかけないところから被弾します。

店の片隅で一人飯をしていたヤンキー風のお兄さんに注意をされてしまいます(耳にルーズリーフみたいに一杯ピアスをつけた強面の若者)。しかも一言「うるせぇよ」という静かな(それでいて威圧感のある)ガチ目の注意です。

それまでのギャグ漫画の雰囲気から一転、急激に周囲の空気が冷えるこの心地。二期によく見られる、六つ子コミュニティが外界にさらされるシチュエーションですね。六つ子の悪ふざけが「かわいい」で通用するのは自分たちのテリトリーだけなんだぞっていう。

ヤンキー風の男に注意された途端「はは…怒られちゃったよ…」と呟くおそ松に一期までのどんなことでもギャグにしてなごませてしまったパワーはもはやありません。皆も水を打ったように静かになってしまいます。

この後、十四松が再び「ピンポーン」ネタをやろうとするのですが、カラ松が止めます。しかもこちらも「やめるんだ」というかなりのガチトーンで。

この構図、一期24話でのおそ松の前で悪ふざけを続けた十四松に重なります。あの時も周囲の空気が確実に悪くなっている中、十四松だけがそのままのテンションで騒いだためおそ松の怒りを買ってしまいました。あの時も寸前までカラ松はそれとなく十四松を止めようとしていたんですよね。

十四松は決して空気を読めない子ではないので、私はあの時も今回もあえてやっているのだと思っています。十四松は場の空気より六つ子内の輪とか楽しさみたいなものを重要視しているからではないでしょうか。「なんでみんなで楽しく過ごしちゃいけないの?」っていう純粋な疑問からだと思います。だって先ほどまでは確実に皆面白おかしく過ごしていたのですから。

そんな十四松をかつて止められなかったカラ松が今回はしっかりと十四松を阻止しているのが印象的です。この先の結末を理解しているからこそでしょう。十四松が止められ皆が気まずい沈黙に固まる中唐突に話は終わってしまいます。

このネタ普通の居酒屋や架空の店でも良いのに「日松屋」という現実にある店を想起させるパロディになってるのは意図的なものだと私は考えます。普段私たちが楽しく見ている六つ子たちの悪ふざけというのが実際に世間でやったらどういうものかというのを実在する舞台で再現し、見せつけているのです。前半で六つ子たちを微笑ましく見守っているからこそ、注意された時の気まずさに我々も強くシンクロしてしまいます。

これはギャグとしての楽しさと六つ子たちの人間的な成長というのが相容れないというジレンマを描く話でもあります。今回はBパートの話もそうなので21話全体を貫くテーマ。引いては二期全体を通してのテーマの一つといえるかもしれません。

Aパート:BANANA

私は地方民なので詳しくないのですが風俗求人情報のバニラによるバニラ宣伝トラックが元ネタみたいですね(新宿渋谷近辺で凱旋しているのだそう)。

……このくだりアバンでも書いたよ! 今回関東地方ローカルっぽいネタが多すぎて地域格差すごく感じます。バニラの事全然知らなかったので何事かと思いました。こういうネタで理解速度に差があると悲しいです。バニラがどういうものか分からないとこのネタの根幹が理解しがたいですよね(まあ何となくは察せられるんですけど、私も関東民のように「バニラじゃねーかwww」ってリアタイ反応したかった)。

正直関東民じゃないのでバニラの持つ空気を踏まえての解釈はできかねます。どう見ても通常軸の話ではないのですが前回の工場見学に続き一松が大人側のキャラに配役されてるのが印象的でした。スタッフにとって一松ってそういう側なんだって。

バニラの求人で一松店長のねこやしきに就職したトティ美(すごい名前だなオイって思いましたが、旅館回でトド美って名前は使っちゃったもんね……)。一攫千金を狙う今時の女の子として描かれます。

しかし待っていたのは最初の覚悟とは違うお笑いの仕事ばかり。現状に不満を持ちつつも「でも大丈夫。慣れるから」と淡々と仕事をさせようとする店長に流されそうになるのですが突然「違う!私がやりたかったのはこういう事じゃない!そう…私がやりたかったのは…」という回想と共に夢の世界へギアチェンジするのです。そこにはバニラのアイドルとして華々しく成功したトティ美の姿がありました。

ここからのトティ美のシンデレラストーリーは本当の事なのか、飛沫の夢なのか全くネタばらしもなされぬまま「やった!一発逆転でーきた!」というトティ美のセリフとキメポーズで唐突に話は終了してしまいます。アバンに引き続き投げっぱなしラスト。

それにしても、こんなんで本当にお客さん喜ぶかどうかわからないけどとりあえずいろんな人向けにお笑いをやっていくお店って、これまんま『おそ松さん』のアニメじゃないですか(どうでもいいけどハケ水車はやばくないです? あれを初心者にやらすとか店長鬼過ぎ)。

しかしながら「私がやりたかったのはこういう事じゃない!」って言いつつも結局のところ金目当てで入ったという動機以外特になにもなさそうなトティ美。それだったら開き直って別の意味で性的搾取される側のアイドルとしてやりたい放題やったるぜーってのも一期の時なんやかんやと本来目指していた視聴者層とは違う女性人気を獲得していった『おそ松さん』に重なるような気がしました。

トティ美の凱旋場所の後半おそ松さんアニメでおなじみの場所ばっかりだったしね。しかしやっぱりこの話脳がまともに解釈することを拒否する感じですよ。ぶっちゃけただ面白そうだったから書いたって感じもするし。脳内麻薬がドバドバ出てくる話です。

Bパート:ニート矯正施設

いきなり「ごめんくださーい! セールスマンでーす!!」という不穏な導入から始まります。自ら「セールスマン」と名乗るセールスマン怪しすぎる。

セールスマンの男が紹介するニート矯正施設なる怪しげな場所に誰かを一人だけ預けようとなる展開。何というか、今更。今更な話をあえてこの最終回間際にやるという怖さ。この時点で何が起こるか本当に戦々恐々でしたよ。

『「就職しなさい。そして早く自立しなさい」口ではそう言うけれど結局甘いのよ私は』という松代。最後の最後で六つ子たちを許してしまう自分を恥じ六つ子たちに「変化」を求めるのです。

誰かが変わることで突破口が開けるのではないか。これは一期24話の手紙回を彷彿とさせます。チョロ松の就職を機に皆が次々と家を出て言ったあの回です。あの時の変化は必ずしも松野家に安寧をもたらすものではなく人としてまっとうになっていった六つ子たちに反比例するように明るいギャグワールドとしての松野家は崩壊していったのです。

結局24話の混乱は25話で無理やりセンバツに差し替えられてしまい、うやむやなまま六つ子たちの変化は手紙と共に燃やし尽くされてしまいました。それを踏まえた上での今回の話はいわば一期24話の焼き直しといえます。

そう考えると真っ先にチョロ松が施設行きを免除され、相談役に選ばれる流れは納得です。もちろん単純に一番目立った問題のない常識的な松だったというのもありますが、チョロ松の変革は既に一期25話で失敗している為、別の松が変化する必要があったのでしょう。

またチョロ松はその真面目風なキャラクターゆえに他の松と違い自分の為ではなく松代松造側の理想を叶えるという視点でアドバイスできる唯一の松というのも大きいです。他の松たちではおそらく自分の欲望や自虐むき出しのアドバイスになってしまい作品テーマから外れてしまう可能性がありますからね。

今回の話では松代松造はいわゆる「生みの親」であり、ひいては『おそ松さん』を作った制作者側の暗喩なのだと私は解釈しています。

セールスマンはいわゆる外部からの期待や圧力。六つ子たちはこうあるべきと考える外圧的なもの。実際今回の二期でも六つ子たちのクズ描写が変に生々しくなったりしたので現実を見ろとか、もっと世の中に対して真摯であるべき、外の世界に触れて変革するべきといった意見を持つ人も多分います。あとキャラクターの個性が一期に比べ類型的じゃないのでそれに関して文句も出てますよね(これは私も結構言ってしまっている)。

でもそういう視聴者及び外部が「松たちにとってこれが良い事」と示してくるほとんどって結局制作者側にとっては胡散臭い戯言。ファンの意見に耳を傾けるのは大事だけどやみくもに振り回されるのも違う。身勝手な視聴者になりがちな我々にも、あのセールスマンの言い草を「胡散臭い」と感じた時、知らぬうちにブーメランが飛んできているかもしれませんね。それこそ二期六話の「イヤミがやって来た」回のオチのように。

私もここで書いていることはあくまで個人の好き嫌いであって、松こうあるべしという一般論にはしないように注意はしてるんですが自戒しなきゃいけないと感じたくだりでした。ギャグ漫画における変化はシリアス漫画以上に終末のカウントダウンです。自立しろ? まっとうな人間になれ!? ……そんな簡単なものじゃないっていうね。

同じことをやってもマンネリだし、かと言って安易にニート無職童貞どもに変化を与える訳にもいかず、思えばこの二期の間スタッフもキャラクター側である松たちもあるべき自分を求めて西へ東へ愛を求めてさまよってきたわけです。そのまとめの一つとなるのが二期21話なのでしょう。これはスタッフとアニメキャラたちによる円卓会議だとみるのが私のスタンスです。

『21話の松代さんの態度が親としてどーなのかという論議はなんというか不毛な気がする
アレは多分家族の話じゃないもんな
この先の松さんをどうするかっていう話なんだろうからな
松代と松造は生みの親という製作者側のメタファーとして描かれてるんだろうし…
22:11 - 2018年3月1日 』

つまりは上記のような感じなので、無職ニートの親としての責任云々という話は私は今回致しません(前提までが長過ぎ申し訳ない)。

どの松を選ぶか決めかねた松代は六つ子サイドの意見としてチョロ松に相談します。するとチョロ松は容赦なくおそ松を指名するのです。

チョロ松たち六つ子側陣営はこの話では我々視聴者から見た六つ子像の暗喩ととらえて解釈していきます。もちろんこの話では代表者がチョロ松である為、チョロ松個人のアニメキャラとしての考え方も大いに含まれてはしまうのですが、六つ子内に変革を起そうとするならおそ松を選ぶというのは妥当な選択ではないでしょうか。

実際一期24話25話がもめたのは長男がかたくなに変革を拒んだためです。兄弟たち全員への影響力が大きい松なのは一期から見てきた視聴者なら皆分かること。逆に言えばおそ松さえ変われば、弟たちはそれに倣う事は想像に難くありません。

しかしこれを制作者側から見ると「え~?でもおそ松ってなんていうの? あなた達六つ子の象徴的存在じゃない? これがいなくなったらなんかわけわかんないでしょ?」となるんですよね。基準となるプレーンな松に対する思い入れみたいなものが見て取れます。

あと松代がカラ松の事を「そうなんだ。母さんはてっきりこの辺を選ぶんだと思ってたわ」と言うのも分かる。おそらくカラ松って初期の設定からしてウザくてうっとおしいナルスシトを目指して作ったキャラだったと思うので。でも実際に動かしてみるとチョロ松曰く「まぁウザいんだけど無害ではあるんだよね」なんですよ。制作者側の思惑とキャラがずれていくさまを目の当たりにする思い。

制作者側としてテコ入れの必要性を感じているのはそう考えると一松とトド松なんですね。「んか親に対しての愛情が薄そうっていうか~…残しておくメリットが見つからないっていうか~…」という。実際の松代のキャラ的にもそんな風に思っていてもおかしくないセリフですが、制作者側としてもどう転んでいくか分からないキャラと言う感じかもしれないです。

制作者の言葉の暗喩ととらえると「メリットが見つからない」という親としてはかなりひどいセリフも納得。ぶっちゃける場ですからね。しゃーない。

ファンの側からすると何でこの二人!? って思っちゃうけど。特に一松はよく雑誌のインタビューなどでも「何でこんなに人気があるのか分からない」って言われてるからスタッフサイドからすると意外なキャラなのかもしれないです。

十四松に関しては「…いやいやいや!ないないない!こいつを人様の所に預けるのはさすがに気が引ける~!」と松代、チョロ松双方の意見がハモります。制作者側、視聴者側の印象が比較的一致しててこれ以上変えようがないキャラとして認知されているのでしょうか。

松代とチョロ松で延々会議を続けるものの結局結論は出ず。松代はさよならする一人を選ぶことができません。どの子にもその子なりのいいところがあり、かわいいわが子なのです。

(松代)「もうぶっちゃけて言うけどね。みんな毎日だらだらしてようがニートだろうが私はどうだっていいの。本当は全然気にしてないの」

(チョロ松)「え~!?急にどえらいカミングアウトしたよ!大前提覆してきたよ!」

……ここでの松代のぶっちゃけは本当に制作者側の偽らざる本心でしょう。だってニートたちは二ートだから元気で可愛い六つ子たちなんだし。それをこれ以上どうしようっていうんだ、無責任なことを言うなっていうね。

それでも一期と同じままではいられない。二期には二期のあり方が必要。それは制作者側も分かっているからこその苦悩。松代が「違うか。じゃあ父さんに行ってもらうか」「いやほんとに施設に行かないいけないのは私か。はははー!!」と狂ったように笑う様に制作者側のジレンマを感じてしまいます。

結局松代は誰も選べないまま灰になってしまうのですが、そこへ帰ってきた松造は「この中から3人!明日から施設に行ってもらう」と極端な改革案を出してきます。「だって家庭のテコ入れはこれくらいの思い切りは必要だろ?」と。そうですねどうせ物語にテコ入れしようっていうのなら確かに一人じゃ全然足りないですね(苦笑)。

そんな父親にニートたちは各々の武器を持って取り入ります。おそ松は「キャバクラの割引券」十四松は「プロ野球のチケット」チョロ松は「アイドルの写真集」カラ松は「精力剤(すっぽんドリンク)」一松は「無料エロ動画サイトのアドレス」トド松は「父さんを持ち上げて良い気にするあざとさ」をです。

カラ松と一松については若干?なんですけどこれらの事柄は今までに培ってきた六つ子たちの個性から生まれた物。自分たちにはこんないいところがあるんだよと、今更ながらにアピールしてきたわけですね。

「本当におかしな家ね。……嫌になっちゃう」

六つ子たちを見て松代は泣き笑いながらついには上記のように言います。先がないのが分かっていても一期から積み上げてきた六つ子たちの個性はやっぱり面白おかしく手放せない大切なモノ。そんなに簡単に変えられない。そういう気づきです。

「いつになったら働くんだよ! このバカニートたち~!」という叫びと共に松代は六つ子たちを固くホールドします。そして早くどいてくれと言う六つ子たちに顔を伏せたまま「だめ。もう少しこのまま……」と呟いてお話は終わります。

ギャグでありながら特に酷いオチもなく矯正施設に対するツッコミもないまま終了する為「イイナハナシカナ……?」という疑問を残すラストです。いい話でまとめようにも家族の問題という観点で見てしまうと何一つも解決していないですしね。

「もう少しこのまま」と言う松代の言葉には重く切ない響きがあります。

『なんというかわちゃわちゃしている六つ子たちをカワイイなって思う気持ちと同時にそういう我々の気持ちが六つ子たちを成長しない箱庭に閉じ込めてるんだって見せつけられてるようで心臓きゅっとなる
22:24 - 2018年2月27日』
『二期の松そういうところある
私たち視聴者の醜さ身勝手さをメタ世界に仮託してえぐりだしてくる
それを本能的、もしくは自覚的に感じてしまった人たちが次々と脱落してしまうんだろうなって(私は楽しんでいるけど)
22:28 - 2018年2月27日』
『「あともうちょっとこのままで…」っていう松代の心情がこのアニメを見ている視聴者にも重なって切ないよな
人間としては絶対松野家を離れて成長した方がいいに決まってるけど「だってかわいいんだも~ん!!」なんだよな…可愛いんだも~ん……
22:13 - 2018年3月1日』

色々考えてはみたけどやっぱりアニメを続けていくために六つ子たちが無職ニートであるという設定は崩せない。下手な成長もさせられない。何より今このままの六つ子たちが何よりかわいいわが子なのは偽りない事実。

だから「あと少しこのままで」なんですよね。それは六つ子側(我々が思う六つ子像)、両親側(制作者側)双方が同じく思っている結論と言えるでしょう。

誰も選ばれず誰も変わらずもう少しこのままで行く事にした『おそ松さん』なのですが「あともう少し」ということは永遠にという訳にはいかない事を制作者側も分かっているのだとも取れます。

最終回を間近にして一期24、25話で見せた結末を封じるようなそんな決意を見せてきた二期21話。一期と同じことはやらないぞ、という覚悟を感じます。先が怖いような楽しみなようなそんな気にさせてくれるBパートでした。

一体スタッフたちはこの『おそ松さん』二期世界をどうやってラストに導くつもりなのか固唾をのんで見守りたいです。

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【別記】全体を通しての気づきメモ

今回アバンの日松屋、初見では普通の居酒屋だと思ってみていたので気がつきませんでしたが、舞台が実在ラーメン屋をモデルにしていると聞いてからふと思った事があります。

六つ子たちの会話の中でカラ松が「オイオイ、誰がカリスマ兄さんだよっ」ってボケるシーンがありますよね。あの「カリスマ兄さん」の元ネタは二期発売前に出た『おそまつさんかくれエピソードドラマCD 松野家のなんでもない感じ 第三巻』の最終話「なんでもない感じ」に出てきます。このCDは公式監修でメイン脚本家松原氏が担当しているため他派生CDなどとは違い完全に公式と見ていい話です。

この話の最後で兄弟たち全員は深夜(2時を回った時間)にラーメン屋に繰り出すんですよ。……これってまさに今回の「深夜の日松屋」のシチュエーションじゃないですか! まさかこの話あの後のエピソードなのですか!?

もしこの日松屋の話が「なんでもない感じ」のあの話と一緒だとしたら、このアバンの話の時系列は一期中のどこかという可能性が高くなります(脚本の松原氏により一期は一応の完結を迎えている為この先の話はひろげられない。なんでもない感じCDは一期で語られなかった隠れ話である、ととれる発言をしています)。

これが事実としたらエライこっちゃです。二期の今までの話の時系列が必ずしも二期後とは限らないという事です。時系列ごちゃまぜ疑惑浮上。なんとなく「この話って一期っぽいよな」とか「二期より前かも」って感じる話はあるにはあったんですが、やはりあるのでしょうか。そうなると明確に一期~二期の間の時系列の話である「夏のおそ松さん」を五話で挟んできたのも伏線なんでしょうか。考えれば考えるほど謎です。

思えば今回、日松屋といい、バナナといい、関東ローカルを意識させるワードが頻出していてこれが六つ子たちの住む東京という土地のイメージを生々しくしています。今回の話はまさに普段アニメに登場している松たちの話とはまた別の「楽屋裏話」という色が濃いです。

それを踏まえてBパートのニート矯正施設を見てみると明確な証拠はないものの、もしかしてこのBパートも一期以降二期未満の時系列では? という可能性もあるんですよね。私の今回の解釈にのっとればこれも楽屋裏の話だし。何かその方がお話的に自然な気もして。

『こうやって考えてふと思ったんですけど
そもそもこの矯正所の話って二期の時系列なんでしょうか?
矯正施設収容年数が二年……二年って一期と二期の間の年数……よく見てみると松代の回想や本編に出てきた松たちの服装一期の奴だけだし…………
8:23 - 2018年2月28日』
『一期→矯正施設の話→二期なのか?
8:24 - 2018年2月28日』
『一期が全力モラトリアムのまま終わってこのままじゃだめなんじゃないかとニートを脱却させようとしたけどやっぱり息子たちが可愛いからこのままでいて~!!!!!っていう松代、一期のままの続編を期待していた我々の姿→そして二期へ……(怖すぎワロタ)
8:26 - 2018年2月28日』
『我々が続編を望む限り六つ子たちはニートなのだ
8:29 - 2018年2月28日』

正直この推論は怖すぎなので出来れば外れてほしい。まあここら辺私だけじゃなくきっと賢い考察系の方々ならとっくに気づいてそうな話なんで大人しく最終回までの話をチェックしていこうと思います。

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