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押し入れをからっぽに

二ヶ月に一回ごみを捨ててもう疲れはててしまう
部屋の片付けをしている。

いつまでもこのままでは、ずっと
ものに囲まれてベッドの上でご飯をたべ、
作業をしスマホを触り本を読み炭酸水をのみ
涙を流すことになるので、
服ににおいがつくことや
初夏の湿気が心配であるが
押し入れをすっからかんにして
そこを作業デスクとすることしにした。

ゴミはたいてい食べ物のごみか郵送物の包装紙か
ペットボトルである。

今日はバイトで洗米機のセッティングを
ミスり、四キロの米を無駄にしてしまった。
正直七割くらい使えたのだが規定量でしか
炊けないため捨てるマニュアルになっている。
20人前の並盛の米。
おなかがすいている子一人、一週間もたせられる
食料を捨ててしまうことに罪悪感を覚える。

たまにドキュメンタリーをききかじる程度の
知識で簡単に胸を痛めることが出来る。
解決への実行動は伴わない軽薄なものである。
せめてもの反抗として暖かくなるまでに
献血を始めようと思う。

(一年振りに更新をして
二年前から読み直している、
引っ越して、献血には結局一回こっきりしかいけていない。
年号が変わった。令和になった。
コロナ禍がもうほとんどおわった。
ちらりとまたぎきしたアフリカかどこかでの
新種のウイルスは、閉鎖されたんやろうか。
しいなくんのおきじまの里親なのに苦しくてにげて
海でふくらんでこときれたっていうはなしが
最近

魚鱗癬のこのドキュメンタリーをみた、
みている。一日で記憶を失うため膨大なノートですらないかみたばにあらゆることを記録する女の人の。もみた。そつえんしていて、ふけていて、スーツがちっちゃくなって夫婦がたくましくなっていた。

カーネルサンダースケンタッキーの二つ選べる千円パック、一種類でいいから骨無しケンタッキーを四枚買わせてくれよ千円で、とおもう。は?げんかとおなじだろ
ええかげんにせんかいってだれのことはだ?
たんぼせんせいかちちかふわふわせんせいは?


これは音声入力ではない、
いまはスマホのブラインドタッチができるようになって(フリック入力ばかりだが、)かなりべんりだなと
きょうトークショーを聞いておもっていた。

令和三年か四年、2023年、大阪万博まであと二年をきっている、2023/04/01ほんとは40/02の(日)の
鳥取砂丘にいくひの1:06AM,)


ごみを捨てる作業の合間にすっからかんにした
半畳サイズの二段の押し入れに、
写真とかチラシとかぬいぐるみとか
ペンとかいま読んでる本とかを
ちょっとだけごちゃごちゃしないように置いていくのは楽しかった。


最近やっと聴き馴染んできた
音楽をかけ、口ずさむのも楽しい。
まだまだ屈折しているので人前で
鼻唄を歌うことができないが、
鼻唄をうたうひとをとてもかわいいと
おもっていて、とてもすきだと思っている。
わたしも自分の好きな要素を放出できるように
なれたらいいなと思う。



わたしの部屋には収納場所がまだまだ足りない。

必需品だろうという家具が欠けた家で
十数年くらした感覚が染み付いているので、
椅子一脚か一畳分のスペースがあれば寝ることができるし、
身体にガタがくるまではそれこそ
押し入れの狭苦しいスペースだけでも過ごすことが出来る。まあいいかとおもう。


とはいえ丁寧な、自分が丁寧だなと思える程度には。なくらしに憧れがあるので、
どうにか脱却したいともがいてみる。
おなかがすいていなくても、
節約した自炊もご飯を二日に一回くらいは
二食たべたい。

初期は作り置きをしていたのに最近
タッパーは棚に眠っている。
週に一回くらい、気まぐれで作りすぎた
汁物を冷凍したものが冷凍庫をしめている。
あとはんぱやさい。


スーパーにはスナップえんどうがもう
そこそこお安い値段で並んでいた。
まだ立春きてないし、すごぶるさむいのに。つらくて雨戸を開けて空を見れるようにしたから
もっと部屋が冷えたというのに。

はやく自炊の気力をとりもどしてスナップえんどうの
筋をむいてやりたい。


今日の片付けをはじめたとき、
壁にかけるだけかけといて、半年まっしろだった
ちいさなホワイトボードに
すきだなと思う人が何気なくこぼし、見事私の心をクリーンヒットしたひとことを、
控えめなサイズの字で書いてみた。
幸福ってこういうところからにじむんだなと思った。

片付け、まだ8割残っている。
あと一日かけて、拭き掃除をする手前まで
もっていこう。いけるよ






ちなみに。

ぺっと描くにこちゃんマーク。
(この日記のトップ写真にもなっている)

これは、
わたしの刹那的な精神安定剤。
ちいさなおまじないです。
はっきりとは覚えていないけれど、
小4とか、中学生くらいからだろうか。
失敗したり、恥ずかしいことがあったり
悔しかったりなにがしか動揺したときに
サッとかくようになって、
成人してしまった今もこのたよりなさげな
おまじないをよすがにしている。

ノートにも、メモにも、台本にも、
わたしが筆記をしたことがあるものには必ずどこかにこいつらがいる。

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